甘えてもいいですか


 笑いをこらえて目を覚ます。刹那に駆け巡った記憶が私を奮い立たせた。訂正しよう。私は、かれらと生きたい。こんなところで無様に伸びている暇など一秒たりともあるものか!

 凍りついたあぎとは放置し、捻じくれたつるを足場にアエロウの背中まで登りきる。氷雨ひさめを切り裂いて飛行する眼下には目眩めくるめく夜の輝きが拡がっていた。

 私の瞳に映るのは、天井の抜けた礼拝堂。二度と針が進まなくなった時計塔。明かりのえた住宅と、その外側で何事もなかったかのように団欒だんらんする人々の灯した〈光〉。橋梁市場の長蛇のにぎわいも見える。

 寒いが、いい眺めだ。

 人間が自然をいじめて造った夜景は美しい。皮肉を込めたつもりはなかった。人間だって時の流れにいじめられる。そして時は傷ついた自然をなおす。世界はよくできている。

 グリフォンの背に搭乗したときも高揚したな。彼と出逢うまではどちらかといえば空にあこがれていた。私の捕食対象のほとんどが陸生なため、脚は自由を意味すると同時に弱者の烙印でもあった。

 弱者は嫌いだった。すぐに死ぬからだ。だから強く、自由で、太陽にもっとも近づける翼が欲しかった。

 ――昔の理想だ。

 今となっては青い考えだと叱ってやりたくなる。私は小さかったのだ。自分が持っていないものについて偏見で語ってしまえるほど小さかった。強さを愛して機械の身体を求めたジェイドのあやまりに通ずる。

 口には出さず、語り掛ける。

 もしも翼を選んだら、おまえのように空を飛んでいたのだろうか。もう一度願いが叶うのだとしたら、私は翼を望むのだろうか。

 ないな、と笑う。

 おまえのせいで頭をぶつけた私だが、すこぶる機嫌がいい。願いを追加できるのなら、おまえに脚を生やして地上の良さを教えてやりたいよ。ちょうど、ここが痛むのだろう?

 私によって砕かれた脚を蔓でめつける。鳴き声をあららげてアエロウがもがく。視界がぐらりと回転する。

 やつは振り落とそうと懸命になっているが、胴体に絡めた蔓が落下を防ぐ。飛行は不安定で、高度は下降気味。とどめを刺すには絶好の機であるというのに、こちらも決定打に欠けていた。

 どうしたものかと思案する。


「のんびり空の旅がしたいわけではないのですが……」


 すると、背の高い建物の屋上に人影がみえた。せたシルエットに期待が半分と、苦々しさがもう半分。


「アイルーッ!」


 私の脳が、私のいちばん好きな高さで「僕」を再生する。彼が手を振っている、ではなくて。


「なんで来ちゃったんですかッ!」


 いつかの山火事と同じセリフを、全く別の意味を込めて放つ。損傷が激しく三割ほどが原型を留めていない建物。危ないので早く降りてください。

 新たな声に引き寄せられたのか、アエロウが彼の周りを飛び始める。私の緊張の糸は極限まで張りつめた。しかし、一向に手を出す気配はなかった。

 怒りに理性を狂わされていようとも、おまえは強きをくじく者なのか。そういえば、一般市民への被害はゼロだったな。


「これ、受け取って!」


 彼がタイミングを見計らい簡易杖クラムジーを投げる。斜めがかった体勢から蔓を伸ばしてキャッチする。

 誰にでも扱える杖。この状況では非常にありがたい。一つの魔法しか撃てない不器用な護身具だが、威力を変えることはできる。どのような魔法が装填されているにしろ、私の魔力量ともなると災害級に昇華させられる。

 能書きは程々に、ひと思いに楽にしてやろうと杖をかざす。

 そして魔力を込めてから、杖そのものがみるみるうちに膨張し始めてから、ある可能性が私の脳裏をかすめた。

 

