Episode 15#

「これ、が、海――!!」


 モルガナさんは言葉を失っているようだ。そりゃびっくりするよな。ラグナリアには海がないのだから。


 あの直後、俺はすぐさま尚人と倉木に相談した。


 倉木は少し迷うような仕草を見せたが、


「返却期限の最終日の夕方まで、なら。現実世界を見せ終わったら、そのままモルガナをLAGOONに返送するからね。」


 という条件付きで、自らレンタカーフライング・ビークルの運転手を買って出てくれ、尚人も何も言わずに機材の準備をしてくれた。


 そして今――モルガナさん返却期限の迫る中、俺たちは彼女が現実世界で最も見たいと言っていた海に、来ていた。


 この辺の近場の海はあまりきれいとは言えない。砂浜も少しくすんでいる。しかし、南の島には負けるにせよ、シーズンオフに眺める分には青く、広々とした海を見ることができた。


「すごい……!! どこまで続いてるのかが見えない……! 本当にこれが全て水なのですか?」


「そうだよ。でもただの水じゃないんだ。海の水は塩水だから舐めるとしょっぱいよ」


「塩水……。味覚が実装されていないのが残念です」


 他愛のないお喋りが時間を少しずつ溶かしてゆく。


 もっと大事なこと、もっと話さなきゃいけないことが他にあるはずなのに。


 じわじわと刻限は迫っているのに。


 いつも通りの会話しか出てこない、けれど。何故だか、焦りより安らぎがまさっていた。


 大切な人といられる最後の時間。ゆえにこそ、何気ない会話が愛おしいのかもしれない。


 モルガナさんと一緒に眺める海は、今まで見たどんな海より青くて、キラキラしていて。

 今まで見たどんな海より、綺麗で。

 今まで見たどんな海より、悲しい色をしていた。


 ♪~♪~♪~


 MINEの着信音。

 時間切れの合図。

 最後にかけるべき言葉は、決めてある。


「モルガナさん……」


「ん、どうしました?」


「僕は、あなたを――愛して、います」


 絞り出した決意にも似た言葉は、彼女あなたに届くだろうか。


「ありがとう」


 そういって柔らかく微笑む彼女に。触れたかった、キスしたかった、もう一度だけ。


 俺はカメラとマイクを内蔵したモニター越しに軽く接吻すくちづけると、そっとモニターを抱きしめた。


 そのまま立ち上がり、倉木が待つレンタカーへと戻る。


「これからLAGOON本社に戻るけど、君も来るかい?それとも先に君の家に送ろうか?」


「……帰ります。」


 倉木の言葉に少し迷いつつ、答えた。


「そうか。」


 倉木は意外だな、と言わんばかりだったがそのまま俺を自宅に送り届けると、モルガナさんが入った端末ごと、LAGOONに向かった。


 もし、LAGOONに一緒に行ったとして、怒りを制御できる自信がなかった。


 最愛の人との最後の思い出を、無様な姿で汚したくはなかった。


 それは俺の最後の意地であり。


「これでお別れだとしたって、カッコつけたかったんだよ。」


 自室でそっと独りごちる。


 その声は、本当に自分の喉から出たのか疑いたくなるほど枯れ果て、震えていた。


 俺は、ただ、涙を流した。

 ただただ、ひたすらにしずくが頬を濡らす。

 それは、泣き疲れていつの間にか夢の戸口に立つまで、枯れることはなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る