「じゃあ、そのヒントってやつだけでも聞かせてくれよ」という俺の言葉を受けて、橋本は「かしこまりました」と答え、ニヤリと笑った。恐らく橋本も、最初からそのつもりだったのだろう。



「SEXtasyは一般的に、エクスタシーの上位変換薬物だと言われています。薬物に関心のある方でしたら知らない者はいないエクスタシーが、『更に進化したものである』というウワサが、人々の好奇心を刺激していることは間違いないでしょう。私は、そこに目を付けました。


 片山さんが言った通り、ただ闇雲にウワサだけを追いかけても、とても目的に辿り着けるとは思えません。しかし、SEXtasyがエクスタシーを改良したものであれば、改良したその『経緯』がどこかにあるはずです。SEXtasyが現実に実在するものだとしても、ある日忽然と『生まれ落ちた』わけではないのです。ある日突然優れた人物が現れることを『彗星のように』などと言ったりしますが、その彗星にも『元いた場所』があるのですから。


 そこで私はまず、エクスタシーと同じMDMA系の薬物であるアダムを追い、その直系の子孫である『カイン』を探し当てることにしました。誰も実物を見たことがないSEXtasyとは違い、カインは入手困難ではあるものの、実際に存在する薬物です。そして、同じMDMA系の薬物であるならば。全く一致するとはいかないでしょうが、アダムがカインに改良されたのと『似た経緯』を、SEXtasyも辿っている可能性は高いと考えました」



 なるほど……それでまず最初に、俺にカインを「選ばせた」わけだ。自分はそのカインを「探し当てた」人間である。ならばSEXtasyも……ということか。



「私は自力で、カインの製造元を突き止めることに成功しました。それで今日、こうしてあなたにお見せすることも出来たわけです。しかし……モノがSEXtasyとなれば、そう簡単にはいかないでしょう。私よりももっと、経験豊富な者の助けがいる。数々の修羅場を潜り抜けて来たような、〝猛者〟の助けが……」


 ことさらに「俺の助けがいる」のを強調しているのは、恐らく俺の「逃げ足の速さ」も考慮した上での判断なのだろう。橋本もブツの売買を生業とする上で、それなりの修羅場は経験しているだろうが、モノが「とびきりヤバいブツ」とくれば、これまでにない危険に晒される可能性もある。そんな時に、俺がいるといないとでは、大きな違いが出ると踏んでいるんだろうな……。



「今のところ申し上げられるのは、ここまでです。いかがですか? これまでは単なるウワサに過ぎなかったもの、夢のような存在だったもの。その『夢』を、私と一緒に、現実のものにしませんか……?」



 それが、橋本が用意して来た俺への「口説き文句」だというのは、十分理解出来た。ここまで俺と橋本の会話の「聞き役」だったカオリも、そわそわしながら俺の方を伺っている。まあ……ダメ元で、やってみるのもいいかもな。俺の嗅覚も、まだそんなに鈍ってはいないだろうし。このままダラダラと余生を送るのも悪くないが、たまには「刺激的なこと」に手を出してみるのもいいだろう……。



「ああ、わかったよ。そこまで言うんなら、久しぶりに『現場』に出るとしよう。だが、その前に……」


 俺はそう言いながら、手に持っていたカインの錠剤を、橋本の目の前に掲げた。

「こいつを、ひとつ……試してみても、いいかな?」


 橋本は「我が意を得たり」と言わんばかりに、ニコリと微笑んだ。

「ええ、もちろんです。そのつもりでお持ちしたのですから」



 ウワサに聞いていた、カインの錠剤。それはやはり、俺の好奇心をこの上なくくすぐるものだった。そこでカオリが、慌てて俺達の会話に割って入った。

「あ、あの。あたしも、いい? あたしが史郎を紹介したんだし……」


 正直、これまでの俺と橋本の会話の中に、カオリの存在は「いないも同然」だったのだが。紹介者として、それは当然の権利だと言いたいのだろう。俺は全くかまわないのだが、後は橋本次第だった。


