拾漆

月曜日の16時に予約を取った八王子駅付近のホテルに翠、朱夏、玲奈の3人は来ていた。

本来なら翠は灰山裂の周辺の監視を行う時間だが、スーツ男に事前にホテルのチェックインの事を伝え免除して貰っている。3人で1週間の宿泊費用という事で小言は言われたが玲奈を押し付けた分の必要経費だと嫌味を返しておいた。


免除された理由の1つとしては常に複数人の監視を付けているので翠1人が居なくてもどうにか成るらしい。

そんな事情が有るなら最初からこんな仕事は依頼して欲しくないと思いつつ翠はフロントでチェックインの手続きを進める。

フロントの職員からは3人の関係を疑う様な視線を受けたが知った事ではない。

特に間柄を書く義務は無いしネットで事前予約していた内容と差異も無いので特に止められる事も無く部屋の鍵を3人分受け取った。


フロントに背を向けてエレベータに向かえば背後のフロント内で職員達が小声で何かを話している。

何か疑われているかと思って翠も朱夏も耳を立ててみた。


「え、3P?」

「エロい美女とJKってどんな欲張り?」

「ルックスは、まあ普通?」

「でもここ1週間先払いって凄くない?」

「資産家とか学生起業家だったとか?」


色々と妄想するのは良いが口に出すならエレベータに入ってからにして欲しい翠だが、朱夏は笑いを堪えて翠の視線に気付いて笑みを隠しもしない。

口の形だけで翠が『後で覚えていろ』と伝えてみれば正確に伝わったらしく朱夏は『やーい、変態ボンボン』と返した。


エレベータに乗り込んでからも翠と朱夏が睨み合っていると玲奈が加わって来くる。

流石に2人の様に口の動きで言い合いが出来る様な技能は持っていないので面白半分で加わっている様だ。

エレベータ内で悪戯っぽく睨み合いを繰り返した3人は部屋の有る階に到着して睨み合いを止める。

廊下を歩きながら3人はやっと会話を始めた。


「で、荷物を置いたら翠は直ぐに仕事?」

「そうだよ。全く、人使いが荒いったらない」

「翠さんって仕事熱心には見えないのに真面目ですよね」

「何か矛盾してるわよね」

「好き勝手に言ってくれるよ」

「駄目ですよ朱夏ちゃん。翠さんが居なかったら私達は路頭に迷ってたんですから」

「それもそうね」


そんな話をしている間に部屋に到着して翠の鍵で入室した。

室内は外国人や遠方からの家族旅行で使う様な4人で数日泊まる設備が整っている。

カウンターキッチン付きのリビング、シングルベッドが2つ設営された寝室が2部屋、2人で入浴出来る程の浴槽の有るバスルーム、トイレは洗面台やバスルームとは完全に別室にされている。


「ネットで見た写真でも思ったけど、普通の2LDKにしか見えないわね」


朱夏の感想に玲奈が同意している間に翠はリビングでキャリーケースを開いて自分の荷物を取り出して寝室に運んだ。


「じゃ、俺はこの部屋で2人はそっちな」

「玲奈さんの2人部屋にしてあげましょうか?」

「馬鹿言ってんな。サポートするって言ったの忘れるなよ」


言い返しながら仕事用に召喚器をポケットに押し込み朱夏との連絡用イヤホンマイクのケースをジャケットに仕舞う。他には外出用の財布やスマートフォン、スマートウォッチを持った。念の為にスマートグラスもジャケットの内ポケットに入れる。

