第5話 マンション

2012年8月

留学から戻り千駄ヶ谷に完成していたマンションに移ってから早一月が過ぎようとしていた。

両親がここを購入した理由としては

①社割が利いたこと。

②最新のセキュリティ機器が導入されている事。

③地下鉄テロ被害者の母がJRの沿線を望んだ事。

④東北震災の経験から、エレベーターが使えなくても生活出来る事。

⑤同様に平置き駐車場である事。加えてバイク置き場がある事。

と色々あるのだがやはり立地と広さが気に入ったからだそうだ。


因みに国土交通省の定める都市部における住居誘導水準なるものがあり、うちの様な3人家族の場合、床面積75平米以上が望ましいとされるのに対して、このフラットは3LDKの2バスルームで床面積が120平米あり、新宿御苑を見下ろす専用屋上100平米と広いルーフバルコニーを備えている。

また2020年に東京オリンピックが開催されれば、国立競技場からも近く、新宿御苑ビューのこのマンションの資産価値は爆上がりだろうと思われる。


そして俺の留学中、我が家には原発事故の補償金9000万円が支払われていた。

お陰でローンを組まずにマンションが買えた訳だが、実はその原資は国民の税金で賄われており、現在も家族3人分として毎月30万円の精神的慰謝料が支払われ続けているお陰でマンションの維持管理費に加え、夢の島のヨットの係留費用までそれで相殺されている。

親父のヨット仲間に財産を隠して生活保護を受けている元ヤクザの組長がいるそうだが、まあそれと似たようなものだろう。

また震災前に住んでいた沿岸部の町でも補償金を貰い新築の家を建て高級車を買う連中と家が壊れても住宅ローンが残った人達の間では心のシコリが出来ていると言うし、杏子の居た避難住宅の中でも元の居住地が原発から30キロ内と30キロ外では、何千万円もの補償が出る出ないで、対立が起きて居たという。


俺はふと昨年夢の島の避難所で3ヶ月の間一緒に過ごした連中の顔を思い浮かべた。みんな不安の中で過ごしていたが、その反面合宿みたいで楽しかったこともある。


ふと我に帰った俺は杏子を迎えに行くべく、エレベーターを降りた。


バイク置き場に置かれたそのサイドカーは海外のカスタムショップが仕上げたかのような見事な出来栄えだった。太いブロックタイアを履かせたスクランブラーと言われるタイプで、オンロード用バイクをダート走行が出来るようにカスタムしたものだ。ベース車両は旧車で単気筒のホンダGB250クラブマンだが、エンジンを競技用オフローダーのモノと取り替えてあり、その440ccの太いトルクのSOHC単気筒エンジンは7500回転で40馬力を絞り出す。また単気筒エンジン独特の突き上げる様な振動はバランサー及び強化フレームに後付けした振動吸収ダンパーよって改善されていた。

また前後ディスクブレーキ、インジェクター、ABSなどを装備し、そのクラッシックな見た目とは違い、最新のバイク同様の装備が付いている。

そこに脱着可能なコンパクトな鉄製の舟を付けているのだが、その舟を含めたサイドカーのワイドは1300ミリしかなく、道の狭い東京では割と取り回しがしやすい。

やはり補償金で購入したと言う文京区千石のマンションの前で杏子を拾った俺は夢の島へ向けてサイドカースタートさせた。


その「スカルピアーネ」と書かれたラベンダー色の帆を持つ白いスタイリッシュなヨットの後部デッキでは両親がBBQの用意をして待っていた。

週末別荘を兼ねた我が家のヨットは全長13m、幅4.5mの幅広型のモダンなセイラーで船体上部に操縦席を兼ねたサロンのあるタイプで007に出て来そうな洒落たデザインのボートだった。

