魔装ー悪鬼断罪ー

参拾

　裂（さく）が四鬼（しき）3人と池袋地下迷宮を探索している頃、影鬼（かげおに）と四鬼の上層部では霞（かすみ）が胸ポケットのボールペンに組み込んだ監視カメラの映像を見ていた。

　地下迷宮にはある程度の感覚を取って独立したネットの中継地点が設（もう）けられている。その為、多少のラグは有るがボールペンが撮影した映像は権限（けんげん）さえ有れば常（つね）に監視可能で映像も記録されている。

　これは今までの反省からステルス妖魔の発生の瞬間を捉え、今後に類似の妖魔が確認された際に参考にする為だ。

　そんな映像を麻琴（まこと）は潤（じゅん）と共に池袋駅の地下打合せ室で共に見ていた。

「これ、私が見る必要有るのかしら？」

「私もこれについては疑問ですね。ただ、メインは灰山裂の情報では無いのでしょうね」

「龍牙（りゅうが）君ね。全く、何を考えているのかしら」

　池袋地下迷宮の映像を見始める前に影鬼本家から真打（しんうち）の名義で潤から麻琴に報告が有った。

　内容は龍牙がステルス妖魔の発生の原因と研究所の写真をネット上に流出させた事だ。

　つまり影鬼家が何かしらの形でステルス妖魔の発生に関与（かんよ）していると示す内容なのだが、四鬼側はまだ情報流出の犯人を特定出来ていない。

　影鬼が把握出来たのも龍牙の護衛と監視を兼任（けんにん）する者が影鬼真打に報告した為だ。

　潤には口頭で伝えられ、秘匿（ひとく）情報の為に文章化やデータ化は禁止とされている。

　律儀に守る程の理由は麻琴には無いが、監視されているだろう現状で命令無視は面倒の種に成る。

　大学受験の共通試験は既に終了しているし、その前に滑り止めの私立大学入試で合格通知は貰っている。

　受験生という意味では後は第1希望の結果発表を待つだけだが、予定では合否判定は手紙で来週に届く予定だ。それで不合格なら2次試験は受けずに滑り止めに行くので麻琴が受験について出来る事は終わっている。

　仕方が無いと溜息（ためいき）を吐（つ）いて池袋地下迷宮の様子を見ているが、代（かわ）り映（ば）えのしない通路の映像は飽きる。

　気を許した潤の前なので思い切り欠伸（あくび）をしながら両手を組んで天井に向けて身体を伸ばした。

　明らかに気が緩（ゆる）んでいるが潤は特に叱責（しっせき）はせずに自身も両手の指を組んで前に身体を伸ばし、備え付けの簡易キッチンでインスタントコーヒーを2人分用意した。

「どうぞ」

「ありがとう。下手にミルクや砂糖を入れると本当に寝ちゃいそう」

「刺激物じゃないと却（かえ）って眠気が誘発（ゆうはつ）されますからね。私も普段なら砂糖を1つ入れるところですが今回は入れない方が良さそうです」

　室内は小規模なオフィスの様になっており簡易キッチンには小さな冷蔵庫と電子レンジも置かれている。オフィスにはモニターが乗った大きな折り畳み机が1つ、パイプ椅子が2つと潤と麻琴用に設備が調整されていた。

「それにしても、まさかこの短期間に四鬼側の施設に何度も入る事に成るなんてね」

「ここまで目まぐるしいのは私も初めてですね。古株（ふるかぶ）の職員に聞いても相当に珍しい状況の様です」

「アイツの不運に巻き込まれた気分だわ」

「あぁ、前に運が無いって言ってましたね」

　そんな話をしている間に四鬼の2人が連携して4体目の妖魔を討滅（とうめつ）した。

　小型の妖魔を相手に左右や上下の連携を駆使（くし）しており魔装（まそう）無しでも油断はしていない事が分かる。

「近接（きんせつ）での連携がスムーズね」

「あの2名はバディを組んで6年らしいですよ」

「よく続くわね」

「お嬢様と灰山裂だってそろそろ5年でしょう」

「密度が違うと思うけどね」

「確かに」

　麻琴と裂は学生がメインで妖魔関連の仕事の時だけ連絡を取っていたが、彼等は仕事がメインで連絡を取る密度も行動を共にする時間も多い。麻琴と裂が互いの事を名前と性格くらいしか知らないのに比べれば竜泉（りゅうせん）と斧前（ふぜん）は相当に互いの事を知っているだろう。

