第4話 カリアンズネスト

 ゴミ集積場と再生工場が連なる一角は、独特の臭いと煤煙が入り混じって空気が悪い。

 基本的に誰も近づきたがらない末端のインフラエリア。掃き溜めの中でも奥の奥。

 そんなところへ好んで屯する連中が居る。まっとうな生活を送っているのならば正直関わるべきではない相手だが、自分の持つ唯一の手掛かりである以上、今回はそうも言っていられない。

 山と積みあがる真っ赤に錆びついた金属廃材の中で、不自然に口を開けた狭い空洞。奥には足元に錆びたマンホールが半分ほど口を開けており、地下へ向けてタラップが続いていた。

 その暗い人孔を下った先。廃材で作られたセキュリティゲートをくぐれば、ようやく薄暗い光と複数の気配が流れてくる。


 ――相変わらず、薄汚れた場所だな。


 ボロボロのカウンターに並ぶヴィダ酒の瓶と煤けたスツール。鉄製の丸テーブルがいくつも並び、奥には小さな舞台と暗いスポットライト。壁では誰の趣味かわからない信号機が、ジジジと耳障りな音を立てながら切り替わる。

 穴蔵と呼ばれる地下に隠された吹き溜まりの店。元は地下鉄かトンネルか共同溝か、今となっては誰も覚えていないだろう。

 俺も長い間訪れていなかった場所だが、店の性格も客層も早々変わるものではないらしい。景気も良さげにゾンビ女を侍らせるスケルトンが居れば、一方で刃物をちらつかせられて縮こまるミイラの姿もあり、喧噪も気にせず酒瓶を抱いて転がっている連中もそこかしこ。

 それらの一部は、俺という見慣れない異物の侵入に気付いて一瞬視線を向けてくるが、すぐに興味もなさげに自分の机へ向き合った。バーテンをしているミイラに至っては、グラスを磨く手を止めすらしない。

 こんな場所だからこそ、と言うべきか。俺にとっても気にされないのは都合がいい話である。ゆっくりと狭い机の隙間を縫って歩き、店の片隅に置かれた赤茶けたソファの前へ立った。


「……これはこれは、珍しいこともあるもんだ」


 1人静かにグラスを揺らしていたゾンビは、垂れかかる目玉を戻しながらそう言って薄く笑う。

 まるでピエロのようだと思ったのは、果たしてこれで何度目か。


「俺が来るとわかっていたから、アンタはここに居るんだろ。松土」


 俺の持つ唯一の手掛かり。ガスマスクチビの情報から俺に行きつき、その様をハエと称した腐肉男。

 机の端に立って見下ろす俺に対し、松土はこちらを見ようともせず鼻を鳴らした。


「あまり買い被るなよ。俺は占い師でもなけりゃ神でもない」


「それでも、ここはアンタの庭だ。違うか?」


 長い付き合いなのだ。お互いに本質は理解している。

 継ぎ接ぎだらけの服を着た、掃き溜めにおける影の権力者。穴蔵に根を下ろした、町とは異なる支配機構の長。

 いつどのタイミングからかはわからないが、ガスマスクチビが俺の家に縋りついた時点から先は、こちらの動きを追っていたことだろう。何せ、松土にとって俺は完全なる不確定要素なのだから。

 今更とぼけるなよと視線で訴えれば、松土は手近なグラスを掴んでヴィダ酒を注ぎこんだ。


「とりあえず座ったらどうだ。突っ立ったまま話ってのもなんだろ。一杯奢るぜ」


 お気に入りだ、と松土は希少品らしい酒瓶のラベルを見せながら椅子を勧めてくる。

 酒は嫌いじゃないが、今は楽しめるような状況でもない。ただ、突っぱねて話が進むとも思えず、俺は渋々ゾンビの正面に腰を下ろした。

 その姿を見て満足したのか、眼球の垂れそうな男は薄く口角を歪める。


「庭って言ったな。表現としちゃ間違ってねぇが、流石にちょいと広すぎるぜ。管理を任せられる奴なんかもぜーんぜん足らねぇしよぅ。おかげで場合によっちゃ、雑草も好き放題生えてきやがる。困ったもんさ」


 まるで困ったようにも見えない言い方で愚痴りながら、目の前のグラスにヴィダ酒が注がれる。

 それを一息に呷れば、アンデッドに吸収できる特有の酒精が、ありもしない喉と腹を焼いていくが感じられた。


「……つまり、自分は関係ないと?」


「見えねえな素宮。俺に何が言いたい?」


 僅かに低くなった声と細められた視線がぶつかる。特有の圧とでも言うべきか、急激に大きくなった気配は店の中へ広がり、多くの者が何らかの異変を察して動きを取めた。

 お世辞でも何でもなく、松土が発するこの雰囲気を正面から受けて怯えない者は珍しいだろう。それくらいの力を、この体の腐った男は持っている。正直に言えば、一介の労働者が関わっていい相手ではない。

