第27話 ルームサービス

 急激に戻ってくる感覚は、こだまが離れた時と同じ。

 けれど、最後のごめんなさいはどこか普通じゃなかった。だから私は、駅でやったのと同じように、できるだけ自然を装って力を抜き、床へ崩れ落ちようとして。

 これまた同じように、その途中で細い腕に体が支えられる。

 ただ、鼻をつくコロンの香りは、素宮さんの服とは似ても似つかなかったが。


「だぁから言ったでしょうが。最初からを使っとけとあれほど」


 聞き覚えのない呆れたような声。私を支えた人へ話しかけたのだろうか。

 となると、部屋に居るのは満総裁を含めて少なくとも2体以上。が、その中にこだまの気配は感じられない。

 一体何処へと思ったのも束の間。私は静かに抱えあげられ、隣からは苦苦しい声が低く響いた。


「私に指図するな。彼女がここまで頑なでなければ、このような無理強いなどせなんだことだ」


「アンタが雇い主なのは承知してる。俺たちだってビジネスだ。だが、そっちの甘っちょろい判断で、負う必要のないリスクを担がせられるんなら、その分危険手当は弾んでもらわねえと、さすがに割に合わんぜ」


「ならば立場もわかっているだろう。そういう話は、与えられた仕事をきっちりこなしてから言うのだな」


 声に乗って吐き棄てられる感情は、多分苛立ち。その一方で、どことなく疲れているようにも感じる。

 会話しているもう一方は、なんだか馬鹿馬鹿しいことに付き合っている様な反応だった。


「了解ですよ総裁閣下。それで、こいつらどうするおつもりで?」


「この防腐死体は傷つけぬよう丁重に扱え。他者に見られている以上、まだ暫くは使わねばならんからな。それと、バンハルドは縛って貨物車へ。こいつにもまだ使い道がある」


 バンハルド、という言葉に身体が反応しそうになるのを、どうにか脱力したまま堪える。

 こだまが残した言葉の意味が繋がった。今のところはまだ予想に過ぎないが、バンハルドさんを縛って連れていくということは、この満というアンデッドはこだまの身柄を狙ったに違いない。


 ――私に何ができるだろう。ううん、なんとかしないと。


 満が何をするつもりかはわからないが、危害を加えた以上放っておくわけにはいかない。バンハルドさんまで捕まった以上、どこかで隙を見て、素宮さんに知らせないと。

 丁度そう思った時。


「あぁそういえば、乗客名簿にはもう1匹仲間が居たように思いますが?」


「ボディケアラーだったか……可哀想だが、可能な限り波風立てぬよう掃除しろ。余分なピースは、リスクにしかならん」


「ではそのように」


 私は名も顔も知らない誰かの成すがまま、ゆっくりと身体を担ぎ上げられる。

 だらりと身体を弛緩させたままで、しかし私の脳裏にはさっきの言葉がぐわんと反響して聞こえていた。

 掃除しろ。

 その意味が分からない程、私だって世間知らずじゃない。

 けれど、今の私は動かない防腐死体。演技を続けながらこの事態を伝える方法なんてすぐに思いつくはずもなく、結局どうしたらいいのかわからないまま、ひたすらに焦りが心の中へ広がっていくばかりだった。