リビングに戻ってみれば玲奈が少し赤い顔をして2人分の荷物を部屋に運んでいた。

朱夏はノートPCを開いてスーツ男から提供された妖魔探知アプリを確認しているらしい。


「行ってらっしゃい」

「頑張れってね~」

「はいはい~」


2人の見送りを受けながら部屋を出た翠はフロントに外出を伝えて鍵を預け、代わりに鍵の引換券を貰った。

引換券には翠の名前が印字されておりフロントで部屋番号を伝えて初めて鍵と交換出来る。


ホテルを出た翠は部屋番号を念の為にスマートフォンのメモ機能に部屋番号を記録しホテルに入る前に見直す事にした。

そのまま駅に向かって歩き出す。

灰山裂の現在地点は学校から自宅に向かって移動しており特に寄道もせずに帰る様だ。


……さて、楽な仕事に成ると良いなぁ。


夕方、学生とビジネスマンでごった返す駅前を面倒に感じつつ電車に乗り込んだ。


▽▽▽


灰山裂の護衛は簡単だった。

異端鬼で影鬼に所属しているという意識が強いのか基本的に学校、影鬼図書館、家の他にはあまり出歩かない。

猫の様に自分の家の周りを夜中に散歩している日も有るが異端鬼からすれば妖魔を狩る為に見える。


……この様子じゃ灰山裂は自分のアプリが操作されてるって気付いてないかな。


人間とは自分の日常が誰かによって用意された物だとは感じ辛い。

翠もスーツ男からアプリを操作していると言われなかったら考えもしなかっただろう。

ただ自分も同じ様に動向を操作される可能性が有ると分かったのは収穫だった。


最初は1週間という事だったがスーツ男からの連絡は無い。1週間の予定の内の4日目だが継続の依頼が来るのか終了の連絡が来るのかも分からない。

監視は15時から20時までなので他の時間は自由だ。

そんな訳で翠は午前中と真夜中は朱夏や玲奈と八王子周辺を探索したり遊戯施設を楽しんでいる。


「そう言えば、灰山君というのは翠さんから見てどんな男の子なんですか?」


監視からホテルに戻ってみれば室内のキッチンを利用して玲奈が夕飯を完成させていた。朱夏がアプリを使って翠の位置を追っていた為に戻る時間も分かったのだろう。

リビングに並べられた料理を有難く頂いている時に玲奈からそんな質問をされた。


「何て言うか、外観は落ち着いた印象の普通の男子高校生だな」

「写真だと眼鏡を掛けてたけど、アレは伊達よね?」

「気分で掛けたり掛けなかったりしているみたいだ」

「へぇ、お洒落に気を遣う男の子なんですね」

「う~ん」

「アレ、違うんですか?」


「いや、何て言うか、そんな事に気を遣うタイプに見えないんだ」

「どういう事よ?」

「多分だけど、アイツは本当の意味で鬼だ」

「本当の意味って?」

「自分の精神を完全に制御下に置いた、訓練を完了した業炎鬼系の鬼」


「マジで?」

「えっと、業炎鬼系の鬼は訓練で感情の無い機械みたいな精神構造に成るんでしたっけ?」

「社会生活に支障が出るから普通の会話が出来る様に訓練するのよ」

「お、流石は業炎鬼系」

「あ、そう言えば朱夏ちゃんは実家では自分を機械みたいにする訓練をしていた、という事ですか?」

「してたしてた。でも根本的に向いてなかったからねぇ、途中からは精神的な修行じゃなくて戦闘訓練ばっかりに成ったわ」


そんな物かと聞き流していた翠だが、玲奈は戦闘訓練と聞いて朱夏に傷が有るのではないかと心配して朱夏の身体を観察し始めた。

確かに朱夏の肉体には訓練の時に受けた傷が残っているが気にしていない。

荒事を生業にしている者達と一般人の差が出たが3人は別に自分達の差を気にしない。

朱夏も玲奈の視線の意味を理解して適当に手を振って気にするなと示す。


「私の話は良いから、灰山裂の話よ」

「そういや朱夏は同い年じゃね?」

「そう言えば17歳ですよね」

「だから灰山裂の話だって。鬼として完成しているってのは何で感じたの?」

「あ~、放課後に他の生徒と帰ってる時とかは表情の変化は少ないけど普通の高校生の範囲なんだ。でも1人に成った途端に完全に表情が消える。普通の無表情じゃなくて、機械みたいな無機質な無表情ね」


「そう言えば叔父さんとかは機械みたいな無表情だったわね」

「機械みたいな無表情って、どんな表情なんでしょう?」

「あ~、俺の語彙力だとちょっと説明出来ないかも」

「う~ん、近い物としてはAIの会社とかが作る人に限りなく似せたロボットが有るじゃない? あんな感じ」

「あ、それだ」

「成程。それは事前に知らないで見たら怖いかもしれないですね」


玲奈は頭の中で朱夏に見せて貰った灰山裂の写真にテレビで見たAIロボットの人間味の無い無表情を重ねてみて苦虫を噛んだ様な顔に成る。会った事も話した事も無い相手を怖いというのは失礼かと思ったが、思ってしまったのは仕方が無い。

そんな玲奈の善性に感心しつつ翠も朱夏も夕飯に箸を伸ばす。

灰山裂の想像を終えて玲奈も食事に戻った。


「結局、何で灰山裂に異端鬼の仕事をさせたく無いのかしらね?」

「あぁ、ちょっと黙秘で」

「何か知ってるの?」

「と言うか想像が出来る。ただ理由としては弱くてね、影鬼の立場的にも確証が無いって意味でも話せない」


「まあ私は本当は家政婦だしこれ以上は聞かない方が良いか」

「察してくれてサンキュ」

「でも朱夏ちゃん、最近は家政婦らしい仕事をしてませんよ?」

「おい給料泥棒」

「玲奈さん、しー、しー」

「うふふ。じゃあ事務所に戻ったら掃除をお願いしますね」

「くっ、しまった」

「玲奈さん強いなぁ」


いつの間にか強かに仕事を押し付けられるだけの話術を覚えた玲奈に感心しつつ、翠は朱夏へ笑みを向けた。


「な、何よ」

「いや、仕事しない家政婦なら金払わなくても良いのかなって」

「ごめんなさい頑張ります許して下さい」

「翠さん、あまり朱夏ちゃんをイジメないであげて下さい」

「玲奈さ~ん」

「よしよし~」

「いや、最初に朱夏を追い詰めたの玲奈さんだからね?」

「あ」

「バレてしまいました」


泣き付いた朱夏の頭を撫でてあやす玲奈に翠がツッコミを入れた事で玲奈の策略が暴かれた。


「そ、そうよ! そもそも玲奈さんが言わなければこんな事に成らなかったわ」

「まあ根本的に朱夏が仕事してないのが悪いんだけどな」


思わず沈黙した朱夏は離れかけた玲奈に強く抱き付いて顔を胸に埋め犬が土を掘る様に顔を左右に小さく振った。


「ちょ、くすぐったいですって、あははは」


別に玲奈は胸が特別に大きい訳では無いが、朱夏が顔を埋められるだけの大きさは有る。外出するつもりも無いのか下着を付けていない事もあり朱夏が顔を振る度に形の良さが分かる程度にシャツを押し上げる。


……最初は警戒してたのに懐くもんだな。


適当な感想を抱きつつ翠は玲奈が作った油淋鶏を頬張った。

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