「……アエロウ。あなた、ギャンブルはお好きですか?」


 人間の魔道具の一部は知性ある魔物による悪用を避けるため、魔物由来の魔力に反応して強制的に爆発する。

 これは切符きっぷで学んだことだが、今の今まで忘れていた。彼もそうだったに違いない。

 意気揚々と大量の魔力を流し込んだのでもう遅い。杖は膨大な熱を発しながら今も膨らみ続けている。さすがに爆心地はまずいと思い、慌てて空中に投擲する。


「あなたには気の毒ですが、お互いに降りるという選択肢はないものでしてね。せいぜい、私を殺した夢でも見ていなさい」


 誇り高き妖鳥と最後の言葉を交わす。その直後だった。耳をろうする爆轟が一帯をき尽くした。



 次の寝覚めは最悪に近かった。口内は煙たく、耳鳴りがひどい。身体中の細胞が穿うがたれてひりひりする。すすけた表皮はだにもげんなりさせられた。

 めてからはそうでもなくなった。かたわらに彼がいて、膝枕で眠っていたと分かったからだ。

 彼の骨ばった膝が、私の寝返りを押し返す。大好きな匂いにつられて消化液が鳴った。もう罪悪感はなかった。多くの出逢いに恵まれたおかげで克服できた。ここにきてようやくスタートラインに立ったともいえる。それはそれとして、おんなの恥じらいは少し。うずめた頬に体温がうつる。私は幸せを噛み締める。

 

「どれくらい眠ってました?」


 言い終える前に、夜空に火の花が咲いた。夜市が始まりを告げている。彼は優しい笑顔を咲かせた。


「まだ余裕で間に合うくらいかな。今回は傷一つなくて安心してたけどね」

「最強ですから」


 無傷なのは意外だ。魔力性の爆発には耐性があるといっても頑丈すぎるような気もする。でも生きているならなんでもよかった。


「お日様の匂いがするドレスに着替えさせてくれたんですね。ここで着るのは、もったいないですよ」


 服がぼろぼろだったからね、と彼がいった。


「他に持ち合わせがなかったんだ。よく似合ってるし、綺麗だよ。きみに買ってあげられてよかった」

「えへへ」


 勢いよく立ち上がり、その場でくるくると回って披露する。街灯の〈光〉のこずえが、舞台女優を支える投光器のように私を輝かせた。観客は欠けた月と彼だけで、それで満員。夜の魔法にかかったのか、馬鹿みたいに笑えた。


「そうそう。いつも通り寝顔を描いてみたんだけど、採点してくれないか?」


 彼は手帳型のスケッチブックを取り出す。もっとヒロインでいたかったな。わがままを夜風にさらわせて彼の隣にかがむ。なぎ倒された街路樹から森の匂いが漂う。


「懐かしいね」

 

 とてもくすぐったそうな声。私は欲に身をゆだねて顔を寄せる。


「はい」


 こんなふうに切り株のテーブルをかこって絵を眺めた。森暮らしのあの頃に戻れたみたいだった。偶然の出逢いから始まった間違いだらけの日々は、いつしかせることのない無謬の色彩に取って代わった。


「七十点」

「わあ、今までで最高得点だ。こんなときに描いたのに」

「こんなときに描いたから、です」


 目を丸くした彼の、まなじりがわずかに下がる。


「……きみも芸術がわかるようになったんだね」

「えらいでしょう」 

「じゃあ、もう一枚」彼は楽しそうにスケッチブックをめくる。「アイルが壊した街。僕のお気に入りは歴史的建造物だ。先人たちの悲鳴が聞こえてきそうなくらい奇蹟的な角度で折れ曲がって……あぁッ!」


