第16話 襲撃

 元は庭を彩る装飾か、はたまた何かのいしぶみだったのか。

 本来の役割など知りようもない石柱を背に、俺はそっと建物の前庭を覗き込んだ。


「さっきのエンジンの音なんだと思う?」


「兄弟が帰ってきたんだろ。そうじゃなきゃ、今頃見張りが叫んでるさ」


「それもそうだ。あの穴あき女、ただでさえ泣き虫だしな」


「そこが可愛いとこなんじゃねぇか。むしろ、常に泣いててほしいくらいだ」


「わかる。すごいわかる」


「お前ら歪んでんなぁ、性癖も背骨も」


 崩れた噴水らしき跡を囲んで笑い合うのは、3つの死体。うち2つはフライトジャケットを身につけた骨で、ツッコミを入れた最後の1つは、有刺鉄線を這わせた鉄板で全身を覆っている、多分キョンシー。見たところ、銃火器は持っておらず、骨の片割れは消防用らしき赤い斧を、もう一方は錆びたスレッジハンマーを持ち、キョンシーはそもそも得物の類が見当たらない。

 その他、会話に加わっていない連中も数体見えるが、どいつもこいつも統一感のない装備に、物陰を見回ろうともしない雑な警戒の仕方が伺えた。

 自分の感覚が狂っていなければ、武器を握っているだけの素人、あるいは多少腕っぷしに自信があるチンピラという程度にしか思えない。


 ――立派な建物の割に寄せ集めの警備、ね。


 見たままを信じるべきかには悩んだ。

 人望がなくて兵隊が集まらなかったか、金をケチった結果であるなら見た目の通りかもしれない。だが、先のガスマスクアンデッドを見ると、雇い主の人望や金払いに難があるとは考えにくいのだ。

 とはいえ。


「来ねえな兄弟。門で何かやってんのか?」


「どうせ暇だしな。ちょっと見に行ってくるわ」


 そう言って振り返った骸骨の片割れに、俺は石柱へ頭を引っ込める。

 反応がない辺り、気付かれはしなかったらしい。近づいてくる足音の後ろから、キョンシーが呆れたような声を飛ばした。


「暇ってお前……兄弟のどっちかが穴あきとヨロシクやってたらどうすんだよ?」


 足音が近くでピタリと止まる。


「そん時ゃ、俺が泣いちゃうかも」


 曰く性癖と背骨の歪んだ骨2体は、本気でミイラ女に懸想しているらしい。キョンシーがもう知らんと溜息を放った一方、俺も俺もともう1体が騒いでいた。

 残念ながら、その相手はつい先ほど、顔面にこぶし程の石を投げつけられて昏倒し、門から少し離れた場所へと投げ捨てられているのだが。他ならぬ俺の手によって。

 恋路を邪魔したことは申し訳なくは思うが、詫びを入れてやれる程の余裕はない。

 坂を下っていく軽い足音をやり過ごし、ありもしない呼吸を止めること数秒。俺は静かに地面を蹴った。


「るれ……っ!?」


 伸ばした手の中、コキョンという軽い音と共に髑髏がげる。

 突如身体から切り離された髑髏は、下顎骨こそカカカと小さく震わせていたが、やがて物言わぬ白骨となった。残された身体の方も、暫く真っ直ぐ歩いた後、糸が切れた操り人形のようにその場へ崩れ落ちる。

 スケルトンは骨を1、2本を失ったところで活動に問題はなく、頭蓋骨を外されようと致命傷にはなり得ない。ただ、流石に失神は免れない為、こいつが夜明けまでに目を覚ますことはないだろう。

