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「しかし、スマホを押収する前にUSBに転送していたのは予想外だったね。イベントがお開きになって個室から出るまでのわずかの間に、それをやっていた岩城という男もなかなか大したものだ。身体検査もしたのだが、USBは見つけられなかった。恐らく飲み込んでいたか、尻の穴にでも隠したか。そこまで徹底しきれなかったのは、私たちの落ち度と言えるがね。それから私たちは彼を尋問し、カインの製造場所を吐かせた。


 それがわかればもう十分だと、部下に岩城の処分を指示したのだが……尋問でボロボロになっているかと思い、部下も油断していたらしい。外へ連れ出したところで脱走を試みたものの、さすがに遠くまでは逃げきれず、すぐに捕えたそうだが。その前に、片山君宛てにUSBを投函していたのだろうな。逃げようとしたというより、なんとか投函する時間を作ろうと考えたんだろう。そして再び捕らえた岩城に、この件に関わっている者の名前――橋本さん、片山君、それに日野というカインの開発者だね。それを聞き出して岩城を処分した後は、日野の研究室と片山君の住むビルに、常時見張りを付けるようにした。そして今、君はここにいるということだ。


 君が自分で言ったように、本来なら君は、とっくに死んでいておかしくなかった。だが、そこにいる橋本さんの働きかけで、なんとか生き延びられたんだ。それも大いに感謝すべきだね。しかし……そこまであからさまに、反抗的な態度を取るようでは、致し方あるまい」



 お偉いさんはそう言って、テーブルの上にあった何かのボタンを押した。言うべきことは言い終えたので、これで終わりということか。まあ俺も、聞きたかったことは大体聞けたがな。


 すると背後のドアがカチャリと開き、黒服のSP2人が現れた。2人は俺の両側に回ると、左右から俺の腕をがっしりと掴み上げた。

「橋本さん、こういうことになってしまい、大変残念ではあるが。これからも、出来る限りの協力はする。よろしく頼む」

 お偉いさんの言葉を受け、橋本もため息をつきながら立ち上がった。

「はい……仕方ないですね。今日は申し訳ありませんでした」


 立ち上がった橋本は、再び深々と頭を下げると。SPに向かって静かに「行きましょう」と語りかけた。SPは俺の腕を掴んで立ち上がらせ、ドアの方へと向きを変えた。


「今回の接見は、私だけでなく、片山さんにも重要な意味を持っていたのに……あなたは、そのチャンスを反故にしてしまった。本当に残念です」


 橋本は静かにそう言うと、会議室を出る前に、もう一度お偉いさんに頭を下げた。俺たちは葉巻を咥えた無言のお偉いさんに見送られながら、会議室を後にした。



「本当に残念、か。やっぱり俺も『処理』されちまうのかな?」


 2人のSPに腕を掴まれながら、俺がそう問いかけると。橋本は「やれやれ」といった顔をして、俺の問いに答えた。


「先日申し上げましたように、片山さんは『その状態で生きている』ことが何よりその存在価値ですから。簡単に処理などさせませんよ。しかし、今日のような態度を取ってしまっては……その行動に、ある程度の制限を設けるしかないということです」


 ある程度の制限……俺はそれを聞いて即座に「あること」を思いついた。

「……ロボトミーか?」


 橋本は何も言わず、「こくり」と頷いた。


 大脳の前頭葉前部に位置する神経線維を切断することにより、その人間を「従順化」することで有名なロボトミー手術。20世紀までは精神病治療のためなど世界各国で行われていたものの、現在は表向き禁止されている施術だが、与党が絶対的な権力を握っている中、反対派を封じ込めるために裏でそんな施術が行われているとしても、驚くには至らない。

 攻撃的な志向を減退させ、「大人しくさせる」のが目的であるが、「副作用」として施術された者の人間的な感情を失わせることにもなり、抗精神病薬の開発など精神医学が向上するに連れその危険性を指摘されるようになって、今では前世紀の遺物とされているが。医学が進歩するのと同時に、密かにロボトミー手術の「精度」が上っていてもおかしくない。特にこんな、人を凶暴化させるような薬物の研究開発をしている「私的施設」では、並行してそういった研究が行われていても不思議ではないだろう。



「……心配いりませんよ。もちろん、全てが今まで通りとはいきませんが。術式も以前に比べてかなり進歩していますので、廃人になってしまうようなことはありません。ただ、今日のような『片山さんらしさ』を見られることは、なくなってしまうでしょうけどね……」


 俺らしさ、ね……。何をもって「俺らしさ」と言っているのか、さっきみたいにむやみに反抗心をむき出しにするところか。だったら、俺についてまだ見誤っていることを、橋本にも教えてやらなくちゃな。



 会議室のあるフロアからは、俺の腕を押さえているSP2人が、俺の体をエレベーター前にいる兵士2人に預け。自分たちは、お偉いさんのいる会議室前に戻った。兵士2人はSPと同じくガッチリと俺の両腕を掴み、エレベーターに一緒に乗って来た。橋本はあれ以来、黙って何か考え事をしている。残念ながらと言いつつ、ある程度こうなる予想もしていたのかもな。まあ、廃人化はしないとしても、これまでのようなデータが取れるかどうかは疑問符が付くところだから、出来ればそれは避けたかったというのは本音だろう。俺の嗅覚や危険察知能力、そしてカオリの存在までがなくなってしまう可能性もあるからな……。


 エレベーターを降りると、前もって連絡が入っていたのか、あの「見張り番」がエレベーター前で待機していた。兵士は見張り番に俺を託すと、自分たちはまたエレベーターで会議室フロアに上がって行った。……予想通りだな。SPはもちろん、お偉いさんの身を守るのが最優先だし、兵士はその会議室があるフロアの番人だ。俺を「目的地」まで連れて行くのは、いつもの見張り番2人というわけだ。


 言うまでもなくSPは専用の訓練を受けているし、兵士も軍事的な鍛練を積んでいる。それに比べれば、見張り番は「この施設専用のガードマン」レベルだ。「やる」んだったら、間違いなくここだな……。



 俺は見張り番2人に両腕を抱えられて、橋本の後についていくようにしながら歩いていたが、少し段差があるところで、「おっと……」と躓いてみせた。両腕が不自由な状態にあるのだから、わずかな段差に躓きよろめくのも、不審には思われまい。


「大丈夫ですか?」

 前を歩いていた橋本はすかさず振り向いて、俺に手を貸そうかと少し前屈みになった。そして、その時俺は。ズボンの中に隠していた「カインの欠片」を、拘束された手の先で、密かに取り出していた。



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