 それでも、今の俺が怯んでやる理由とはならないのだが。


「――後ろの柱、奥右側のカーテン裏、天井ダクトの上。全部で5匹か、舐められたものだな」


 遮られた視界の向こう側で、それぞれに気配が揺れる。強いて言うなれば、頭上の奴は比較的優秀らしい。

 松土の護衛に当たる身内共。咄嗟に集められたのがそれだけなのか、あるいは手駒に相当な自信があったのか。

 俺は静かに眼孔を正面へ向けた。


「覚悟があるなら止めん。好きにしろ」


 痛みに訴える必要があるかどうか。判断という名のボールはそちら側にあると腕を組めば、松土はピクリと眉を上げた。


「……ひひ、相変わらずおっかねぇなぁお前さんは。随分煙たがってたようなのに、この短期間でどんな心変わりがあったんだ?」


「質問に答える気は?」


 静かに拳を握りこむ。穴蔵で暴れるような事態は気乗りはしないが、向こうが求めてくるなら仕方がない。

 ただ、僅かに腰を浮かせた気配を察してか、松土は逆に深くソファへ体を沈めた。


「へっ、相変わらずトモダチ甲斐のねぇ野郎だぜ。確かに、あのハエに探り入れるよう指示出したのは俺だ。そこは認める」


 爛れた手が空になった瓶をコォンと鳴らせば、バーテンダーのミイラが代わりの物を持ってくる。その忙しない動きを億劫そうに眺めながら、松土は自分の手で葉巻に火を付け、何か悪い物でも吐き出すかのように紫煙を吹いた。


「だがよ、誓って言うが今回の件に関しちゃ俺も、俺の兄弟姉妹も白だ。あのハエを調べてたのは事実だが、直接手ぇ突っ込むほどの旨味があるとは思えなかったからな。だが――」


「情報を嗅ぎつけた奴が居る、か。目星は?」


「元々今回の情報提供者は、お前の居場所と引き換えに宝石を掴んだっつう金属採掘場の受付だ。その干物野郎のゲロ話が正しいなら、リークした先は8番街のホ号通りに屯してる流れ共らしい」


 グラスを揺する手を止めた松土は、揺れるヴィダ酒越しにこちらを覗き込んでくる。

 腐った頭の中にあったのは、こちらへの問いかけではなく確信だったに違いない。あるいは、最初から立場的に無関係である誰かに、始末を投げてしまうつもりだった可能性もある。

 だが、俺には過程などどうだっていいのだ。


「特徴は?」


「集団は4人。率いてるのは、今どき珍しい包帯巻きのミイラだ。それと、サイバネ付きのグール防腐死体が紛れてるくらいか」


「そうか……馳走になった」


 空のグラスを机に残しゆっくりと席を立つ。久しぶりに入れた酒の香りは、錆びついた体を燃やすのにちょうど良かったかもしれない。

 ただ、机に背を向けたところで、後ろから意外な声が飛んできた。


「なぁ、また一緒に仕事しねぇか? お前さんになら報酬は弾むぜ」


 古馴染みだからこそ、とでも言うべきか。お互いに大半の事情は理解している。

 だからこそ、腐敗した男の誘いは嬉しくも思えたし、生活は今よりも遥かに豊かなものとなることも想像はできた。

 しかし、俺は振り返ることなく首を横に振る。


「……悪いが、一度きりの約束だ。次はない」


 金銭的に不自由でも、生死を含めたあらゆる選択を己の意思で下せる立場こそ、自分が望んだ姿なのだ。今更それを覆すつもりはなく、掃き溜めの支配にも興味はない。

 最後に長生きしろよと、アンデッドには不似合いな一言を付け加え、俺は穴蔵を出た。

 砂漠の夜は寒く、白い外灯の光がその雰囲気を一層際立たせている。

 だが、血の通わない俺の身体は妙に熱かった。


 ――酒、興奮、怒り、力。好きにはなれんが、懐かしい感覚だな。


 廃材の山から曲がった鉄管を1本引き抜く。握りはあまりよろしくないものの、今の自分には相応しい。

 これがたとえ刃物であろうとも、掃き溜めの範囲から出ようとさえしなければ、自警団連中に問い詰められることもないだろうが。



 ■



 鉄管片手に、人気の失せた通りを歩くこと暫く。と書かれた看板を越える。

 自分の記憶が確かなら、再整備中の住宅区画だったはず。尤も、再整備とは名ばかりの事業で、実際は不法滞在者を蹴りだす為、廃墟同然となっている空き家を更地に変えていくだけのこと。挙句はそれすらいくらか家を間引いただけで、現場の怠慢によって進まなくなっているとも聞く。