　潤もそれは想像が付いたので特に反論はしない。自分も学生時代に影鬼の仕事に関わった際には、その中での人との関係性は一時的な物に成りがちだった。

「しかし、今回の件では見えない相手を追い掛ける根気（こんき）が試されますね」

「妖魔に関係の無い犯罪ではこんな捜査が多いんでしょうね。捜査官や警官って凄いわね」

「私達には無理ですね」

「まあ、犯罪組織がそんなに生真面目（きまじめ）で根気が有ったら転職をお勧めするわね」

「ふふ。犯罪組織から抜けられないでしょうけどね」

「抜けようと思ったら簡単に抜けられる犯罪組織って、直ぐに潰れそうよね」

「情報も資産も簡単に持っていかれますからね」

　簡単に抜けられる犯罪組織なら犯罪組織と社会的に認識する前に消滅する可能性が高い。警察や報道機関が認識する頃には下手をすれば別組織に吸収されて別組織の勢力拡大に利用されている事も考えられる。

　正（まさ）に犯罪組織に所属している2人は苦笑を交わしながらモニターに視線を移した。

　昼食済ませた13時から4時間程の探索で巡回ルートを周り終わった様で竜泉と斧前が霞と裂に振り返って帰還（きかん）の提案（ていあん）をしている。

「終わりかしら。流石に長かったわね」

「両組織の人間達はきっと後でハイライトですよ」

「やっぱり私が4時間付き合う必要無かったわよね」

「無いですね」

「自棄食（やけぐ）いしてやるわ」

　麻琴が本当に怒っている事は理解しているが自分に被害は無いのが分かっているので潤は気にせずコーヒーを淹（い）れた紙コップを下げた。

「今日は不発ですね。次は渋谷の地下を狙うそうなので来週の土曜日ですね」

「またこんな長時間拘束（そうそく）されるのは困るわね」

「別に楽しい物でもないですからね。これが映画とかならまだエンタメとして楽しめるのですが」

「そうよね。しかもちゃんと監視するメンバーが他に居るって知っているのが余計に徒労感（とろうかん）が有るわ」

　麻琴も席を立って潤に促（うなが）されて会議室を出る。

「それより、情報リークについてはどうするのかしら？」

「私にも何の指示も有りませんね。情報統制だけです」

「出禁も無し？」

「はい。これは灰山裂への対応も同様です」

「本当に何を考えているのかしらね」

　麻琴の深い溜息を潤がヒールで鳴らす足音が掻き消していく。

　潤は反響する話声（はなしごえ）を多少なりとも掻き消す為に意図的に足音を響かせており、彼女はこの状況でも本当なら足音を出さずに歩く事が出来る。

　麻琴も今までの経験から潤が意図的に足音を出している事は分かっているので声量（せいりょう）は隣に聞こえる程度に押さえつつ、内容は選ばずに話している。

　どう考えても地下迷宮の探索を4時間も見せたのは時間の浪費（ろうひ）で、龍牙の事を潤から麻琴に伝えるだけなら池袋駅地下でなく図書館で充分だ。

　折角（せっかく）の受験後の休みを潰されて麻琴はご立腹（りっぷく）で池袋地下通路を歩いていく。潤に八つ当たりするのは嫌だし、八つ当たりしたら優しく受け止められてしまう関係性だ。

　麻琴の勝手なイメージだが潤は麻琴が八つ当たりする程に自分に甘えた態度を取ったら喜びそうだ。流石にそれは麻琴も恥ずかしいので八つ当たりはせず、大きく息を吐いて自棄食いしようと心に決めた。

