第5話

 野盗については警備隊に任せ、ファンタマは引き続き城塞と教会について探ることにした。ここには休暇ついでに伝説の検証のつもりで来たのだ。村に訪れて大して時間も経っていないのに横道に逸れてきている戻さなければならない。


 今日は城塞の付近まで貸し船を出し対岸を観察している。外からでは人の出入りは乏しく目立った動きはない。買い物に行くこともなく、日常品を届けに来る村の配達人と顔を合わせる程度だ。


 城塞の傍で糸を垂らし二刻ほどして、ファンタマの元に小舟がやって来た。城塞の浮き桟橋からやって来た小舟で男が二人乗っている。漕ぎ手の男は器用にファンタマの隣で船を止めた。黒い髪は短く目は鋭い細身の男。確か名前はケロトッツと言ったか。櫂を漕ぐよりは振り回す方が似合っているように見える。舳先側には茶色い髪の年嵩の男。顔には微笑みのしわを寄せているが目は慎重にこちらを窺っているように見える。 城塞を借り受けているロッカセッカ大学のグワンマイヨン博士だ。


「釣れてるかい」博士は全ての見物人がまず最初に口にする質問を投げかけてきた。


「上々だよ」ファンタマは足元で横たわっていた鱒のえらに指を入れ、片手で持ち上げて博士に見せた。体長が肘までありそうな型の良い鱒だ。これよりは小ぶりだが他にも三匹床に転がっている。


「うまいのか。そいつは」これもありがちな質問だ。


「中々いける。焼いても煮ても旨い。燻製は酒に合う」


「道理で釣りで賑わうわけだ」とケロトッツ。


「そうだな。わたしたちはそこの城塞で働いているんだが、釣りをしてる君が目に入ってね」と博士。「よければ何匹か。その魚を売ってもらえないか?」


「かまわないよ。どのみち全部食べ切れそうにない」


 昨日も釣果はよく何匹かを宿に売り払った。それを酒代に居合わせた客にも振る舞った。結果的には赤字になったがそれもよい。


「ありがたい」


 博士はファンタマから鱒を受け取りしばし眺めた。ファンタマが受け取った額は宿での買い取り額の倍ほどだ。ファンタマが提示したわけではない。博士が手渡してきた。


「君はここの漁師ではないようだが旅行者かね」


 鱒をケロトッツに渡し、博士はファントマに問いを投げかけた。


「ミカエル・スタンネン。帝都を出て旅をしてる」


「スタンネン……知り合いにそんな名の侯爵殿がいたか」


「悪いが、うちはハッランド男爵、その侯爵殿は人違いだと思う」


「そうだったか。それは失敬」博士は船上で座ったまま軽く頭を下げた。


 鱒を手に入れると博士は早々に去っていった。ふと、ファンタマはさっきの質問が彼にとって鱒より大事な要件ではなかったかと思い立った。少なくとも鱒に惹かれて釣り船に押しかける学者には見えない。城塞の傍で釣りをしている若者の素性が気になり探りを入れに来たか。つまらない偏見だといいのだが。




 残った鱒が入った籠を手にファンタマは食堂へ向かった。扉を開け屋内へと入ると隅のテーブルで三人の男達が話をしていた。テーブルの上に飲み物はなく。男達の表情に笑みもはなく真剣そのものだ。 テーブルに座っているのは警備隊士のキルヒスと宿の主人マーティン、残り一人には面識はない。


 カウンター越しにネリに鱒を渡し、宿で何か大事があったのか尋ねてみた。


「いいえ、うちは特に何もありません」ネリは一度声を上げ笑ったがすぐに真顔になった。「先日ミカエルさんが追い払った野盗の件です」


「あぁ……」


 ネリは少し声を潜めて隅のテーブルに目をやった。


「また警備隊で森の捜索をするそうで村でも手伝って欲しいと言われて、その打ち合わせなんです」


 聞けばマーティンは村の西側のまとめ役の一人だそうで、後一人の男の名はリッチで東側の代表としてやって来た。


「帰って来たか。君も手伝ってくれないか」キルヒスの声が聞こえた。こちらの会話をずっと聞いていたらしい。思っていたより耳ざとい男のようだ。


「俺もか?」 とファンタマ。


「君は派兵の経験もあるし、腕も立つ。それに何より騎士だ。協力を願いたい。ただでとは言わん。大した額ではないが日当も出す」


「……わかった。協力しよう」面倒はごめんだが、断るとここでの動きの妨げになりかねない。


 ファンタマは隅のテーブルの空いていた椅子に招かれた。一通りの紹介が終わり本題へと入る。


「こちらの状況はもうわかっていると思うが、明日朝から森の捜索を始める。隣のエディルネの警備隊にも協力してもらって大掛かりにやるつもりだ」


「どこに行けばいい?」


「俺が案内する。一緒に行こう」とマーティン。


「騎士と聞いたが実戦経験はあるんだよな」とリッチ。


 帝都の騎士と言っても色々いる。街でふらふらやっているだけの奴では足手まといになるだけだ。


「三年間砂漠にいたよ。偵察と護衛は日常的に討伐戦も何度か参加している」とファンタマはミカエルとして答えた。


「マッケンを狙った野盗を追い返したのがこの人だよ」キルヒスがリッチに目をやった。


「あぁ、なるほど」リッチは満足したように笑みを浮かべファントマに頷きかけた。 

 