 冊子ごと破り捨て、踏みつけにしてやった。この無神経さは正真正銘、彼の個性であって腹立たしい。

 あと私が壊した街ってなんですか。アエロウが壊したんですよ。喧嘩を売っているのでしょうか。


「マイナス千点。おかげで疲労が吹き飛びました、えぇ。ありがとうございますね!」


 これでもくらえ。紙くずを顔面に投げてやると、彼は大袈裟に悲しむふりをした。掴みどころのないひとだ。


「アエロウは」


 話の流れで戦闘を思い出し、短くたずねた。街に降りていた魔力の霜は完全に溶けきり、気温は元に戻りつつあった。


「気を失ってる。怪我の具合をみるに、しばらくは起きないだろう」


 おもむろに上げられた片腕が、爆風で半壊した建物を示す。ほぼ吹きさらしのはりの真下で尾羽が揺れ動く。距離はそこそこ。あらぬ方向にひん曲がった街灯の断末魔めいた点滅と、足元に散らばる水晶体の反射光が案内人を務めてくれた。破片だけでは元の形を特定できないが、ステンドグラスの技法を用いたガラス細工の一つだろうか。

 私は血だまりのなかで眠るアエロウの傍に立った。本当だ、体温がある。生命力のたくましさに呆れた。


「手当てしたんですね」


 患部に手際よく巻かれた包帯を触る。風の悪戯いたずらほつれてしまいそうな木綿の結び目。生き方は不器用なくせに手先が器用なちぐはぐさは、路面を凍らせた季節外れの霜に似通っている。


「いちおう、息があったからさ。もしかして食べるつもりだった?」

「人間は、街なかで気絶した野鳥を見かけても拾って食べたりしません」


 人間、の部分を強調して答えた。なりたいという夢は捨てたけれど、それは努力を放棄する理由にはなり得ない。はやく価値観のみぞを埋めたいし、仕事は覚えないといけないし、好かれる声や仕草の研究は欠かせないし、流行りの言葉も使ってみるし、綺麗でいられる商品は喜んで買う。

 言うなれば、夢は決意に置き換わった。寝て起きたら生えていた脚で、異形を捨てずに演じきってやる。きっと語るほど上手くはいかなくて、幾度となく壁にぶつかって悩んだりもがいたりして、立ち止まっては反省と後悔を繰り返す。途方もなく遠回りな道程を歩む決意。

 外側も内側も汚れきった私を、私のままでいいと認めてくれた人間たちがいる。期待に応えるためにも、できることならヒトでり続けたい。


「まぁ、拾えるサイズではなさそうだ」

「そうじゃなくて」


 あなたのためでもあるのですよ。公衆の面前でアエロウの肉にむしゃぶりつくアルラウネなど、通報沙汰に発展するのは目に見えていた。

 通報沙汰というと私たちを介抱したせいで彼の服は血塗れだった。かくいう私も返り血を浴びすぎた。

 私はアエロウから視線を外し、乾きかけの血をすくって顔面に塗りたくる。彼の顔にも。


「なんのつもりだい」

「擬態しましょう。私には着替えの魔法が使えませんし、あなたも〈放水〉の魔道具でゆすぐのが限界でしょう。それならいっそ、全身血塗れのほうがよさそうです。今日は魔法使いたちの夜バザール・マギなので!」

「なるほど、仮装か!」

「自分たちの恰好がさも当然のように振る舞うんです。どうということはありません」

「きみがいうと説得力が違うな」


 ばたばたとハルピーの群れが私たちを避けて飛んだ。彼女の不在を指摘するまでもなく、ほろ苦い表情が全てを物語っていた。


「ケライノはきみが眠っている間に泣き止んで、夜市のほうに飛んでいった。おこぼれの餌が貰えるんだろうね」

「お礼も言わずにつなんて、とんでもなく無礼なやつです」

「僕たちも行こうか」


 彼が、私のを引いた。それを優しく振りほどく。


「少し、待ってください」

  

 取引に使用されたであろう護送車を探す。存外、近くで横転していた。車軸が外れた護送車のおりを鎖に変えて、アエロウの脚を繋いだ。翼には鋼鉄の錠をかけておく。これで暴れることはないだろう。


「こうして生き延びたのですから、命までは取りません。罰はのちほど駆けつける人間たちが決めるでしょう。おまえの悪行がゆるされたならば、同胞の積み上げた信頼に感謝しなさい」

 

 幸いにも死者は出ていないし、なんだかんだで赦されてしまいそうだから、少しだけ卑屈な心持ちになった。私の同胞はだめな子ばかりなのでね。揃いも揃って凶悪。ほんと嫌になっちゃう。

