第8話 盗撮魔④

「亀田君、落ち着いて。ゆっくりでいいから、しっかり呼吸して」

「は、はい……」


 目の前には俺の腕から逃れ、息を荒くする亀田と、その亀田の背中をさする涼風さん。

 おいおい、なんでここに涼風さんがいる?


 予想外の事態に固まる俺に対して、涼風さんが視線を向ける。


「冴無君」

「は、はい!」

「正直、色々と言いたいこととか聞きたいことはあるけれど、私はあなたと約束したわよね? 忘れたとは言わせないわよ」


 キッと俺を睨む涼風さん。

 お、怒っている。

 いや、まあ端から見れば俺が亀田の身体を締め上げていたわけだから涼風さんの怒りも真っ当だ。


「……忘れてません。ただ、これには事情があるんです」

「分かってるわよ」


 その涼風さんの返答は予想外だった。

 分かってる? まさか、俺が何故亀田とああなったのか知っているのか?


「冴無君の様子がおかしかったから、悪いとは思ったけどあなたの後を尾行していたの。だから、あなたちの会話も聞いたわ」


 なんと。それは話が早い。

 なら、俺が亀田を縛り上げた理由も気付いているのではなかろうか。


「でも、それはそれよ。どんな理由があろうと、冴無君がしたことが暴力に該当することに変わりはないわ。私を守ろうとしてくれたことは嬉しい。でも、私にとって亀田君も冴無君も平等に守りたい人たちなの。冴無君には、安易に暴力を行使する人になって欲しくないわ」


 そう言う涼風さんの表情は、さっきまでのどこか怒りを感じさせる表情とは違い、少しだけ悲しそうだった。


 ああ、やっぱり涼風さんは綺麗だ。

 彼女の描く理想は美しく輝いていて、どこまでも眩しい。けれど、その理想は綺麗ごとだからこそ、きっと彼女はこれからたくさん傷ついていく。

 いや、あるいはこれまでも傷ついてきたかもしれない。

 それでも、彼女は自らの理想を掲げるのだろう。


 ……俺は愚かだった。

 俺が守りたいのは涼風さんだ。その中には彼女の理想もきっと含まれている。

 この、どこまでも人間の清らかさを信じている彼女の心が汚れ堕ちてしまうことのないように俺は尽力するべきだった。


「すいませんでした……。亀田も、ごめん」


 亀田に向けて深く頭を下げる。

 そんな俺の様子を亀田はポカンと口を開けて見つめていた。


「亀田君」

「あ、え……」


 涼風さんに呼び止められたことで、亀田は焦っているようだった。

 それはそうだろ。話を聞かれていたということは、涼風さんに亀田がしようとしていたことを知られたということだ。

 元々脅迫するつもりだったとはいえ、今この状況では涼風さんの味方といえる俺もいる。

 どう考えたって、亀田の方が追い詰められている。


 涼風さんは亀田に何を告げるのか。


 俺も亀田も涼風さんの次の言葉を待ち、口を開けなくなっている中、涼風さんは俺と亀田の足元に落ちていた封筒を手に取る。

 そして、封筒の中の手紙と写真を交互に見てから、亀田に視線を向けると、その封筒を亀田に握らせた。


「この封筒を私は受け取っていない。それで、今日は終わりにしましょう」

「「え……」」

「それじゃ、二人とも遅くならないうちに早く帰りなさいよ」


 呆気にとられる俺と亀田を背に涼風さんは旧校舎の出口に向け、歩き出す。


 い、いや、突っ立てる場合じゃない!


「涼風さん! その、いいんですか?」


 俺が言うのもなんだが、脅迫っていうのはそんな簡単に流せるようなもんじゃないはずだ。ましてや、今回は写真という証拠まで付いてる。

 なのに、これではまるで亀田を見逃すと言っているようなものだ。


 涼風さんは身体をこちらに向け、俺と亀田に視線を向ける。

 それから、彼女はフッと微笑んで見せた。


「いいも何も、今日は何もなかった。そうでしょ? 冴無君、亀田君、また明日」


 そう言い残して彼女は旧校舎を後にした。

 器が大きいというか、甘すぎるというか……だが、これで俺ももう亀田を追求することは出来ない。


 いや、まあ俺も涼風さんに見逃してもらったからな。これが彼女のやり方なんだろう。

 どこまでも純粋に人を信じている。


 愚かだと笑われるかもしれないその彼女の思いは、美しくて俺は好きだ。


「……なんで」


 ポツリと亀田が呟く。

 その表情は俯いているせいでよく見えないが、亀田が本当に困惑していることだけは伝わって来た。


 ここは涼風さんに一度許された先輩として俺からアドバイスを送ってやろう。


「亀田、実を言うと俺はお前を責める資格はない。だって、俺も涼風さんを脅迫したことがあるからな」


 亀田にとっては衝撃的な事実だったのだろう、凄い勢いで俺の方を見てきた。

 まあ、周りに脅迫したことがありますなんて人そうそういないもんな。


「その時も涼風さんは俺を責めるわけでもなく、貶すわけでもなく許してくれた。今後二度と人を不当に傷つけないと約束してな」

「……なにそれ。甘すぎでしょ」

「そうだな。でもさ、俺や亀田が傷つけようとした人はそういう人なんだよ。なあ、亀田。お前の言う通り、俺は冴えない奴だ。でも、こんな俺にも涼風さんは挨拶してくれるし、名前も覚えてくれている。俺は、そんな涼風さんの笑顔を曇らせてまで彼女の身体が欲しいとは、もう思えねえよ」


 亀田は何も言わない。

 ただ黙って、視線を下げている。


 そんな亀田の様子を一瞥してから、俺も旧校舎を後にした。

 旧校舎を出て、近くの木の影で待機していると、亀田が旧校舎から出て来た。

 その表情は暗く、何かに苦悩しているように見える。


 よし。じゃあ、亀田を追いかけるか。


 ぶっちゃけ今の亀田は涼風さんが魔法少女スピカの正体という証拠を握っている超危険人物だ。

 おまけに、今の亀田は心ここにあらずといった様子で危なっかしい。万が一、亀田の手にある封筒を落として誰かに写真を見られでもすれば一大事である。

 せめて亀田が家に着くまでは尾行させてもらおう。

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