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 俺の目的はこれでほぼ達成したことになり、後はここからさっさと逃げるだけだったが。正直、お偉いさんの額を撃ち抜いた瞬間、逃げることはもう「どうでもいい」と思えて来てしまった。やるべきことをやり終えほっとしたというか、力が抜けたというか。加えて、SEXtasyを投与され凶暴化する可能性のある自分は、施設内で尚も暴れ狂っているであろう兵士たちと、なんら変わらないのではという思いも、ふつふつと湧き上がっていた。つまり、自分もここで「終わりを遂げるべき」存在なんだと。


 そんな俺を見て、ガックリとうなだれていた橋本が顔をあげた。

「片山さん、どうしたんですか? まさか、ずっとここにいるわけじゃないでしょう?」


 橋本としては、うなだれている自分を俺が引っ張っていくものだと思っていたのかもしれない。しかし一向にその気配がないので、「なにやってんだ」と催促する意味もあるのかもな。


「ああ、このままここにいてもしょうがないな……。とはいえ、兵士たちの行動も読めないからな。こればっかりは、逃げ道をどう選択したところで、『絶対安全』とは言い切れない。俺はぶん殴られて気を失い、そのままここに連れて来られたからわからないが。橋本さん、あんたは車でここに来てるんだろ? 駐車場はどの辺りだ?」


 橋本は俺にそう聞かれて、かがんだまま少し背筋を伸ばして「うーーん……」と本棟のある方角を見渡した。立ち上がって背伸びをしたりすると、兵士たちに見つかる可能性もあると思ったのだろう。


「ここから上手く壁沿いに行けば、駐車場まで行けないこともないですかね。兵士たちが、そちらの方まで進出してなければの話ですが。ヘタをすると、駐車場の方まで占拠されてるかもしれない。そうなったらもう、お手上げですかね……?」


 橋本は不安そうに言いながら、俺の方を振り返った。俺と橋本の2人だけでは、日野の研究室の時のような「オトリ作戦」も使えないだろうしな。やるとしたら、完全に自分が犠牲になる覚悟でもう1人を逃がすしかない。橋本に「自分を犠牲にして」などという思いは更々ないだろうし、俺もそのつもりは全くない。



 己の内から湧き上がる衝動によって殺戮を繰り返し、特に行動目的や皆をまとめるリーダーなどがいるわけではない兵士たちの行動が、読めるはずもなかったが。しかし、目的もリーダーもない状態であれば、それぞれが勝手に行動をしている、つまり固まった「集団」としては行動していないのではと思われた。工場を出た時こそ「皆で一気に」暴れ出していたが、今は個々に、数名ずつに分散している可能性が高い。


 そして「本棟」は別棟に比べて、俺のいた監禁部屋やあの「イベント部屋」、その他の研究施設など建物内が細かく区切られている。ならば、十分に気を付けて進んで行けば、それほど兵士たちに遭遇することなく、意外に建物内は通り抜けられるのではないかと思えた。もちろん、十数名の集団に出くわしたらアウトだが、相手が数名なら俺の「野生」で対応出来るのではないか。トランス状態により完全なる暴徒と化している分、攻撃性や凶暴性は奴らの方が上だろうが、こちらにはまだ「頭脳」が残っている。それが何より、「勝機」に繋がると俺は考えていた。



 橋本が言ったように、壁沿いに駐車場まで行く手もあるが、もし見つかった場合に身を隠す場所がないし、咄嗟に武器に出来るようなものもない。建物内なら多くの部屋があるだろうし、部屋の中に「使えるもの」もあるはずだ。従って俺は、建物内を進んで駐車場に出る道を選択した。


 それを聞いて橋本は、「えええ、建物の中を行くんですか?!」と仰天したような声をあげていたが、壁沿いに行った場合の危険性を説明し、なんとか納得してくれた。そして俺は、お偉いさんが持っていた拳銃を橋本に手渡した。


「一応言っておくが、間違っても俺を撃つなよ。いや、もし俺が本能に取り憑かれちまって、完全に凶暴化してしまったら、その時は別だが。その判断は、あんたに任せる。一度建物内に入ったら、そこから逃げ延びるには俺の力が必要なはずだ。

 痛みを感じない奴らだけに、額でも撃ち抜かない限り、数発の銃弾を撃ち込んでも無駄かもしれないが。さすがに弾が当たれば反動はあるだろうし、上手く足にでも当たれば、骨を砕いて動きが鈍くなるかもしれない。俺の背中越しに遠目から撃つのではなく、物陰から急に飛び出して来た奴など限定で、至近距離から撃った方がいいだろうな。そうすれば狙いを付けるまでもなく、目の前に向かって撃てばいい。ただ、銃声を聞きつけて他の兵士たちが襲って来る可能性もあるからな。いずれにせよ、慎重に判断してくれよ」


 橋本は渡された拳銃を見つめ、「はい……わかりました。こういった銃器を扱った経験はないんですが、こんな状況でそんなこと言ってられないですからね。もちろん片山さんのことは、最後の最後まで当てにしていますよ」と、半ば自分に言い聞かせるかのように答えた。



 とはいえ俺の方も、最悪橋本に「背中から撃たれる」ようなことになっても、それはそれで仕方ないか……と思い始めていたことは確かだった。虐殺集団が暴れまわる建物内を通って行こうという選択も、文字通りの「自殺行為」なのかもしれない。政府の重鎮が関わっているような件に首を突っ込んで、監禁されたあげくヤバい薬物まで投与され、ここまで生き延びて来たことが奇跡なんだ。ここから生きて出られなかったとしても、なんら後悔することはない。俺は覚悟や諦めというより、いわば「悟り」に近いような境地で、本棟の中へと足を踏み入れた。

 


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