第2話 3

 ルークス子爵の館は、領都郊外の森に囲まれた場所にあるという。


 領都の入り口を守る衛士に教えてもらったのよね。


 件の孤児院も、その森の中にあって、領主館へ至る道の途中で枝分かれした道の先にあるのだという。


 お嬢様の指示で、わたしとバルドは孤児院への差し入れで配る、お菓子などを目抜き通りで買い揃えた。


 そして今、わたし達は孤児院の前にいる。


 横付けした獣騎車を降り、お菓子を詰め込んだ紙袋を抱えたバルドが降りると、わたしは次いで降車するお嬢様に手を差し出す。


「――ありがとう、ティナ」


 笑顔で労ってくれるお嬢様も麗しい。


 その間にもバルドは、獣騎から降りたトムに紙袋を預けて、孤児院の入り口へと向かう。


 街で聴き込みしたところによると、この孤児院は領主によって運営されているらしい。


 一昔前なら、孤児院はこの国の国教である、太陽の女神テラリス様の社殿か、生と死を司る女神サティリア様の教会が運営していたものだけど。


 近年では、領主が孤児院を運営する事も珍しくなくなっている。


 というのも、例の第二皇女殿下が打ち出した政策が関係しているのよね。


 殿下は昔から、市井の貧しい人々の生活補助に心を砕いてこられたのだけれど。


 留学先のホルテッサで、スラム民を立ち直らせた政策を学び、それをこのミルドニアでも実践なさったのよね。


 その政策のひとつが、国が孤児院の経営に補助金を出すというもので。


 孤児の生活を保障し、しかるべき教育を受けさせる事がその条件。


 しっかり監査も入るそうなのだけれど……もし厨二ノートが真実なら、ルークス子爵は補助金を横領している事になるし、監査員も抱き込まれてる可能性が出てくる。


 そんな事を考えている間にも、バルドは孤児院のドアをノックし、現れた中年男に来訪目的を告げていた。


 ――新聞で紹介されていた、貧しい孤児院に篤志を。


 皇女殿下の政策がある以上、今は貧しい孤児院なんてあり得ないんだけどね。


 ……領主が補助金を申請していないか、横領でもしていない限りは。


 寄付と聞いて、中年男――院長だそうだが――は、満面の笑みでお嬢様を迎える。


 わたし達は院長に先導されて、客室に通される。


 トムだけは、荷物を院長に手渡すと獣騎車の警備に外に戻った。


 お嬢様が進められたソファに腰掛け、わたしとバルドはその背後に控える。


 院長はお嬢様の向かい席に腰をおろした。


「……孤児院という割には、子供達の声が聞こえませんのね」


 勧められたお茶に手をつける事もなく。


 いきなりぶっこんだお嬢様に、わたしとバルドは思わず苦笑。


 それに気付かずに、院長は笑みを崩さずに。


「普段はもっとにぎやかなのですけれどね。

 ――今の時間は昼食後のお昼寝の時間なのですよ」


 記者の取材もそう言って誤魔化したのだろうか。


 ずいぶんと説明に淀みがなかった。


「わたし、孤児の子の生活を聞いてみたかったのですけど……

 ――同じ歳くらいの子のお話をね」


 けれどお嬢様は怯まずに、含みを持たせた声色で告げる。


「小さい子と違って、わたしくらいの子なら起きてるんじゃないかしら?

 悪いけれど、院長。

 ちょっと見てきてくださらない?」


 お嬢様の言葉は、お願いするものだったけれど。


 なにせ公爵令嬢の言葉だ。


 平民の院長にとっては、命令以外のなにものでもない。


 しかもお嬢様の機嫌に寄付がかかっているとなっては、従うしかないでしょうね。


「そ、それでは見て参りますので、少々お待ち下さい」


 そう告げて。


 院長は愛想笑いを浮かべて部屋を出ていった。


 途端、バルドは堪えきれなくなったように腹を抱えて笑い出す。


「――お嬢、確信してらっしゃるんで?」


 バルドはお嬢様の前世云々の話は知らないから。


 この問いは、この孤児院の不正についてだ。


「トムの居た孤児院だって、お昼寝の時間はあったけど、お客が来ていて大人しく寝てる子なんて居なかったでしょう?