 封鎖テープまみれの家々を見る限り、その噂はどうやら事実らしい。

 おかげで、薄く光が漏れている場所を見つけるのは容易だった。


 ――飲食店の廃墟、か。なるほどな。


 流れが住み着くには悪くない場所である。その点に関してはガスマスクチビにも見習わせたいくらいだ。

 静かに建物へ近づけば、中から明るい声が聞こえてくる。周囲に人が住んでいないのをいいことに、夜通し酒盛りで騒いでいるのだろう。カーテンこそ閉められているものの、焚火の灯りが隙間から漏れていた。

 燃料に酒に物にと、家無しにしては随分金回りのいい連中らしい。その理由は容易に想像がつく。

 だから俺は、躊躇うことなく木製の扉を蹴り開けた。


「あぁ? なんだてめぇ?」


 たちまち陽気なざわめきが消え、警戒した視線がこちらを捉える。その数、4。

 酒のせいか反応は鈍い。ただ、咄嗟に得物へ手を伸ばすくらいの思考は残っているらしい。


「おい、ここは店じゃねえぞ。さっさと出てけ」


 1人目、図体のでかいゾンビ。それなりの服装を身につけ、磨いたチェーンを首から下げている。酒瓶を片手に持つ雰囲気は威圧的。

 何処にでもいるようなチンピラだが、強いて聞かねばならないことといえば。


「……宿無しが随分と金回りのよさそうなことだな。何かいい稼ぎ口でも?」


「ほぉー……? 随分なご挨拶じゃねぇか。すっからかんの頭カチ割って欲しいならそう言えや、あ?」


 こちらの発言を挑発と受け取ったのだろう。ゾンビは歯を見せて唸り、その様子を見た他の連中が後ろでせせら笑う。


「やめとけよ迷子の骸骨さん。腹減って機嫌が悪いのかもしれねぇが、ふっかける場所間違うと痛い目見るだけだぜ」


「マゾだってんじゃないなら、アンタに得がある訳でもないだろ。出口は後ろだ」


 2人目は中折れ帽を被りタバコを吹かすスケルトン。3人目は腕に包帯を巻いたサングラスミイラ。

 どちらも大柄なゾンビと違って近づいてこようとはせず、ヴィダ酒を揺らしながら見物に徹しているが、とりあえず1つ目の鍵は合った。


「さて、どうだろうな。そっちの酒も中々、値段が張りそうに見えるが」


「そりゃどうも。だが、飲めもしない酒を値踏みすることになんの意味がある?」


 4人目。汚れた電子装置を頭に埋め込んでいる小柄なグール。サイバネティクスで身体機能を補うのは珍しくないが、その粗雑さを見れば闇医者で施術したのは一目瞭然であり、むしろ健康被害が出そうに思える。

 とはいえ、鍵が揃った以上に必要なことはない。

 俺は他に気配はないことを確認してから、間近に立つゾンビを睨みつけた。


「……質問の時間は終わりだチンピラ。今の俺は機嫌が悪い。金目のモン置いてサッサと立ち去れ」


「ぁあ? 薄汚れた骨が、舐めたこと抜かしてんじゃねぇぞコラァ!」


 分厚い手が酒瓶を振り上げる。見た目のパワーはもちろん、それなりに分厚いガラスは人骨を砕くには十分な威力だろう。

 無論、当たればの話だが。


「な……?」


 宙をキラキラと舞うガラス片を前に、腐った大男は間抜け面を晒していた。

 無理もないだろう。振り抜かれた酒瓶はこちらの頭蓋骨をかち割ることなく、さりとて空を斬るだけで終わることも無く、握られていた首部分を残して砕け散ってしまったのだから。


「もう一度だけ言う。持ってるモン置いて立ち去れ。そうすりゃ、ガスマスクのチビに関する話は忘れてやる」


 振り抜いた鉄管を軽く握り直せば、エルボの部分が床に触れてガリと鳴る。

 それが呆気に取られた連中を現実に引き戻すトリガになったらしい。今まで余裕の傍観を決め込んでいたゾンビ以外の奴らも、慌てた様子で椅子を蹴って刃物やら鈍器やらを構えた。


「ハッ、正義のヒーローって訳だ。の為に、1人で俺らとやろうなんて、枯れた体でも涙が出てきそうだぜ」


 リーダー格は包帯付きのミイラらしい。周りに目配せをしながら、こちらの気を引こうと鼻で笑ってくる。

 だが、干物が何を考えていようと、俺の欲していた答えはもう出された。否、出されてしまったと言うべきか。


「……その様子なら、遠慮はいらんな」

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