たった一人の謝肉祭

 トラックに轢かれたところでこうまでぐちゃぐちゃにはならないだろう。狭い室内は正しく血の海。手も足も区別がつかないくらいで、顔はもちろん判別できない。

 壁も天井も丁寧に赤いペンキが塗りたくられている。これをやった奴はさっきの猫とは違って、己の行為にどこまでも自覚的だったのだろう。巨人がぶん殴りでもしなければ、一撃で人間がこんなになるものか。目的がなんなのかは知らないが、明らかに殺しそのものを楽しんでいる奴の仕業。


 ぽとりと赤い雫が頬に落ちた。分かっていたことだが、まだまだ新しい。まったくうちの雇い主はいつもどこからこんなものを見つけてくるんだか。ああ見えて抜け目のないアイツのことだ、自分と私以外にこれを知っている奴はいないだろう。


 スマホで雇い主を呼び出す。一分ほどの空白の後に、温度を感じない声が聞こえてきて途中で切った。


 寝てるな。時折驚くくらい不健康な生活を送りやがるが、基本的には早寝早起きはおろか朝の体操まで欠かさずこなす、老人か幼児みたいな奴だ。こんな時間に連絡が来ることの方がイレギュラー。


 私にこんな所まで来させておいて呑気な奴。

 まあ後の処理は完全に一任されたってことか。どこからどこまで期待されているのか知らないが、頭脳労働は元より担当じゃない。多分今日の仕事内容は犯人探しでも現場検証でもなくて、死体の処理だ。ここを綺麗に片付ければ文句は言ってこないはず。難しいことは無い、いつも通りの仕事。


 そうと決まればさっさと済ませよう。死体を片付ける上で大切なのは、人に見られないことと人に見つけられないこと。少しでも痕跡を残せば辿られるが、私なら綺麗に

 アイツから話が回ってくる時点で、今回の件は尋常じゃない。警察ワンコロの手に負えない類か、或いは私達にとって都合の悪い話だ、遠慮はいらないだろう。


 あまり気分じゃ無いとはいえ、臨時ボーナスも出るだろうし腹も満たされるし、一石二鳥。汗もかいてそれなりにカロリーは消費している、コンディションは悪くない。多少テーブルは汚いが、我慢できる範囲。


 ぴちゃりと波打つ赤い水面の底で、固まり始めたそれが靴にへばりつく。普段よりもよっぽど重い一歩を踏みしめる度、ぐうぐうと腹が鳴った。部屋の中心で深呼吸する。途端に心臓が逸った。もう脳みそはありもしない空想に囚われたりしない。どこまでもひたすらに現実だけを捉え続ける。だってどんな化け物よりも、私の食欲の方が上だ。

 酒なんて飲んだことはないが、酔っ払うってのは多分こんな感覚だろう。末端の感覚が鋭敏になって、思考がぼやけて一つの事しか考えられなくなる。私の場合はこの新鮮なご馳走の山。


 こんなに落ち着いた食事も久方振りだ。現金なもので、灼熱の中を歩き回っていた時はあんなに憎たらしかった雇い主に対する感謝すら湧いてくる。


 もう我慢は出来そうにない。高く両手を鳴らす。


「いただきます」


 今日はカーニバルだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る