悪魔に気に入られた男の成り上がり~もしくはエルチェの受難~

ながる

Introduction

第1話 目をつけられた

 エルチェは生まれた時から体が大きかった。

 5人兄弟の真ん中で、畑仕事や漁の手伝いにもよく駆り出されていた。

 収穫祭やイベントごとで商品が出ると聞けば、参加して食い扶持を稼いでいたものだ。

 貧しくはなかったものの、成長期の子供達の食費は馬鹿に出来ないものがあったから、心置きなく食べたいと思えば自然なことだった。余剰が出れば、同じように働く友人に分け与えたりもしていたので、エルチェの周囲には自然と人が集まるようになっていた。

 特に善人だという訳でもなかったが、弟妹達を守るのにふるっていた拳を近所の子供たちにまで頼られることになったので、結果的に、路地裏にたむろするような悪ガキどもには目の敵にされることが多かった。


 エルチェがその新顔を初めて見たのは、秋のビール祭りの時だった。

 路地裏組のボス(父親が鉄工所勤めだった)が見慣れない奴を連れ歩いている。弟だったか、近所の子だったか、ビールの樽を運んでいるエルチェの服を引いて、誰かがそう報告してきた。

 大人は時間が経つにつれてだんだん働かなくなっていく祭りだ。忙しかったエルチェは、適当な相槌を打って彼らを追い払った。足元にまとわりつかれては仕事にならない。だから、仕事を切り上げ、腕相撲大会子供の部の舞台に上がるまで、すっかりそんなことは忘れていた。


 十二歳とは思えない体格のエルチェが勝ち上がるのは当然で、ブーイングも相当なもの。決勝は路地裏組のボスとだった。

 一進一退の白熱した攻防の末、優勝はボスが持っていった。ひときわ大きな歓声が上がり、ボスは両手を上げて空に吼えていた。

 やれやれと舞台を下りようとした時、エルチェは熱気の中に冷やりとしたものを感じた。思わず振り返って、がっちりとその瞳に拘束される。アイスブルーの双眸は、エルチェが見返すとわずかに細められた。


 路地裏組のボスたちと変わらない服装。けれど、手入れされた髪や肌は労働者のものではない。工場長とか、少なくともボスよりは偉いやつの子供だろう。と、するとボスは案内係を仰せつかったのか。優勝を譲ってよかったかもしれない。

 視線を外して、エルチェは悔しがる弟妹達の元へと戻っていった。


「なんで負けちゃったんだよ!」

「すまんすまん」


 地団太踏む弟の頭を撫でながら、エルチェは笑う。


「でも、ほら、二位の商品はジャムのセットだ。しばらくいろんな味が楽しめるぞ」


 商品が並ぶテーブルを指差せば、弟は一瞬だけ笑顔を作ったけれど、でもやっぱり一番がいいと、エルチェにふくれて見せるのだった。




 次にエルチェが彼を見かけたのは、数日間の祭りが終わって片づけをしている時だった。

 花売りの少女が頬染めながら彼に花を差し出していて、色男は違うなと頭の隅で思っていた。今日はひとりなのかと荷物を運びながらチラチラと見ていると、ボスがやってきて紙袋を彼に手渡した。中を覗き込んだ彼は、一瞬とても冷ややかな目をしたのだけど、顔を上げた時にはもう笑顔で、ボスと楽しそうに会話を交わしていた。

 話しながら辺りをぐるりと見回した瞳がエルチェを捉えて止まる。それに気づいたボスが振り返ったので、エルチェはなるべく自然に視線を逸らして片付け仕事に専念しているふりをした。


 空樽を数えながら酒蔵に戻すために往復していたのだが、何度目かの時、路地でしゃがみこんでしくしく泣いている少年に気付いてしまった。最後のひとつを運び終えてもまだ泣いていたので、エルチェは仕方なく声をかけた。彼をよく知らない子供は、その体格と目つきの悪さにだいたい怯えるので、自分から関わることはそう多くなかった。


「どうしたよ? 喧嘩でもしたか?」


 小さく振られる頭は幸いなことに上げられなかった。膝に顔を埋めたまま、少年はか細い声で告げる。


「ぼくの、ドーナツ……」


 エルチェの頭に先ほど見た光景が再生される。ボスが渡した紙袋。「あぁ……」とため息交じりの声が漏れた。おつかいの駄賃に、おまけでつけられたものだったのだろう。掠め取られても文句がつけられないようなものを路地裏組あいつらは狙う。目の前で見ていたなら注意もするのだが、もう時間が経ちすぎていた。

 エルチェはもらったバイト代を思い浮かべて、ふるりと頭を振る。いちいち対処していたらきりがない。可哀想だが、と、少年の頭を撫でてやるにとどめた。落ち付けば家に帰るだろう。

 苦い気分で路地から表通りに出たエルチェに、誰かがぶつかってきた。

 その人物が抱えていた荷物から、ばらりと小さなものが散らばる。


「ああ。何をするんだ」

「……は?」


 非難がましい声に、そっちがぶつかってきたんだろう? とエルチェは眉を寄せた。


「大丈夫か? レフィ。おい! エルチェ! お前、謝れよ!」

「は?」


 ボスの猫なで声に、エルチェからワントーン低い声が出た。睨みつけてやれば、ボスはわずかにたじろいで、それでもいい格好をしたかったのか、声をさらに張り上げた。


「見ろよ! 安いもんじゃねぇんだぞ!」


 ボスが足元を指差す。カラフルな包装で高級そうな菓子がいくつか落ちていた。ひとつを拾い上げようとしたボスの指先に革の靴が勢いよく下ろされ、菓子は踏み潰される。


「やめろよ。みっともない。落ちた物など僕は食べないよ。もういいよ。ほら、行こう?」


 嫌味な言い様に続けて鼻で笑われる。アイスブルーの瞳がエルチェの頬を撫でてから前へ向いた。


「えっ。あっ。待ってよ!」


 慌ててボスも彼を追いかける。

 なんなんだと胃の中にむかむかしたものを抱えながら、エルチェは彼らの背中を見送った。

 ふと、甘い匂いが鼻を掠めて、改めて足元を見下ろす。踏み潰された包装から茶色いものがはみ出していた。


 ――チョコレート……


 年に一度か二度口に入ればいい方だ。落ちた、とはいえ個包装されているそれらをそのままにしておくのはもったいなかった。潰れていないものは三つ。エルチェは手早く拾いあげて、先ほど出てきた路地へと引き返した。


「落ちてたもんだけど、嫌じゃなかったらもってけ」


 少年の手に全部を押し付けて、今度こそさっさと路地を後にする。家に持って帰っても兄弟の多いエルチェの家では喧嘩になるだけだ。ドーナツよりもよほど……そこまで考えて、エルチェは振り向いた。もう目的の人物は見えなかったけれど。

 すぐに嫌味な笑い方を思い出して「まさか」と自分の考えを否定する。

 前を向いて、もう今日のことは忘れることにした。




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※思ったよりも文字数増えて、キャラが多いので、主要キャラの人物紹介したTwitterのスレッド置いておきます。


https://twitter.com/nagal_narou/status/1546057547697639424?s=20&t=-HaTC3poQGdIn0jF8EhrSA


Picrewで作ったイメージ画像とともに簡単な紹介をしていますので、これ誰だっけ?と、わからなくなりましたらご活用ください。

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