　そんな麻琴の様子を1歩後ろで見ていた潤は麻琴の人間的成長を嬉しく思いつつ、甘やかせない事を多少残念に思い、ふと足を止めた。

　潤の足音が唐突に止まった事に驚いて麻琴が振り返ると潤が顔を真っ青にしてコートの下に仕込んだ銃とナイフを確認していた。

「もしかして？」

「分かりません。ただ、空気が変わった感じがします」

　潤に言われて硬直した麻琴は耳を澄（す）ませてみる。

　裂の今までの報告を考えればステルス妖魔を認識するには視覚（しかく）よりも聴覚（ちょうかく）、触覚（しょっかく）、嗅覚（きゅうかく）の方が重要らしい。

　今までのステルス妖魔が確認された環境では裂や四鬼といった力の有る者が近場に居た。

　だが今の麻琴と潤が居るのは池袋駅の構内に近い為に護衛の異端鬼（いたんき）は付けていない。以前は四鬼が近くの会議室を使用しているので無口な異端鬼を護衛に付けていたが今日は護衛を付ける条件に当て嵌まらなかった。

「もし本当なら失態を責める前に上層部に文句を言いたいわね」

「灰山裂レベルの異端鬼なら数人居るのですけどね」

　そう言って潤は念の為にスマートフォンを取り出して近場に居る影鬼所属の異端鬼に救難信号を出した。

　最短でも合流には5分は掛かる位置だし、本当にステルス妖魔が居れば下手な動きを見せた瞬間に迷宮に取り込まれるかもしれない。

　潤は黒子として戦闘は可能だが麻琴の戦闘力は高くない。キックボクシングは習っているがエクササイズ目的が強く実戦で使える物ではない。

「居たとして、戦える？」

「無理ですね。迷宮内の小型妖魔なら多少は捌（さば）けるでしょうが主（あるじ）とは勝負にも成りません」

「仮に巻き込まれたら他の鬼が入って来るのを待つしかないわね」

　緊張感を持ちつつ背中合わせに成って通路を見た2人だが、先に潤が聴覚で金属質の足音を捉えた。

　魔装の様な金属の靴が発する足音だが、距離と音量が比例しない。

　裂の報告に有った様な吐息（といき）は聞こえないが、足音の距離は近い筈（はず）なのに音量は小さい不思議な状況だ。

　足音の発生地点を聴覚だけで追うと10メートルも無い位置に相手が居なければ可笑（おか）しいのだが音量は非常に小さい。ヒールでもなくスニーカーでの足音の様な音量なのに音そのものは金属音という不釣（ふつ）り合（あ）いさに潤は目を細めた。

　少しずつ、足音の主が輪郭（りんかく）を現した。

　今までは生き物らしい妖魔だったが、見え始めた輪郭の主（ぬし）は全身を金属の鎧で覆（おお）っている。肩、肘（ひじ）、膝（ひざ）から鋭い突起（とっき）が生（は）えており兜（かぶと）は2本の角が流線形（りゅうせんけい）に後頭部に向けて生えている。

　鎧は草紋（そうもん）で縁取（ふちど）られており、輪郭が明瞭（めいりょう）に成るにつれて鎧の表面は灰が積み上がった様に細かい凹凸（おうとつ）に成っている事が分かる。

「灰燼鬼（かいじんき）？」

「へ？」

　潤の言葉に驚いて振り返った麻琴が見た時にはステルス妖魔は潤に対して6メートルの距離に迫っていた。

　麻琴が見た時には既に輪郭はかなり明瞭に成っていた。裂の灰燼鬼を見慣れている彼女から見ても灰燼鬼と言える特徴を揃えている妖魔だ。

「潤！？」

　状況の拙（まず）さに麻琴が悲鳴を上げて潤の肩を掴み逃げる様に身を翻（ひるがえ）す。

　今までステルス妖魔に遭遇（そうぐう）した者達が逃げられた実績は無いが、それは抵抗する能力が有るから身構えただけだ。

　抵抗する能力の無い麻琴と潤は可能な限り距離を取り、巻き込まれるにしても潤が出した緊急連絡に集まった異端鬼と合流を目指すのが最善だ。

　最（もっと）も戦闘力の無い麻琴だからこそ逃走を選べた訳で潤も直ぐに麻琴の意図を察（さっ）した。バックステップで妖魔から視線を外さないまま後退し、拳銃を発砲（はっぽう）する。