「はい、もちろんですよ。山下さんには、どれだけ感謝しても感謝しきれないですから」


「わあ、ありがとう! 『こんな凄いの、あたし初めて』かも……!」


 ひと昔前のAV女優のようなことを言いながら、カオリは俺の持っていた袋から、薄ピンク色の錠剤をひとつ摘まみ上げ。それを早速、錠剤をすりつぶす鉢に乗せようとした。そこで俺は、カオリの腕を「ぐいっ」と掴み、猛然と「待った」をかけた。


「おい、やめろ。これは、そうやって使うものじゃない。血管に注射なんかしたら……一発でお陀仏の可能性がある。あの映画を思い出せ」


 カオリは俺の真剣な表情に「はっ」となり、「あ、そ、そうなんだ、ごめん。でもあたし、錠剤飲むの苦手だから……」と、言い訳のように謝りながら、俺の様子を伺っていた。



 俺が「思いだせ」と言った映画とは、クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フクション』という映画で、公開されたのは1990年代だから、もうずいぶん昔の映画なのだが。クスリにハマってる奴なら見ていない者はいないというくらい、その筋では「名作」として知られている。登場人物がクスリを打つ際のリアルな描写は、見ているだけでトリップするような錯覚さえ感じるほどだった。


 その映画の中で、ヤク好きな女性の登場人物が、男性の上着のポケットから「白い粉」を見つけ、男性がトイレに行っている隙に早速、鼻から吸引してみる。それは彼女の「いつものやり方」だったのだが、鼻からの直接吸引は彼女に予想外の「刺激」をもたらし、目はうつろ、口からよだれを垂らしてぐったりと横たわり、急性のオーバードーズ状態に陥ってしまう。


 俺はこの映画のデータをパソコンに取り込んでいて、クスリを打つ奴には必ず見せるようにしている。クスリは、それはもう皆をハッピーにさせてくれる可能性を秘めてはいるが、使い方を間違えるとこうなるんだという「悪いお手本」として、これ以上ない教材だったのだ。結局映画の中では、倒れた彼女は必死の救急処置でなんとか息を吹き返すのだが、俺はそこでいつも、「こんな風に助かるのは、運が良かった時の話だからな」と付け加えていた。


 それから俺は、本当に錠剤を飲むのが苦手なカオリのために、一緒に錠剤を舌に乗せて、「こうやるんだ」とわかりやすくレクチャーしてやった。本音を言えばそんな面倒くさいことなどせずに、せっかくの「上玉」を集中して味わいたいのだが。子供の頃から錠剤類が苦手な奴ってのは確かにいて、喉に詰めて死ぬような思いをした奴までいるから、恐らくトラウマに近いものがあるのだろう。


「いいか、飲み込むというより、喉に流し込むって感じだ。喉も食道も、元々胃に栄養分を送り込むために出来てるんだから、心配ない。わかるな?」


 カオリは舌の先に錠剤を乗せたまま、まだ不安そうな顔で、「うん、うん」という意味で「はう、はう」と頷いている。舌を出して懸命に頷く姿は、飼い主に媚を売る犬みたいで、ちょっと可愛く見えるのは確かだ。俺はカオリの、こういう一途なところが好きだった。まあ、上質のブツが味わえるということで、余計に「一途な思い」に駆られているのだろうが。



 こうしてようやく俺は、念願のカインを自分の胃へと送り込んだ。昨日俺が飲んだ錠剤のような、「胃壁にしゅわっと来る感覚」こそないが、それはそれだけこのブツが、「そんな誤魔化しなど必要のない、上質なもの」であることの証明でもあった。



 そして……。カインの錠剤が、胃の中で溶けだし。含有された確かな効果が、体の隅々へ行き渡るに連れ。俺は、「こいつは……すげぇ」と、目が眩みそうになった。錠剤の成分が血管を通じて体の中を巡っていくのが、手に取るようにわかる。いや、実際にそれが「目で見える」。間違いなく「そいつ」は、ドクドクと俺の血管を脈打たせながら、体中を駆け巡っている。


 例えるならそれは、決して最新の超特急のような、座席の揺れをほとんど感じさせない、洗練されたスピードではなく。蒸気機関車の焚口戸たきぐちどに、汗だくになって次々に石炭をくべ続けているような、そんなパワフルで荒々しい感触だった。俺はまさに、体の芯から燃え上がるような想いが沸き上がり、「うおおおおお!」と叫び出したくなった。


