運命的な勘違い

 礼子とすぐに別れろ。

 唐突に、礼子のマネージャーである優が言った言葉に、健太は未だ頭の中の疑問符を拭うことが出来ずにいた。

 礼子と別れろ。

 意味は分かる。用は、男女関係である男と女に、優は今決別を促しているわけだ。普通の発言では、きっとない。第三者が突然、あなた達、明日から別れてくださいと言って、はいわかりました、と言う人は多分いない。

 でも、かの大女優礼子のマネージャーである優が言うことならば、その意味は健太には痛い程よくわかった。

 常々、健太も忌避していたことだった。

 テレビ人。有名人として働く礼子には、クリーンなイメージが必要不可欠だ。そして、そんなクリーンなイメージを一瞬で吹き飛ばすスキャンダルが何かと言えば、それは恋愛事と相場が決まっているのだ。


「勘違いして欲しくないのは、あたしは別にあなた達がただの友人関係ならば文句はないってことです。でも、恋人というのは……あなたが吉田さんのことを愛しているのなら、むしろどうしてそんな選択をしたのか、問い質したいです。今の彼女の幸せを考えたら、スキャンダルになる恋人関係なんて、むしろあなたからお断りするべきだったんです」


 だから、礼子の恋仲の相手に彼女のマネージャーである優が別れを強要する理由はよくわかる。


 ただ、わからないことが一つあった。


「あの、俺達別に、付き合ってなんていませんよ」


 それは、そもそもの大前提として、健太と礼子が男女関係ではない、ということ。

 どうして唐突に、マネージャーである優が健太の前に現れてまで、こんな話をするのか。甚だ意味がわからなかった。


「……嘘ばっかり」


 健太は素直に礼子との関係を打ち明けるが、優はどうもその話を信じる様子はなかった。


「むしろ、どうして俺達が付き合っているだなんて思ったんです」


「最近の吉田さん、職場でも凄く楽しそうですよ」


「それは、上京してからずっといなかった友達が出来て嬉しいからでしょ」


 素面の彼女の申し訳なさそうな顔。寂しそうな顔を、健太は一体何度見てきたことか。


「最近、吉田さんに誘われ、あたしは彼女の友達になりました」


「うかがっています」


「でも、あたしと友達になる前から、彼女はとても楽しそうに見えた」


「それは、俺が彼女の友達になったからです」


「……なんですか、それ」


 優は、まるで怒りに震えているようだった。




「吉田さんとは体だけの関係ってことですかっ!」




「拡大解釈は止めろっ! 違うわっ!!!」


 あまりにぞんざいな言い方に、健太は思わず声を荒げた。

 ただ、すぐに優の気持ちに理解を示した。これまで優は、礼子に散々健太とのエピソードを楽屋などで聞いてきたのだろう。ただ、ある時ふと優は礼子の友達が男と知り、そして不安になったのだ。

 いかがわしいことはされていないか、と。


 大女優は何と言っても、言い方は悪いが体が売り物である。そんな礼子の美しい美貌を、どこぞの馬の骨が汚すことなど、マネージャーという立場であれば絶対に阻止したいに違いない。

 そうなった時、多少の拡大解釈はし得に違いなかった。


 そしてまさしく、優の考えは今健太が思ったことと同意だった。

 あくまで優は、礼子を守るため、マネージャーである自身の仕事を全うするために、どこぞの馬の骨かもわからない健太の前まで単身出向き、抗議を訴えたのだ。


 おおよそ優の意思を理解した健太は、ため息を一つ吐いた。

 礼子という有名人と友人になる時点で、いつかこういうことになる可能性はわかっていた。それを面倒だと思う気持ちもあった。


 もし以前に今のように礼子の事務所の人間が遣いに来たら、健太は迷わず礼子と距離を置いただろう。

 でも、今は不思議と、そうする気は起きなかった。


 横浜の中華街で、彼女のために買ってきたビールが、何よりの証拠だった。


 恐らく、今後も礼子と一緒に晩酌をするのに対して、優の了承を得るのは必須条件。そして、その高い壁を超えない限り、恐らく健太は礼子と真の友人とは呼べないのだろう。

 だから、健太は優の了承を得るべく頭を捻った。とにかく一番主張しなければならないのは、健太と礼子の潔白だった。


「……俺と吉田さんは、ただの飲み仲間です。以前、偶然居酒屋で会ったんです。お互い一人で居酒屋で行ったもので、カウンター席で隣同士になったんだ」


「へえ」


 嘘偽りは付かない方が良いと思った。

 素直に、率直に、身の潔白を主張しようと思って、健太は礼子との出会いを振り返っていた。


「俺、生憎テレビはあまり見ない質でね。驚きましたよ、飲んだ翌朝、テレビに彼女が映っているんだから」


 優は、健太の嘘を見破ろうと聞き役に徹していた。


「そして、俺達は偶然、隣人であることも知れた。彼女、酒を飲むといつも部屋でバンバンうるさいんだ。注意に行ったら、そのまま部屋に押し込まれて、晩酌会に付き合わされるようになって、今に至るってわけです」


 あまりにも事実。

 あまりにも運命的。


 優は、


「ちょっと出来すぎじゃないですか?」


 怪訝な顔で、そう言った。


「居酒屋に行ったら隣に大女優がやってきた? そしたら偶然隣に住んでた? 更には、酔っぱらった吉田さんが、無理やりあなたを部屋に押し入れて晩酌に付き合わせた?


 そんな、ネット小説しか生き甲斐がないくだらない作者が書くような三文小説の話、にわかには信じられません」


 真実を伝えたが、駄目だった。

 ただ言われてみると、確かに健太は、今言った話が都合が良すぎる気がしてくるのだった。


「本当だ。全て事実なんだ」


「じゃあ、本当に吉田さんとは一切、体を交えたことはないんですねっ!?」


 熱が籠った優の言葉に、


「当たり前だろっ!!」


 と健太は叫んで、


『えぇ……?』


 思い出したのは、礼子と出会った翌日の朝、ホテルでの光景だった。


 ……めっちゃ体、交えてますやん。


「……怪しい」


「怪しくないっ。本当、怪しくないっ」


 背中に冷や汗を掻きながら、健太は早速嘘を交えた。

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