　まだ完全に実体化していない状態で銃が効（き）くかは不明だったが潤は牽制（けんせい）しつつ後退を続ける。

　後ろを向きながらの逃走でも麻琴から少し遅れた位置を保（たも）つだけで潤と麻琴の身体能力の差が分かる。

　ただ壁の事を考えるとずっと後ろを見ている訳にもいかない。

　3発程の乱射の後、振り返ってステルス妖魔から全力で距離を取る為に走り出す。

「効果は有った！？」

「無いです！」

　潤が見た限り弾丸は鎧の妖魔を擦（す）り抜（ぬ）けて背後に飛んで行った。

　鎧に対しての着弾音を発する事も火花が散る事も無かったので擦り抜けたのは事実だろう。

　今までステルス妖魔に取り込まれる前に触れられるかの情報は無かったので1つ情報が増えたと言えるが、命の危機となればそんなにポジティブには成れない。

　潤の方がまだ修羅場（しゅらば）を経験しているので焦った様子は無く、逆に麻琴はパニックで悲鳴を上げる直前だ。

　そんな麻琴の様子を察して潤が背後を軽く見てみるとステルス妖魔がほぼ実体化を終えて2人に向けて歩く姿勢から走る姿勢に移っていた。

「お嬢様、時間を稼（かせ）ぎます」

「無理に決まってるでしょ！」

　麻琴だって異端鬼ではないが魔装を装着している者と生身の者の戦力差はよく知っている。時間稼ぎすら無謀（むぼう）な事は反射的に計算できる。

「四鬼のテリトリーなんだから妖魔反応は拾（ひろ）ってる筈よ！　今は逃げるの！」

　パニック直前で有りながら麻琴は思考を止めていない。思考した結果、異端鬼との合流は非現実的であり地下施設を利用している四鬼の方が近距離に居る可能性が高いと考えていた。

　事実、座標で考えれば裂達の方が潤が連絡した異端鬼よりも距離が近い。

　彼我（ひが）の戦力差を理解している為に麻琴の安全を優先する潤。

　四鬼を利用してでも2人で助かる事を考える麻琴。

　2人の認識と価値観の差が行動のズレを生んだ。

　潤は床を滑（すべ）りながら振り返り、走り始めた妖魔に向き直った。

「ありがとうございます。ですが、これは譲（ゆず）れません」

　潤の言動に歯を食いしばり麻琴は合理的な判断として潤の説得は諦（あきら）め、一瞬だけ速度を緩（ゆる）めてしまったが振り返らずに全力で走った。

　振り返った潤と妖魔は2秒もせずに接触し、潤は左手に逆手（さかて）で持ったナイフで妖魔を迎撃（げいげき）する。

　潤を掴（つか）もうと伸ばされる右手を床目一杯（めいっぱい）まで屈んで躱（かわ）し、右膝を切り付ける。

　火花が散り、灰燼鬼の魔装を削った時と同様に薄っすらと灰を散らしながら魔装の表面に傷が付く。その切傷（きりきず）が靄を伴（ともな）って元に戻る。

……灰燼鬼と似ているが、妖魔である事は確定ですか。

　潤がそう判断した瞬間、背後から急に引っ張られる感覚を覚えて反射的に背後を見た。

　灰が円（えん）を作り、太陽の表面の様に灰が踊（おど）るゲートが有る。

　中心に灰は無いのに真っ暗で向こう側は見えず、吸引力（きゅういんりょく）はその中心から発せられている。

……10秒すら稼げませんか。

　自嘲気味（じちょうぎみ）に笑みを浮かべ、潤は最後の足掻（あが）きに右足を妖魔の股下（またした）から左足に搦（から）めゲートに吸い込まれる事に抵抗する。

　即座に左肘で上から叩き潰されて悲鳴と共に右足を外される。

　それでも、麻琴が逃げる為の1秒は稼げた。

　気絶しそうな程の痛みを歯を食いしばって耐え、ゲートに吸い込まれながら妖魔の顔面を銃撃する。

　ダメージは無くとも視界の周辺で火花が散ればそれだけ麻琴を補足するのに時間が掛かる。

　出来る事はやり尽くした。

　その満足感に潤は笑みを浮かべて妖魔に唾（つば）を吐（は）いてゲートに吸い込まれていった。