 いくらブツの影響とはいえ、普段からそんな発作的な行動はしないよう自制しているつもりなのだが、今回ばかりは危なかった。しかしなんとかギリギリでそれをこらえられたのは、案の定、俺より先にカオリが完全にテンパってしまったからだった。



「わあああああ、凄い凄い凄い! 史郎、わかる? わかるよね? あたし、史郎のこと大好き! ほんとよ?! 史郎もあたしのこと好きでしょ? 好きに決まってる! 目がそう言ってるもん、ほんとに言ってるもん! 目がパクパク喋ってる、目玉をクリクリしながら喋ってる!! あははは、あははははは!!」


 まさに、トリップ状態の見本のような状態になったカオリを客観的に見れたことで、どうにか俺は、むやみやたらと叫び出さずに済んでいた。そしてそんなカオリの姿を見て、この「ブツ」は本物だなと、橋本に向かって右手の親指を立てて突き出した。



 現在「合法化」された薬物には、ここまであからさまにトリップするような成分は含まれていない。服用すると気分が楽になる、リラクゼーション的な効能こそあるが、血管の中を蒸気機関車が走り回ったり、目玉が喋り出すような幻覚を起こす作用はない。あくまで、「人に優しく」作られているのだ。


 それは、こういった過激な作用が、中毒症状を引き起こす大きな要因になっていることが大きかった。トリップした時の気分が最高であればあるほど、その効果が切れた時の失望感、倦怠感はハンパない。それゆえ、「あの興奮をもう一度」と、何度となくブツに手を出すようになる。合法化にあたり、そんな「人間やめますか」的な選択を迫られるような効果は、薬物から削り取られていたのだ。 


 だが、薬物合法化前から市販されていた一般的な薬の類にも、実は多かれ少なかれ、「中毒性」は含まれていたのである。注意書きに「長期連用はお辞め下さい」と書かれているのは、それだけ利用者が長期に渡って使う可能性があるから、つまり「中毒性があるから」に他ならない。咳止めのシロップなどは、まさに「合法的にトリップ出来る市販薬」として知られていたくらいだ。


 だからこそ、この「カイン」のような「マジでトリップ出来る薬物」が、合法化以前にも増して、希少価値を持っていたのである。俺はこんな「最高のブツ」を惜しみなく差し出してくれた橋本に、感謝の意を込めて、自分の想いを語った。



「なあ……このブツと同じく、あんたも『本物』だってことは、よくわかったよ。あんたは恐らく、俺が知ってる中でも、5本の指に入るくらいのバイヤーだ」


 恐らくは、すでに焦点が合わず目がうつろになっている俺の言葉に、橋本は「あなたのような『伝説の方』からそんな評価を頂けて、恐縮です」と微笑んだ。橋本は、先ほどからカオリに「ねえ、橋本さんもやろうよ、やらないの? なんで? なんでよ、もう!!」と駄々っ子のようにせがまれても、頑なに自分はカインを服用しなかった。それは恐らく橋本にとって、プロのバイヤーとしての「誇り」の現れなのだろうと俺は思っていた。


 バイヤーの中には、「自分も楽しむ」のが好きな奴もいて、好きこそもののなんとかで、それなりにいいブツを仕入れてはくれるのだが、いかんせんどうしても「自分本位」になりがちだ。滅多に出会えない希少品など手に入れたら、何よりまず自分が味わおうとするだろう。その時点ですでに、純粋なバイヤーとは言えなくなる。


 その点この橋本のように、自分は決して「売り物」に手を出さず、ラリってる輩を客観視出来る奴は、信用に値する。客と一緒にラリっちまったら、客がそのブツを楽しめたのか、満足出来たのかもわからなくなる。橋本は純粋に「商売人」として、SEXtasyを探しているということだろう。まあ、あくまで「表向きは」だろうけどな……。



 などと色々と考えたのは、もちろんカインの効果が切れてからの話で。俺は、「あんたは信用出来そうだな。信用出来るんだろ?」と、橋本に因縁をつけるような眼差しを向けながら、この上質のブツに、心行くまで酔いしれていた。


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