 まず1体。そう思った傍から、遠くで片割れが声を上げた。


「今の声、まさか本当に!?」


 彼らには安心を与えよう。まだ屍の恋の行方は定まっていないと。

 手にした1匹目の髑髏を地面へ転がせば、それを見た片割れは慌ててブレーキをかけた。


「うぉい!? お前そんなにか!? そんなになるくらいに――べっ!」


 ホームラン、というところか。大きく振り抜いたショットガンのストックは、転がる髑髏を拾おうとしゃがみ込んだ骸骨の側頭部を捉え、新たな頭蓋骨が闇の彼方へ飛んでいく。

 ただ、コォンという乾いた音は警備にも届いたのだろう。


「今の聞こえたか? 何かあるぞ」


 そう言ったのは残されたキョンシーである。雑談に加わらなかった連中と頷きあい、武器を構えてぞろぞろと動き出した。

 崩れた白骨が見つかれば、警戒を強化するはず。動きが活発化すれば敵の総数も見えてくるだろう。


 ――後は、出たとこ勝負。


 崩れた骨の身体からそっと消防斧を拾い上げ、暗がりの中へ隠れれば、間もなく先陣を切ったキョンシーが声を上げた。


信原しんはら! 何が――ッ!?」


 声に揺れた札の向こう。硬直死体は手にした懐中電灯の灯りに、俺の姿を捉えただろう。

 刃を逆に向け、回転しながら飛んでくる消防斧と共に。

 先程と違って聞こえたのは鈍い音。その発生源であるキョンシーは、宙を舞う札を見るように顔を上げ、直立した格好のまま後ろへ倒れ込んだ。

 当然、後続はその姿を目に焼き付けている。


「しゅ、襲撃だぁー!」


 鉄板に有刺鉄線を巻きつけた鎧を、銅鑼のようにガンガンと叩いて咆えるゾンビ。攻撃的な見た目の割に、中々ユニークな使い方だと思った。

 正面に3匹。その内火器を抱えているのはミイラ1匹のみ。ライトの逆光に見えた長い銃身は猟銃か軍用小銃か。


 ――まずはお前か。


 背中から引き抜いたショットガンから、連続で閃光を迸らせる。

 狙いなど適当でいい。どうせ弾丸が行く先は死体共ではなく、その足元なのだから。


「うわっ!?」


 マスクやゴーグルをしていないアンデッドたちは、飛び散ってくる砂利に顔を覆う。

 視界が塞がったのは一瞬に過ぎない。だが、それだけあれば俺には十分なのだ。

 姿勢を低くして一気に距離を詰める。目指すは3体横並びの中央。構えられても居ない火器の懐へ飛び込み、姿勢を持ち上げるついでにショットガンのストックを振り上げて顎を打ち砕いた。


「ふっ!」


 僅かに浮いたミイラの身体を尻目に、左の軽装なゾンビの顔へ回し蹴りを叩き込む。

 足に伝わってくる、想像していた通りの軽さ。腐り果てた歯茎にしがみ付いていた歯が宙を舞い、握られていたファイティングナイフが零れ落ちる。


「こ、この野郎ぉ! 調子に、乗るなぁ!」


 頭上から振り下ろされる鎧に包まれた拳を、1歩後ろへ跳んで躱す。

 しかし、僅かに間に合わなかったらしく、何かが下顎骨を薄く削っていった。


「廃材の山が、思ったより動く」


 顎を軽く撫でれば、指骨に移る薄い鉄の臭い。

 どうやら、無手の壁役だろうという決めつけは改めねばならないらしい。何せ、地面から引き抜かれたゾンビの小手からは、3本の武骨な鉄筋が生えていたのだから。


「もう奇襲はできねえだろ。真正面からスッカスカの身体ぶち砕いてやるぜ!」


「言ったな」


 ショットガンを向けられてなお向かってくるとなると、余程鎧の強度に自信があるのか、抜かれてなお耐えられる身体をしているのか。どちらにせよ、さっきと同じ轍を踏む訳にはいかない。

 有刺鉄線鎧は見た目に似合わぬ素早さでこちらが退いた分を詰めると、連続で拳を振るってくる。パンチの速度もさることながら、強弱を織り交ぜた攻撃は格闘経験者を思わせ、俺はステップを重ねながら後退する。