両親がシンガポールで購入し持ち帰って来たもので、前の船との違いは、この船の持つプレジャーボートの様な居住性の高さにある。


親父が先日講演先のお土産に貰ったという三田牛は口の中で溶けるようですこぶる美味かったが、杏子は俺の両親と会った緊張からか、いつもより少食でかつ何度もこちらを見て頷いていた。


親父が海保を退職後に開設したネット動画のチャンネルを見た視聴者、特に女性層からの反響は大きく、杏子も例外ではなかったらしく、親父に話しかけられた杏子が始終アワアワだったのには笑った。


白系ロシアの血を引く欧米人に見劣りしないバランスの良い長身に指揮者のフォン・カラヤンばりの風貌から溢れる低いハスキーボイスで訴えかける親父の動画は息子である俺が見てもすこぶるカッコ良く、「男の証」を感じさせるそのプロモは瞬く間に世界で拡散され、瞬く間に1億回以上の再生を記録しており、ファンだというイタリアの女性視聴者などからは「日本のジェームズボンド」とコメントが寄せられた他、後援者からの接待で訪れたロシアンパブでもお姉さん達にモテモテだったと聞いて居る。


また母のリンダはイタリア人で、盾に逆さのサソリを配した紋章を持つシチリアのスカルピア男爵家の出で、親父がケンブリッジの大学院に官費留学している際に、ケンブリッジのヨットチームで知り合った。


また母は地下鉄テロによる精神的後遺症に長く苦しんでいるが、紫色の物を見ていると気持ちがかなり和らぐため、また身の回りの物にも紫色が多く知人達からは「紫の君」と呼ばれている。そのおかげで俺や親父の持ち物や服にも紫系が多い。因みに今日は両親とも揃いの紫色のポロシャツにパープルのコンバース姿だった。


そして親父が役員として招かれたセキュリティ会社は「ジャパンユニバーサルサービス株式会社」=《JANUS》は警察や海保といった主に公安職の公務員の天下りの為に作られた会社で、元警察官僚の社長の元、セキュリティ、レジャー、不動産の3つの柱を持ち「公共施設や公共イベントの警備など」といったお手盛りの仕事も多く業績は安定しており、後発の不動産部門でもセキュリティ性の高い分譲マンションの販売が好評で来年上場に向けて準備中という優良企業だ。

また本家「ジェームズボンド」が勤務している事になっているMI6のフロント企業が「ユニバーサル貿易」なのは有名だが、「日本のジェームズボンド」と呼ばれる親父の再就職先が、「ジャパンユニバーサルサービス」と言うのも洒落が効いている。

更にギリシア神話に登場するJANUSは「門の神」であり、そして表と裏に二つの顔を持つ神でもある。

そうJANUSは表向きの顔は「セキュリティ会社」だが、裏の顔は特定アジアに対して日本防衛の為に作られたカウンターインテリジェンス機関兼、民間軍事会社という訳だ。

俺はこのネーミングセンスに些か関心した。


またこれから国内で予定されるカジノ計画に参入しようとしており、一応対外的に元将官という肩書きを持ち、かつアメリカや東南アジア諸国に顔が広い親父の存在は何かと都合がいい。


俺は杏子をサイドカーに乗せて、夢の島を出ると、葛西方面のラブホに入る。


ラブホでは先着のもう一組、会社員風の中年男と若い女の子のカップルが部屋を選んでおり、コスプレ用の部屋を選びエレベーターに消えていったが、俺と杏子はその女の子と偶然目が合う。

松田瑠衣だった。かって清楚だった瑠衣はしば会わない間に妖艶な雰囲気を身に纏っていた。

瑠衣はこちらを見て一瞬驚いたようだったが、すぐにすました顔に戻ると、口角を上げて少し笑った。

瑠衣が去った後、顔を見合わせた俺達は迷わず、コスプレ用の部屋を選ぶと、看護師と医師のコスプレ姿で大いに盛り上がったが、瑠衣の妖しい変貌に刺激されたのか杏子がいつもよりも燃えたのは嬉しい誤算だった。




















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