第二十八話 タイム・トゥ・ビギン

電気店やデパートを抜け、そびえ建つやたらと巨大なビルのふもとに出た。


比較的人通りの多い道だ。みな、歩道などにたむろして、何かが―――、つまり擬体バトルが起きるのを待っている。ゲームセンターが賑やかな音を出している。クルセード・ロワイヤルが始まってから、ついにゲームやらなかったな、と僕は思った。


通りに面して、文具などの道具を扱う大型店があり、その脇に、ビルの中心部へと続くアーケードが始まっている。僕はその中を進むことにした。


思ったより距離がある。このままでは12時になってしまうな、と思っていると、唐突に開けた場所にでた。

「サンシャイン広場」と書かれたそのホールは吹き抜けになっており、下から眺めると上の階層をさまざまな人が通行するのが見える。


広場のデジタル時計が12時を指した瞬間、全身が光に包まれた。

「タイム・トゥ・ビギン、TTB!!」


僕の擬体が現れると、周りの人々はどよめいて後ずさった。みな、擬体バトルは危険だということはわかっているが、好奇心に勝てないのか、完全に退避はしない。遠巻きに見ている。


上のほうから、もう一つどよめきが聞こえてきた。3階層上の廊下に、ピンク色の擬体が現れる。ピンク色と言っても、前のチャンピオンのような淡い色ではなく、もっとはっきりした色だ。

ピンクは、広場の中央に立つ僕を見下ろす形で立っていた。


擬体にインテグレーションした僕は、不思議な気持ちの変化を感じていた。はっきり言って、さっきまでは全く戦いたくなかった。おそらくほとんどのハンドラーたちがそうだっただろう。能動的に戦う理由なんてない、戦ってもどうせ消える、親しい誰かを残すために自分は死ぬべきだ…それぞれ、後ろ向きになっていたはずだ。あくまで、クルセード・ロワイヤルという不可侵・不変の神事への犠牲。その精神が、僕たちをここまで来させていたのだ。


だが、擬体化した今はどうだろう?体じゅうに力がみなぎってくる。頭もクリアだ。目の前(と言ってもずいぶん上のほうだが)に現れたピンクの擬体をどのようにやっつけるか、が楽しみに…感じる。戦いたい。抗えない本能のような気持ちが奮い立つ。


「擬体は戦うためのものだからなあ」DOGがのんきに言う。「けど、場所がわりいな」


ピンクはしばらく、動かずに僕を見下ろしていた。


とにかく、あそこまで登って行かないと戦えない。登り階段を探す。ステージの後ろ側に階段が見える。あれを上って行けばいいのだろうか。

僕が一歩踏み出そうとした瞬間、つま先がぜた。


え? 状況が認識できない。なぜ床が爆ぜたのか。


いや違う。撃たれたのだ、と気づいて、初めてピンクを見上げる。

ピンクは叫んだ。「来るな!そこから動くな!!」


あんな遠くから?何をした?

ピンクはまた黙って突っ立っている。銃でも撃ったのだろうか?僕はピンクから目を離さず、やつの射程から外れようと左に横っ飛び…するかのように、フェイントをかけた。

ピンクは確かに「撃って」きた。そのスピードが尋常ではなかった。


ナルオがやられたのは、野球の二人組による至近距離からの打撃、異常なスピードだった。300…いや400キロは出ていたかもしれない。


しかし今のは、それよりもかなり速かったのではないだろうか。距離があったからよかったものの、もう少し近ければ、身構えていても避けられないかもしれない。ただ、床面の破壊度合いから考えるに、威力は野球ほどではなさそうだ。クリーンヒットしなければ、一撃でやられることは無いだろう。


テニス?いや、バドミントンだろうか。たしか、バドミントンの初速はすべてのスポーツの中で最も速い、と聞いた覚えがある。シャトルが空気抵抗で減速するから打ち返せるわけだが、さっきのは減速がなかった。初速を保ったまま撃ち込まれたので、まるで床が爆発したかのように思えたほど、速かった。

しかも、だ。狙いが正確だった。どうする…動けないぞ。


僕はゆっくりとしゃがみこむと先ほどの着弾で壊れた床の破片を手に取った。パイプ椅子と同じで、またもや気休めだ。貧乏性なのだろうか。いや違う。飛び道具や武器がないから、不安なのだ。


「DOG、念のため確認だけど、武器か盾はないんだよな」

「ないねぇ」DOGは呑気に答える。さすがにないねぇだけだと三文字には略さないか。

「NNE!」…ちっ。


「だが、お前そろそろ、オレ・DOGが何ができるのかわかってきただろ?」


何ができるのか。

ナルオは言った。「なんでもできる」と。

そう、僕は気づき始めていた。DOGは、僕の戦いのイメージを具現化してくれる。そして僕のイメージの源泉とは…


ピンクはこちらに余計な作戦を考えさせまいと、もう一発撃ち込んできた。かなり大げさに避ける。撃った瞬間にはもう爆ぜているから、弾道を見極める時間がないのだ。

ただ、一つだけ気づいた。着地点に撃って来なかったということは、そんなに連続では撃って来られないのではないか?


さて、と。

バックステップやコンボ攻撃。そして必殺の打撃。これらは言わずもがな、格闘ゲームの技をイメージしていたものだ。最初から自然に足払いを出したのは、それが格ゲーの定番アクションだからだ。

つまり、僕の擬体・DOGは“僕の格闘ゲームのイメージ”を、今のところほぼ体現してくれている、ということになる。


だが…

「さすがに、物理法則をまるっきり無視したようなアクションは、できないよな?」

僕はDOGに尋ねてみる。ダメ元で。


「じゃあ訊くけど、足から球が出たりアイドルからムチが出たりするのは物理法則的にありなのかよ? BTA?」

なにを略したのかわからないけど、言ってることはもっともだ。

ということは、アレができるってことか…。


ピンクの速射砲は空中では回避できないだろうし、近づけば近づくほど回避が困難になるだろう。一撃食らう覚悟が必要かもしれない。二回食らったらダメージが危うい。


右に跳ぶぞ、とフェイントをかける。ピンクはすかさず撃ってくる。その直後、まだ次の打撃モーションに移っていないピンクに、床の破片を思い切り投げつける。

ピンクの攻撃にはおよびもつかないスローボールだが、やつは反射的に避けた。


その隙に試す。地味だが格ゲーでおなじみの…「三角跳び」。

真後ろの柱にジャンプする。そしてそれを足掛かりに一気に三階、広場の逆サイドまで…跳べるか!?


DOGは優秀だった。きれいな三角跳びで、擬体は驚くほど高く飛んだ。跳んだというより飛んだ。広場の中央の噴水を眼下に見ながら、擬体は大きく弧を描いて、三階の回廊の手すりに飛び移った。

一発食らうことは覚悟だ。攻撃できる間合いまで一気に詰める!

僕は手すりから一気に体を引き上げると、ピンクがいた場所に躍り出る。

光弾が来るぞ!衝撃にそなえろ!


…あれ?


来ない。…というか、いない。


周囲には、逃げ遅れた一般人がちらほら、ぽかんとしてこちらを見ている。

「あのう、ピンクの擬体はどこに行きましたか?」

手近な大人の女性に訊いてみる。

女性はビルの中央部分を指さす。


逃げやがった…。


これが、僕をずっと後悔させることになる、長い長い「鬼ごっこ」の始まりだった。

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