 ――成程、身体に自信ありという訳だ。しかし。


 横から降り抜かれたハンマーパンチを、地面に手と膝をつく程大きく屈んで躱す。

 無茶に見える回避をゾンビは笑っただろう。これで止めだと言わんばかりに、大きく腕を振り上げた。

 ガツンという激しい衝突音に、俺は強く奥歯を噛む。


「ぬがあぁッ!?」


 しかし、バランスを崩して転げたのは、有刺鉄線鎧ゾンビの方だった。

 余程の衝撃だったのだろう。あれほど誇っていた腕を押さえ、ひぃひぃと息を荒げている。


「な、何をしやがった……!? スケルトンに俺のパンチが逸らせるはず――」


「ああ不可能だろう。な」


 ふー、と息を吐く人間の真似事をしながら、俺は振り抜いたスレッジハンマーを肩へ担ぎあげる。

 どっちだったか忘れたが、さっきの同族には感謝しなければなるまい。ちょうどいい物をちょうどいい場所へ置いて行ってくれたのだから。

 如何に強力な腕をしていたとて、コンクリートを叩き壊す槌を側面に叩きつけられては堪らないのだろう。何せぶつけた俺の方も、軽く手が痺れた程なのだから。


「こんな骨身だ。重たい得物は苦手なんだが、たまに使うなら悪くない」


 膝をついたゾンビの正面に立ち、俺はゆっくりとスレッジハンマーを持ち上げる。


「確か、スッカスカの身体をぶち抜いてやる、だったか?」


「ま、待て! やめ――」


 分厚い鉄板を貼り付けた兜が、まるで釣鐘のようにゴォンと音を立てる。だが、彼の自慢だったであろう鎧は軽く凹んだだけで、しっかりゾンビの頭を守り切っていた。

 成程、ショットガンを向けられても怖がらないはずである。残念ながら、中へ伝わる衝撃までは殺しきれなかったようだが。

 ドォンと音を立てて倒れるゾンビ。これで5匹。

 建物からおかわりが出て来ないことを確認し、重いスレッジハンマーを投げ捨て、代わりにファイティングナイフを拾い上げる。隣に転がっていた長い銃は、手作り感満載だったため放置した。

 ショットガンに弾を込め直し、俺はゆっくりと歩き出す。純粋でお人好しの雇い主様が、暗闇の中で泣かされていないことを、雑に祈ってやりながら。



 ■



「旦那ぁ! 襲撃だぁ!」


 ドタドタと走ってくるハンチングを被った骸骨には、無作法という言葉がよく似合う。

 ならず者たちを率いる兄弟の代理。そんな立場の彼は、酷く慌てた様子だった。その理由は1つしかない。


「そう叫ばずとも聞こえています。状況は」


 私が燕尾服の襟を整えながら向き直れば、ハンチングの骸骨は両手を広げて自分達の窮状を訴えた。


「正面の連中はみんなやられちまった。おかげで裏の奴らは尻尾巻いちまって」


「全く不甲斐ない。威勢がいいのは口だけですか」


 暗い瞳で見下ろせば、彼は以外にも面目ないと頭を下げる。

 余計な言い訳をせず、自らを正当化することもない姿勢は、評価してもいいかもしれない。あくまで有象無象としては、という話だが。


「して、敵の数は?」


「それが、黄ばんだ骨が1匹だけ、でして」


「黄ばんだ骨……ですか。ふむ」


 救いを求めるような暗い眼孔に、私は顎に手を当てた。

 単純に考えれば、自らを磨くことすらしない不潔な骨というだけのこと。だが、それだけと安易に断ずるべきではないだろう。

 何せ、あの妙に整った死体の道連れであろうことは疑いようもないのだ。

 だが、もしも万が一、薄汚れた体が相応に長い時を経たものであったならば。


「外はもう放棄して結構。残った兵は正面扉前に集結させ、襲撃者を待ち構えるように。単純な力比べで敵わぬ相手なら、数の力で仕留めて見せなさい」


「う、うス、直ちに!」


 ハンチングのツバを片手で支えながら、スケルトンは小さく一礼すると、またバタバタと朽ちた廊下をかけてゆく。

 その足音がよく響いたからか、私の背後でギィと蝶番が鳴いた。


「バンハルド? 表が騒がしいようですが、何かありましたか?」


 薄く開かれた扉の向こうから聞こえる、凛と透き通るような声に、私はピシりと腰を折る。


「申し訳ありませんお嬢様。少しばかり鼠が入り込みまして、兵達が駆除に当たっているところでございます」


「難儀であるようなら、わたくしが片付けますが」


 お嬢様はとても聡明であられる。故に、私が鼠程度と告げようとも、空気に漂う僅かな緊張感から何かを察せられたのだろう。

 だが、たとえ我が主と仰ぐ御方の言を前にしても、否、であるからこそ貫き通さなければならない矜恃もある。


「いえいえ、お嬢様のお手を煩わせるような事ではございませぬ。この程度の細事などは私共にお任せ頂き、どうぞ御身のことに力をお注ぎください」


「……では、よしなに」


 彼女は僅かな間を置いてそう告げると、再び蝶番を鳴らして扉を閉めた。

 目を閉じる。ガサつく深呼吸を持って息を整え、私は静かにステッキを握った。


「掃除が使用人の仕事でなくて、なんだというのか」

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