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「ここで立ったまま話すより、あちらに座ってゆっくり話しましょう」


 橋本はそう言って、ほのかに足元がグラつき始めた俺の体を支えるようにして、ドアの向こうの「待機室」に入り、俺をソファーに座らせた。俺は自由の効かない腕のまま、ソファーの背もたれにぐったりと自分の身を預けた。



「……いったい、どういうことなんだ? わかるように、説明してくれるか……?」


 俺は力なく、橋本に向かってそう呟いた。橋本は俺の向かい側に座り、「かしこまりました」と答えてから。そのひと言ひと言を噛んで含めるようにしながら、「真相」を語り始めた。



「……今から、2年ほど前。ちょうど片山さんが、山下さんと出会ったと仰った頃ですね。その頃、あのビルの屋上にペントハウスを構えていた片山さんは、薬物の取引現場から手を引き、半ば『世捨て人』のようになっていた。しかしそれは、決して『静かに余生を送る』といった状態ではなく。薬物合法化と共に、自分の持っていた嗅覚などの才能を生かす場面がなくなったことで、片山さんはご自分が、『世間から弾かれた者』だと思い詰めたのでしょう。極端な話、自分の存在意義をも疑い始めていたかもしれません。その結果片山さんは、重度の薬物中毒症……いわば、『ボロボロのジャンキー状態』に陥っていました。


 片山さんはそれまでの経験から、その状態がいかに危険かを十二分に承知していた。そして、岩城さんに再三苦言を呈していたのに、自分がその状態に陥ってしまったことへの罪悪感もありながら、一度ドップリとクスリにハマってしまった体は、言うことを聞かなかった。そこで片山さんの、自身の危険を回避する能力が自然と発揮されたのでしょう。自分の『ジャンキーな部分』を、請け負ってくれる分身。もう1人の自分――『山下カオリ』という、別人格を産み出したのです。


 後でわかったことなんですが、山下カオリのアルファベット表記『yamasita kaori』は、片山史郎のアルファベット『katayama sirou』の英文字を並べ替えた、アナグラムになっているんですね。ジャンキーとなった山下さんを諭し、治癒するという形を取ることで、片山さん自身の薬物の専門家であるというプライドも保たれることになり。同時にその治癒のおかげで、実際に中毒症状からも脱することが可能となって。片山さんは、現在の『落ち着いた状態』を取り戻すことが出来たのです。


 そしてそれ以降も、その状態を維持するために、『薬物に関して不安定な山下カオリを導く、片山史郎』という関係性を持続することが必要だった。だから別人格の山下さんは、重度の中毒症を脱し命の危険を免れた後も、消えることがなかったのです。いわば片山さんは、別人格の山下さんと二人三脚で、ここまで生き抜いてきた。そう表現しても、過言ではないでしょう」



 カオリが、もう1人の俺。俺の、別人格だって……?!


 俺は、「そんな、馬鹿な……」と、橋本に弱々しく首を振った。だが、俺の心臓は破裂しそうなくらいにバクバクと脈打ち、加えて『どうだ、思い出したか?』と俺自身に囁く声と、『違う。そんなはずはない!』と頑なに否定しようとする声とが、胸の中で激しく争いあっていた。



「とてもにわかには信じられないでしょうが、片山さん。あなたはいつも、そんな『長袖のジャンバー』を羽織ってますよね? 宜しければその上着の下、ご自分の右腕を、ご覧になって頂けますか……?」


 俺の、右腕……。確かに俺は、いつもこのジャンバーを着ている。外出するにも人に会うのにも、一番手ごろだからだ。そしてその下には、長袖のシャツを着て……。橋本は、戸惑う俺のジャンバーを、右肩から肘の部分まで降ろし。拘束された腕のシャツの袖を、苦労しながらめくりあげた。……すると。肘の上の辺りに、何度も注射器を刺したような跡が、クッキリと残っていた。そこはちょうど、俺が何度もその場面を見ていた、「カオリが注射をしていた箇所」だった。



「それで、少しは納得頂けたでしょうか。私は、私の所属する企業が『懐古セット』を販売していた関係で、ご自身を『山下カオリ』だと名乗る片山さんに出会い。戸惑いはあったものの、薬物を扱って来たバイヤーとしての経験上から、特に何か質問したり問い正したりすることなく、『山下さん』の話すことをそのまま聞いていました。山下さんとは、SEXtasyの話題が出たことで、意気投合しましてね。そこで私が、いつか実物のSEXtasyを取引してみたいんだと、『他愛ない願望』のように話すと。山下さんは、以前は薬物の取引に関して『凄腕』と言われていた、片山という男を紹介してくれると申し出てきました。


 恐らくその片山というのが、山下さんの『本名』ではないかと思いつつ、そこも山下さんに素直に従い、ペントハウスへとお邪魔したわけです。思った通り、ペントハウスに入った山下さんは、片山さんとしての人格を現し始めました。同時に、時折また山下さんに戻るなど、『1人二役』を私の前で演じてくれたのです。こうして、山下カオリは片山史郎の別人格であると確信を得た私は、その後片山さんではなく『山下さん』と会って、片山さんに出会った頃の話などを聞き出し。どういう経緯で別人格が生まれたのかも、推察することが出来ました。それに関しては、先ほどご説明した通りです。


 日野さんの研究室に片山さんを連れて行く際には、日野さんには前もって『別人格の女性という存在を持った男を、今度連れて来ます。その男は、別人格の女性と一緒に来るつもりでいますから、日野さんも上手く合わせて下さい』とお願いしていました。日野さんも、知り合いだった片山さんが二重人格になっていると知って、さぞ驚いたでしょうけども。やはり私と同じく薬物を扱っている関係で、そんな多重人格的な症状を示す者と遭遇した経験があるのかもしれません、その場で上手く対応してくれましたね。


 そして、これも先ほどお話ししたことですが。私は捕らえられた後、SEXtasyに関与した政府関係者、あなたが『奴ら』と呼んでいる者たちに取り入ることで、私の立ち位置を明確にし。同時にあなたも、『こちら側』に引き込むつもりでした。しかしあなたは、政府関係者が絡んだ件だからか、尋問に際して頑ななまでに意地を張り続けていた。薬物合法化の影響で自分が中毒症に陥ったという思いもあるでしょうし、岩城さんを『処分した』こともあったでしょうね。


 ここで私が直接あなたを説得するという手もありましたが、それでは余計に反発されるだけだと考え。あなたにとって必要不可欠な存在、『山下カオリ』を利用することを思いついたのです。……片山さん、あなたは今日、何か体調の変化を感じていませんでしたか? 体の中に、疲労が溜まっているような気がしませんでしたか……?」


 何か、体調の変化……。確かに食事が喉を通らず、無理やり胃に流し込んだが。それは、カオリのあの姿を2日続けて見せられたことで、精神的ダメージを負っていたからだ。そのはずだ……!


 戸惑いながらその「何か」を思い出そうとしている俺に、橋本は「ふふふ」と微笑みながら、サラリと言い放った。



「大変言いにくいことではありますが。あなたが個室から見ていた『山下さん』の姿は、実は『あなた自身が体験したこと』だったのです。あなたは、10名の男に蹂躙される自分を、別人格の山下さんに置き換え。それを『客観的に見ている』と設定することで、必死に自我を守り通していたんです……!」



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