 ■



 コンパートメントの椅子に寝ころんだまま、昨日付けの新聞を眺める。

 町同士の情勢など知ったところで、糞の役にも立ちはしないが、流れていくトンネルの壁を愛で続けるよりは多少マシ。

 掃き溜めの骨が退屈とは、全く贅沢な話だと足を組む。


 ――足音。


 そう思ってから程なく、コンパートメントの中にノックが転がり込んだ。


「お食事をお持ちいたしました」


 小さなデジタルクロックへ目を向ければ、いつの間にか夜が近づいていた。ほぼ常に闇であるトンネルの中では、時間の感覚などあったものではない。

 穂芒が帰って来ていないということは、夜の立食会にでも出ているのだろう。そこで部屋の使用人に食事を、とでも言ったか。

 動きもしないのだから腹も減らない上、客室乗務員とのやりとりも面倒臭いのだが、せっかくの気遣いだ。受け取っておくとしよう。


「これはどうも。鍵なら開いてますのでどうぞ」


 我ながら、無理に高くした声は気色悪いと思う。それでも下男を装うならば致し方なし。

 尤も、高級列車の客室乗務員ともなれば、そんなことを気にするはずもないのだが。


「失礼致します」


 そう言って入ってきたのは、これまでルームサービスを持って来ていた奴とは違い、少々ぎこちない動きのキョンシーだった。

 にこやかな表情は営業スマイルか、あるいはその形で筋肉が硬直しているからか。錆びたロボットのような動作ながら、1つ1つと丁寧に食事を俺の前に並べていく。

 そっと置かれたグラスを前に、小さく咳ばらいを1つ。


「こりゃあまた、随分とお高そうなヴィダですなぁ」


「砂の町製の特級ヴィダ酒になります。魂に染みわたる味、と評される数世紀物で、中々市場には出回りません。どうぞ、この機会にお楽しみください」


「はぁー……自分みたいなのには過ぎた物だ。お嬢様からでございますかね?」


「――はい。穂芒様より、いつもの功労にと、承っております」


「そうですかそうですか。相変わらず、お嬢様はこんな下男にもお優しい」


「では、失礼致します。どうぞごゆっくり」


 ギシリと身体を揺らして頭を下げたキョンシー乗務員は、またぎこちなく回れ右をして去っていく。

 特級品。成程、確かにこの色合いなら相当な物だろう。たかが乗客1人相手にと思いながら、ヴィダ酒の注がれたグラスを揺らす。

 それだけで穴しかない鼻から、爽やかな香りがスッと抜けていったように思えた。



 ■



 列車の走行音に紛れ、扉の奥から何かがコツンと鳴る。

 下男の最期としては、不釣り合いなほどに上品な形。たかが骸骨の1匹には勿体ないが、それでも雇い主が望む以上、可能な限りそれを叶えるのがプロというもの。

 私は周囲に他のアンデッドが居ないことを確認してから、僅かにコンパートメントの扉を押し開く。

 大して広くない部屋である。顔半分程の隙間からでも、床に転がり落ちたグラスと垂れ下がった手が見えた。

 そっと身体を滑り込ませ、後ろ手に扉を閉める。まだ温かい食事は手も付けられないまま、骨はだらりと座席の上に崩れていた。


 ――ただの雇われ使用人、ですか。可哀想なことだ。


 このような運命を迎えるのも、全ては穂芒などという古い家に拾われたが故。身の丈に合わない主人を選んだ末路でもあろうか。

 心の中で同情しつつ、私はそっとその身体に手を伸ばし。

 ふと、冷たい何かが喉元へ触れた気がした。


「ッ……!?」


「動こうとするなよ。固まった肉に銀のフォークは効くぜ」


 見えなかった。いや、私がただの下男と油断したからか。

 先ほどまでの腰の低い様子から一転、その声にはカミソリのような殺意が乗っている。


「何故、気付いた……?」


「質問するのは俺だ。誰の差し金だ、穂芒はどうした」


「ま、まぁ落ち着いて下さいよ。私はただの雇われ。その様子でしたら、貴方も私の置かれている立場は理解できるでしょう?」


 手をゆっくりと挙げながら、固まった表情を無理矢理に和らげて笑みを見せる。

 だが、下男とは思えぬ骸骨は、それを鼻で笑ったようだった。


「ああ、糞ほどよくわかる。わざわざこんなお優しいカクテルまで作ってくれたんだ。そっちの雇い主は、余程騒ぎを起こされたくないらしいな」


 カチリ、と銀のフォークが喉元に触れる。それだけで微かな痛みが乾いた肌をチリリと駆け抜けた。


「お前に選べるのは2つ。ここで洗いざらい情報を吐くか、それとも雇い主の意に反して騒ぎを起こした上、灰になって窓の外へ捨てられるかだ」


