1部 9話 雪子の選択

 深夜12時過ぎ。

 雪子は1人、住宅地に向けて走っていた。

『早くしないと、彼が』

 今、半妖の少年が必死になって鬼童丸と戦っている。


 命を狙われている、雪子の逃げる時間を稼ぐために。

『助けを呼ばないと』

 このままだと自分のせいで彼が死んでしまう。


 関係ない他人を巻き込み、しかも命を落とす。雪子はそれが嫌だった。

『このままだと、彼が死んでしまう』

 人里に降りて助けを。


 走り続けて住宅街まで来た雪子。

 日を跨いでいるため住宅の電気は、消えている所が圧倒的に多い。

『誰か起きている家を探さないと』

 照明が付いている家を探そう。


 そう思ったとき、雪子の足が止まった。

「なんて甘いわね」

 夜中に突然、見知らぬ女の子がインターホンを鳴らしてくる。


 よくよく考えればそんなのホラーでしかない。

 助けを求めている。と言えば信じてくれる人もいるかもしれない。

 だけど事情を話したとき。妖怪なんて言えば一体誰が信じるのだろうか。


 それどころか、匿われた時。一人暮らしの高齢な男の家だった場合。

 加齢臭が漂う中で、妖怪達とは別に、乙女の純血的な意味で襲われる可能性の方が高い。


 妖怪の血を受け継いでいるにしても、普通の女子高生の腕力しかない雪子は無抵抗に襲われるだけだろう。


 助けなんて呼べるわけがない。

「警察に駆け込んでも無理よね」

 警察は事件がないと動かない。

 行ったところで無意味だろう。


 真夜中に交番は空いてないし、警察署はここから近い距離でも走って20分以上はかかる。

 向かっている内に戦いの決着がついてしまうだろう。


「それに助けを呼べたとしても普通の人間が妖怪を倒せるわけないだろうし」

 普通の人間が来たところで犠牲者が増えるだけである。


 もし運良く妖怪退治を生業とする霊媒師会って、助けを求めても鬼童丸だけじゃなく雪女の血を引く自分と狼男の血を引く拓狼の2人だって退治対象だ。


 助けを呼びに行くだけ無駄でしかない。

「もしこのまま私が逃げて、彼が死んでしまったら」

 それは今日1日を逃れるだけ。

 翌日、そのまた翌日も命を狙われる日々が続くだけだ。


 問題の先延ばしで解決するわけじゃない。

 命をかけて戦っている拓狼の無駄死になってしまうことは明らかである。


 雪子は1か月前の、父親が目の前で死んだことを思い出す。

 思春期で、父親の言葉を反発していたとき。


 目の前に突然、この世のものとは思えない化け物が現れた。

 それを見た雪子は震えてその場に立ち止まっていたが、父親はただその場にたっていたわけじゃない。


 雪子を庇うように前に出て、逃げるように指示していたのだ。

 怖くなかった。ということはない。

 父親の足が震えていたのを、今でも鮮明に覚えている。


 怖かった。だけど娘のために立ち向かったのだ。

 さっき、自分を逃がそうとした拓狼だって強気でいたけど、足は小鹿のように震えていた。


 誰だって死ぬのは怖い。

 今同い年の男の子が自分のために戦ってくれている。

 それを見捨てて生きようなんて、そんな考えでいいのか。


「そんなのいいわけがない」

 父親が殺されたとき、自分に戦う力があれば。

 そう思ってただ、殺されるのを見ていた。


 今は雪女の能力が目覚めて、戦う力はある、だけど戦う勇気がないだけだ。

 このまま戦う勇気があれば、そう思って少年が死んだとき後悔することになるだろう。


 このまま彼が殺されたら、自分も殺される。

 もしあの時、2人で戦っていたら勝てたかもしれない。

 そんな後悔はもうしたくない。


「勇気を振り絞れ。私」

 雪子は自分の頬を、2回叩くと。来た道を引き返した。

 もう2度とこんな後悔をしないため、自分を助けようとした少年を殺させないために。