 どうやらよそ者の騎士が参加することに賛同を得ることが出来たらしい。




 翌日の朝、ファンタマは食事を早めに済ませマーティンと共に宿を出た。集合場所の警備隊詰所前には既に装備を整えた隊士と村人が集まっていた。銃器を持っている者はいないが狩人の集団のように見える。思えばそれに間違いはない。獲物は人だ。求めるのは野盗の手掛かり、あわよくば潜伏先を突き止めることだ。


「ここで少し待っていてくれ」


 マーティンはそう告げるとファンタマを集団の端に残し離れていった。行く先を目で追うと警備隊士の集団へ向かっているようだ。キルヒス以外は面識はない。一人は初老で白髪、細身の男だ。雰囲気から見て彼がこの場の責任者だろう。マーティンが近づくとキルヒスが対応に出た。ややあって、マーティンがこちらに目を向け手で示した。マーティンの話に反応しているのはキルヒスと初老の男で傍にいる後三人は見ているだけといったところか。


 彼らが話し合っているところへ四人組の集団がやって来た。一人は地味な黒の司祭平服クリーン助祭だ。その後ろに薄い茶色のアクトンを身に着けた三人が待機している。助祭が話しかけると皆が微笑み軽く頭を下げた。


 背後に気配を感じ振り向くとリッチがいた。


「今日はよろしく」リッチは右手を軽く上げた。


 よく膨らんだ革鞄を背負い、胴長で背の低い犬を連れている。犬の首輪から伸びた革紐はリッチが左手に巻き付けている。


「こいつはノリと言って相棒だ。これでも猟犬だ。役に立つ」ノリはリッチの言葉がわかるのか。一声吠えた。「狭い隙間も入っていける」


「マーティンはまた連絡係として駆け回ることになるんだろうな。あの白髪頭のおっさんはウユニエンといって村の警備隊詰所の所長だ。エディルネからやってきたんだがうまくやってるよ。まぁ、実際仕切ってるのはキルヒスだがね。クリーン様も手伝ってくださるようだ。誰かが知らせてくれたんだな」


 リッチの解説を聞いているうちに今回の捜索に参加する警備隊士と村人が残らず集まった。ウユニエンの軽い挨拶の後にキルヒスからの捜索に関する作戦説明が始まった。捜索に向かうのは城塞と教会がある付近の村の東側の森で二人一組に南北に広がり捜索を開始する。


「正体は不明だがを装備の点から正式な訓練を受けたことがある騎士の可能性がある。そんな連中がこちらに何らかの理由で流れてきたのかもしれない」


 集団内でどよめきが湧いた。相手が素人の寄せ集めではなく、訓練を受けた手練れの集まりの可能性が出てきたからだ。ファンタマは立場上、腕の立つ用心棒や政府機関の職員に出会うことが多い、そのため、相手を決して舐めては掛からない、常に警戒を解かないようにしている。逆の場合だと立て直しが利かないのだ。それは即、死を意味することになる。


「これで皆の気も引き締まっただろうよ」とリッチ。「あんたのおかげで連中の練度の目安が事前につかめた。狩る相手を舐めてると怪我だけでは済まないからな」


「同感だ」


 捜索隊の一団は城塞に向かう道程で散開し順次森へと入っていった。ファンタマとリッチの組は後ろから三番目に森へと入った。城塞のすぐそばに来てからのことだ。


「この捜索で連中の居場所が掴めると思うか?」


 ファントマは森の中で二人きりになってから小声でリッチに聞いてみた。


「微妙だろうな今まで巧妙に隠れてきた連中だ。人数を増やしたぐらいで見つかるならとっくに見つかってるさ」


「じゃぁ、どうして手間をかけてやるんだ」


「内外への牽制の意味が強いと思う。途切れて終わった思っていた襲撃がまた再開された。あんたが居合わせたおかげでマッケンは難を逃れたがそれで済むわけもない。動かないといけないんだ。キルヒスがずっと動いているのは知っているが、わかりやすくそれを示す必要があるんだ」


「つまり、政治的な意味もあるのか」


「何割かな、この場所にも今がある」


「あぁ、この辺りでマッケンが襲われたからな」


「苛立ち紛れに短絡的なる奴がいる。俺たちで探し出すとな、 そいつらも暴走させない意味もある。すぐそばで捜索を大掛かりに始めれば牽制になるって触れ込みだ」


「なると思うか」


「きっと気にもしないさ。村の馬鹿連中への触れ込みだ」


「辛辣だな」

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