 私は大きく息を吐いた。結論からすれば、こちらに選択肢などありはしないらしい。

 勘がいい、動きもいい、只者でないことは分かるが。


「即座には消さないだけで、あなたは見た目よりお優しい。ただ――!」


 ガチンと手首が鳴ると同時に、辺りへ小さな電光が迸る。

 それはスケルトンを捉えかけたが、軽い体が故か。咄嗟に退かれた1歩分届かず、床へ転がったフォークに火花を散らしたに過ぎなかった。

 全く、子どもの使いかと思っていれば、難儀な相手に当たったものだとため息が出る。


「指示を勘違いされては困る。私の任は、可能な限り波風を立てぬように、でしてね」


「道具持ってるなら先に言え。遠慮しちまっただろうが」


 ただの使用人ではないにせよ、果たしてどれくらい使うものか。少なくとも、灰を処理するだけの仕事よりは楽しめそうだ。



 ■



 狭い空間の中、飛んでくる拳を受け止めないよう、1つずつ弾いて逸らし、体を逸らして躱す。

 ただの間抜けな硬直死体かと思ったが、想像していたよりは使うらしい。拳を妙なガントレットで包んでいる割に、中々重く速いパンチを打ち出してくる。


「ふぅぅぅ……黄ばんだ骨程度が、よく動くものです」


「しぶとさだけは一人前でね」


 骨の手首を軽く振りつつ、拳を構え直す。


 ――マ・ブ金縛り・アームとは、厄介なもの持ち出してきやがって。


 まだ人間が生きていた時代の残り香、とでも言うべきか。アンデッドを捕らえるために作られた、魂に作用する電撃を打ち出す携帯武器で、最近では滅多に見かけなくない代物である。

 最初にド派手な電撃をバラまいた分、空中放電を伴う遠距離攻撃を行うにはバッテリーが足りないはず。それでも、パンチを真正面から貰ってしまうと1発KOだって有り得るが。

 こちらがまともに反撃できていないからだろう。暗殺キョンシーはさも余裕そうに、硬そうな首をコキコキと左右へ振った。


「全く、あの場でグラスを傾けていれば、夢のまま楽に逝けた物を」


「生憎だが、俺も仕事の最中でな。業務を途中で放り出す訳にもいかんだろ」


「くく、見ものですね。無手の骨風情に何ができるのか!」


 キョンシーの声は鬱陶しくもあるが、言っていることはそう間違っていない。

 そもそも、対アンデッド用の特殊な武器を持つ相手に、無手で挑むのは種族に関係なく無謀なことなのだから。

 チラと視線をローテーブルへ流す。そこには、差し入れと渡された籠に、夕食とヴィダの瓶が残っているくらいだが。


「さぁ、その職に殉じさせて差し上げましょう!」


 ガントレットを握る音。微かな放電音と、青白い光を発する電撃端子。

 大きく振りかぶった拳は、最早受け流させはしないという意思の表れか。

 だが、俺はこの瞬間を待っていた。間抜けではないにせよ、調子に乗った暗殺者気取りが、トドメと振りかぶってくる浅はかな必殺を。


「ふん、甘えんなよ」


 テーブルに足を引っ掛ける。そのまま勢いよく蹴りあげれば、電撃パンチは木の天板へ突き刺さり、上に乗っていたヴィダの瓶は、料理と諸共にクルクルと宙を舞う。

 綺麗に砕けた天板の向こうから伸びた拳が、屈んだ俺の頭骨をかすめた。真っ直ぐ打ち込んでくるのは、大体予想通り。

 瓶のネックを掴まえる。毒入り酒を撒き散らすそれを手に、俺は今までの防戦から一転。キョンシーのよく回る口を目掛け、そいつをアッパー気味に突っ込んだ。


「ぷげぇぁっ!? あ、ああ……あ?」


 ガチン、と。歯だか上顎だかにぶつかった瓶が音を立て、しかし液体の勢いは止まることなく、防腐剤に塗れた身体の中へと流れ込んでいく。

 全く、もったいない話だ。


「薄黄金色のヴィダは、確かに特級品の証なんだが、今日は俺からの奢りにしといてやる。精々、いい夢見ろよ」


 ああ、ああ、と言葉にならない声を発しながら、膝から崩れていくキョンシー。伸ばされた手もそのままに、白目を向いてひっくり返った。

 それでも灰にならないあたり、やはり毒としては眠らせるだけの代物らしい。

 騒ぎ立てないよう気を使わせる主人に、手の込んだやり口。そして乗務員服を何食わぬ顔で着込むことのできる暗殺者。

 簡単な予想だけで、ありもしない肺の奥から、形ばかりのため息が零れた。


「これなら本気で、貨車に忍び込んだ方がマシだったな」

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