 戦況に戻ると、拓狼が押されている。

 素早い剣捌きに着いていけてない様子だ。

「は、早くて追い付けない」

 刀の扱う鬼童丸の速さは尋常じゃない。

 1秒で3回も刀を振れているのだから。


 狼男の特性として超速自己修復がある。

 傷ついた所を短時間で治す力があるのだが、それが全く追い付いてない。

 体の至る所が切り傷だらけだ。


 拓狼はその動きに翻弄されて、全てをガードすることは出来ない。

 受けるダメージを極力減らすために、致命傷になる攻撃を防ぐ事が精一杯の攻防だ。


「いつまでもつだろうね」

 余裕の笑みで刀を振り続ける鬼童丸。

 拓狼の妖気が徐々に弱くなっている。

 このまま妖力が尽きるのも時間の問題である。


「調子に乗るんじゃないわよ」

 雪子は目の前の戦いに手をかざした。

 妖力を使って鬼童丸の持っている刀の鐔(つば)の所を凍らせた。


「おいおい、バカな女が帰ってきたようだ」

 刀の一部分が凍ったことに気がついた鬼童丸の惨哲は雪子の方を向いた。

 そして当然、拓狼も雪子の存在に気づく。


「何で戻って来たんだよ」

 拓狼が怒りを露にしている。

 それは当然の事だろう。身を呈して時間を稼ぎ守ろうとした少女が戻って来たのだから。


 拓狼がやっていた時間稼ぎを無駄にする行為である。

 だけど、雪子だって他人を犠牲にして生きていられるほど薄情ではない。

「私を守るために、自分を犠牲にするなんてそっちの方が馬鹿じゃないの?」


「な、何を言うんだ。俺は君のために」

「私のためにとか言って、自分を犠牲にするなんて、本当に私のためと思っているの。追われた女の子を命懸けで守る英雄気取りにでもなったつもりかしら。そんな事をしてもカッコよくないわ。ダサい死に方してどうするのよ」

  

 雪子の言葉は拓狼を、まるで苛つかせようとしているかのような内容だ。

「その言い方は何だ。俺がどんな思いでさっきまで戦っていたと思う」


「知らないわよ。だけどね、これだけは言わせてもらうわ。私のために命を捨てて戦おうなんて事を考えるのは止めてよね。他人の命を犠牲にしてまで生きようなんて思わないわ。しかも自分と同い年くらいの男の子の人生を奪うなんて真っ平ごめんよ」


 雪子が拓狼に対して言いたいことはただひとつだけだ。

「貴方も含めて私と2人でこの戦場を生き残らないと意味が無い」

 2人でこの場から生還する事。


自分に関わった人間が自分の前で死肉になるのを見るのは、もう嫌なのだ。


「私じゃ頼りないけど、貴方のサポートくらいならできるわ。私のために戦ってくれているあなたを殺させない。絶対に」


 話がつくまで手を出さずに聞いていた惨哲。

「気が済んだか、といっても下級妖怪の、しかも半妖が加わった所で状況が変わるわけないけどな」


 惨哲は2人を、特に雪子を嘲笑うかのような態度を取っている。

「役立たずに何が出来る。剣の鐔近くを氷付けさせただけのお前が」


 鬼童丸が剣を振り上げた。

「ただただ、哀れに殺されていく男を、お前は見ていることしか出来ないだろ。だけど安心しな。コイツの後は、お前を殺してやるから」


 そう言って剣を振り下ろした時。

 拓狼達の戦況を大きく変える事になった。

「う、嘘だろ」

 鬼童丸の惨哲が、驚いて戸惑い始めた。


 何故なら、さっきまでの戦いで致命傷になる攻撃を交わす事が精一杯だった目の前の半妖の狼男。

 それが今では全ての剣の筋を見極めて避けているのだから。


 まるで戦う人間が変わったかのように、目の前の状況の対応力が大きく向上していた。

 理解が追い付かない鬼童丸だが、それは雪子の妖力が、このピンチを変えたのだ。

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