 大規模な人除けの結界が役目を終えてがれ落ちる。降りしきる魔力の破片は、静粛な夜に反駁はんばくする大粒のみぞれを思わせた。

 行き場を失くした手を揉んで、彼は夜空を見上げている。地吹雪じふぶきんだ夜空は澄み渡り、星のまたたきを肉眼でとらえられた。


「アイルの声は、綺麗だね」

「いまさら」唇から嘆息がれた。「私の魅力に気づいても遅すぎます」

「知っていたよ。ずっと昔から。言わなくても伝わると思ったんだ」

「想いとは口に出して初めて伝わるものです」

「それ、昼間の街で見かけたやつだ。ブライダル関連のキャッチフレーズだったかな」

「挙式はいつにしますか」

「いつでもいいけど、お金がなくてね。これもずっと昔から」

「甲斐性なし」


 唇を尖らせたつもりが不思議とはにかんでしまった。そこに心なしか低いトーンの、綺麗だね、というつぶやきが混じる。

 二人は同じ景色を見ている。

 穴の空いた外壁から差し込むつぶらな光は、私たちの影によってむしばまれていた。まるで満ちた月をむように。

 えぇ、とても素敵な夜です。

 破壊の爪痕から生まれたひとつまみの感動に言葉は不要と判断し、えて心の中にほうむった。

 

「クエレさん」出し抜けに彼の名前を呼ぶ。「来てしまったことをとがめたりはしませんが、思ったよりも早くに着きましたよね」

「魔法が解けた直後に全力疾走……と言いたいところだけど、坂の途中に別のゴーレムがいたんだ。所謂いわゆるヒッチハイクってやつさ」

「それで息切れもせずに」

「時間には余裕があるっていうし、次の配達が夜市の方面らしくて帰りも乗せてくれるそうだよ。あんまり待たせるのも悪いから、そろそろ行こう」


 今度は為すがままに手を引かれ、彼の腕にしなだれかかった。


「甘えてもいいですか」

「頑張ったからね」


 恋人たちがそうするように腕ととを絡め、馭者の待つ夜道を歩いた。を触れ合わせているだけで、世界を構成するさまざまな色に特別な意味が与えられた。

 分けへだてなく地上に降り注ぐ〈人魚セイレーン〉の髪の毛のように黄金の月明かりは、礼節をわきまえない乱暴な愛撫であった。同胞の負傷をいたわるハルピーの新緑を秘めたさえずりは、私たちのためにまれた相聞歌そうもんかのようであった。

 全ての事象が、二人のためにあるのだと錯覚した。

 どさくさに紛れて唇を押しつけたら怒るかな。嫌がるかな。照れくさそうに受け入れてくれるのかな。重なる足音に幸福な妄想がはかどった。

 私の選択に何かしら重大なあやまちがあったのだとすれば、間違いなくこの瞬間だ。

 結界による規制線が解除されていないにも関わらず、戦地を目指した馭者を真っ先に疑うべきだったのに、ほうけきった脳は役立たずになっていた。

 己の過失に気づいたのは、馭者の姿を視認したときだ。全身があわ立った。警鐘の真の正体はこいつだと一瞬のうちに理解させられた。

 待ち人は土くれの精霊ではなかった。魔力をねて作り出した、がらんどうの容器が立っていた。アエロウとはけた違いの禍々しさを放ち、優雅に月光を浴びている。

 彼が気さくに、待ちぼうけの〈容器〉に話しかける。〈容器〉は答えない。彼はひるがえって私に手招きをする。

 唐突に、〈容器〉が彼の肩を掴んだ。掴まれている感覚がないのか、意に介する素振りを見せずに笑みをこぼす。ずぶずぶと黒い塊が、彼の身体を侵食しようと拡がる。

 私はすでに駆けていた。


「あなた、一体……」温存した魔力を荊棘にまとわせ、思いきりさけぶ。盛大な花火の炎色が〈容器〉の相貌をあばいた。「んですかッ!」




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