 ――アルドノートの名にかけて、この孤児院は悪よ」


 自信満々にお家の名を告げるお嬢様に。


「それではご用命に備えます」


 バルドは胸に拳を当てて敬礼する。


「ええ。働きに期待するわ」


 満足気にうなずくお嬢様に、わたしはそっと顔を寄せる。


 これはバルドには聞かせられない内容だ。


「――現れると思いますか?」


「あなたの調べだと、わたしと同じ年頃の子は、あの子以外は居なかったって話よ」


 前世のわたしが調べたという事だろう。


 たとえお嬢様の妄想だったとしても、その信頼を嬉しく思ってしまうわね。


 やがてドアがノックされて、ひとりの少女が姿を現す。


 赤混じりの金髪に碧の瞳。


 背はわたしと同じくらいに見える。


 目の下に隈を浮かべ、ひどくくたびれた様子の彼女は、怯えたような目をしてお嬢様に頭を下げた。


「……お、お呼びと聞いて来ま――参りました。

 ミナと申します」


 頭を下げたまま告げられた名前に、わたしは驚愕し、お嬢様は勝ち誇ったような表情でわたしを見上げる。


 事情を知らないバルドだけは、無表情を保って直立している。


 ……まさか本当に実在しているとは……


 そうなると、この後は獣騎車の中で話し合ったような展開になるという事……


 まずはミナ嬢から、この孤児院の悪事を聞き出して――


「お昼寝中に悪かったわね。

 まあ、かけてちょうだい」


 お嬢様に促されて、ミナ嬢は先程まで院長が座っていた席に腰をおろした。


「――院長は?」


「用があるから、あたしがお嬢様方をもてなすように、と……」


「……ふぅん」


 お嬢様は鼻を鳴らして、バルドを見上げる。


 ……ルークス子爵に知らせに行ったのかしら?


 同じ事をバルドも察したようで。


「――トムに確認して参ります」


 そうね。


 その為に――孤児院に出入りする者をチェックさせる為に、トムを外で待機させてたんだもの。


 バルドはそう告げると、会釈して部屋を出ていく。


 不安そうな表情を見せるミナ嬢に、お嬢様は優しく微笑まれて。


「気にしなくて良いわ。ただの業務連絡よ。

 それよりミナ。

 わたし、あなたのお話が聞きたいわ」


「……あ、あたしの話ですか?」


 お嬢様は貴族然とした、持って回った言い回しを好まない。


 師匠にみっちり仕込まれているから、できないわけじゃないのよね。


 ――性格上、好まないだけなのよ。


 ……だから。


「ええ。

 あなたがこの孤児院で、どんな仕打ちを受けているか、教えてくれないかしら」


 お嬢様の中で、孤児達がひどい扱いを受けているのは確定事項。


 あとは本人の証言が欲しい、といったところかしら。


「――え? え? あのっ!?」


 目を見開いて戸惑うミナ嬢。


 その横に移動して、お嬢様は彼女の手を取って優しく微笑む。


「心配いらないわ。

 わたしはの……」


 お嬢様の優しい声色に、ミナ嬢の碧の瞳が涙に潤む。


「思い出すのが辛いなら、一言で良いわ。

 おっしゃいなさい」


 ミナ嬢を胸に抱き、お嬢様はさらに優しく囁く。


「――あなたが助けを求めるならば、わたしがあなたを救ってみせるわ」


 それはアルドノート家の家訓であり、存在意義そのもの。


 ――声なき声に耳を傾け、目に見えぬ悪を義によって潰す。


 正しく……まさに正しく、お嬢様はアルドノートを体現なさってらっしゃる。


 ミナ嬢はついに堪えきれなくなったのか、大粒の涙をこぼして。


「……本当に、本当ですか?」


「アルドノートの名にかけて」


 彼女がアルドノートの名を知っているかはわからない。


 けれど、元貴族令嬢ならば、家の名をかける事がどういう事かは理解できるでしょうね。


 お嬢様の想いは、果たして彼女に伝わり。


 ミナ嬢は、お嬢様の手を強く握り返して告げる。


「――あたし達を助けてください!」


 強くはっきりと。


 途端、ドアが開け放たれて。


「――ミナ、てめえっ!」


 大柄な男が怒声をあげて踏み込んでくる。


「……盗み聞きなんて、はしたない事。

 ねえ、ティナ。こんな孤児院では、子供達の教育に悪いと思わない?」


 腕の中にミナ嬢を庇い、お嬢様は楽しげに告げる。


「……こんな孤児院、いらないわね」


 それは指令の言葉。


 貴族はこんな事、直接的な言葉で指示してはならない。


 まだお嬢様は、旦那様からお家のそういう教育は受けていないはずだけど。


 やはり前世の記憶で知っているのだろうか。


 ――いや、今はそんな事はどうでも良い。


「――お嬢様のお望みのままに……」


 わたしはお嬢様達に手を伸ばす男の前に割って入り。


 その腕を取って、腰を跳ね上げた。


 綺麗な弧を描いて男は宙を飛び、窓を割り砕いて外に飛び出す。


 物音を聞きつけたのか、複数の足音がこちらに向かってくる。


 ――さあ、お仕事の時間だわ。

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