察しの悪い人間ですね


 路には霜が降りていた。塀に飾りつけられたあかりはさながら白染めの衣を身にまとい、勾配に沿って末端を凍てつかせる風を運ぶ。

 青女の日――かつては木枯れの季節であったらしいが、緩やかな気候変動の影響でずれてしまったため、霜の時季には少し早い。

 斜面を覆う霜が帯びた魔力性の冷気。人間の放つ魔力とは明らかにかけ離れた〈水〉の産物。もはや魔物の仕業に疑いはなかった。

 私は急いだ。

 真っ白なみちに私の焦りが刻まれていく。よりにもよって青女の日に、氷の足跡をつけることになるとはね。

 さらに二段ほどめぐると、避難を呼びかける声がはっきりと聞こえた。指示に従い逃げ惑う人たちでにわかに空が騒がしくなり、それを好奇の目で見たり、なかには無関心そうに夜間の仕事に励む人間もいた。

 魔法の不自由な人は、私と同じように走っていた。流れに逆らいひたすらに上を目指す最中さなか、背後をいた魔法で足を固定される。


「危ないので近づかないでください!」

 

 若い魔術師だった。


「私はあなたの上司です。手短に状況説明を求めます」


 はじめは猜疑の目を向けられたものの、私があまりにも平然としていたので騙されたのか、申し訳ありません、と謝罪を述べるに至った。それから拘束を解き、神妙な面持ちでいくつかの情報を渡してくれた。


「――なるほど、やはりハルピュイアが原因でしたか。〈水〉の魔力をかんがみるに北の個体で?」

「おっしゃる通り、アエロウの取引でした」

「よろしい。では、任務に戻りなさい。ついでにその術師帽はお借りしますね。なんせ休暇中だったものですから、ほら、私服では締まらないでしょう」

「は、はぁ……」


 またしても警戒の色をあらわにしたので、顔を寄せて両手を握る。


「あなたの働きぶりには期待しています。事態の収拾後はこれを返さなくてはいけません。そのときは食事にでも行きましょうね」


 その後、私は術師帽のつばを触った。これでおとこを陥落させられると他ならぬ彼女から学んでいる。


「……ハイッ!」


 生真面目そうな若者を真っ赤な嘘で丸め込み、師団員のあかしまで収穫できたのはありがたい。夜間で助かった。

 さっそく〈帽子〉であぎとを髪の毛に変えておく。一般市民を怖がらせないための配慮もあるが、私が退治されては骨折り損というやつだ。折れる骨はないけれど。

 気が緩みかけたところに空の息吹を体現したかのような〈風〉が駆け抜け、本能が身をすくませた。

 懐かしい、とも思う。森はその身に多くの命を住まわせる一方、休まることのないきびしさを潜ませていた。人間の街というぬるま湯に浸かりすぎていたな。ある種のたかぶりを胸に抱き、私は足を速める。



 彼を置き去りにした地点から数えて四つ目の坂に差し掛かると、そこで惨状を目の当たりにした。

 巨大な爪で抉り取られた地面。片足を引き摺ったような血痕。氷漬けの街路樹。無惨にも倒壊した建物の瓦礫は、ちょうど枯れ木の下に外れ落ちた病葉わくらばのように積み重なっている。

 依然としてハルピュイアの姿を発見できずにいるが、鳥獣の魔力を驚くほど近くに感じる。

 慎重になろうと決めた矢先、戦闘とおぼしき爆轟に紛れてかすかな呼吸音が聴こえた。瓦礫の山に駆け寄り、そこで下敷きの男を助け起こす。


「意識はありますか、あなた。死んではだめです」


 負傷者の頬を叩く。空腹も相まって、顔や衣服に染みた血液の匂いに興奮しかけた。衝動をどうにか抑え込んだ私は、〈止血〉の応急処置を施しておく。

 傷の治りが早い。

 予め魔法を掛けていたのか。ならば、大事には至らないはずだ。男は意識が混濁したようすのまま、血塗れの術師帽を握り、震える指で南西にそびえる建物を差した。何かの魔法を使っている。――〈予知〉か。

 蔓による魔法の識別と、その建物の破壊は同時に起きた。ハルピュイアの鉤爪が石材を貫き、私たちの真上を飛び越えていった。次いで醜悪な鳴き声を上げたかと思えば、空中でひるがえる際に爪の隙間から人間らしき塊を落とした。

 死体と覚悟したが、落下の途中で魔術師の一人に助けられ、短い会話を交わしたように見えたので息はある。

 灰翼のハルピュイア。へドリス語で「北に棲む女アエロウ」の異名を持つ、最も獰猛で狩猟に特化した種族だ。腐肉を食い千切って逃げていく有象無象の魔物とは一線をかくす。

 後ろを見る。〈予知〉は続いている。本能で意図を理解する。足元のひしゃげた猟銃と瓦礫に刺さった長剣を強奪、もとい調達し、私は一気に距離を詰めた。

 かつて私の命を狙い、私に奪われた人間のほとんどが持っていたから、たぶん強い。強い私ならまさしく魔術師に杖だといえる。

 爪先に集中させた魔力が身体を軽くする。跳躍の前後で奇妙な全能感に包まれた。今なら時間の流れすら掌握できる気さえした。

 眼前で魔術師が着地する。そこにアエロウが迫るであろう、未来が視えた。私は長剣を振りかぶった。

 大腿部を負傷した同僚の身体を横たえる、その隙を狙い澄ましたかのように〈水〉の魔法が発動する。地面ごと片足が凍る。舌打ち。すかさず、アエロウが爪を剥いて加速する。

 抜杖し、応戦の構え。防護魔術の詠唱。それは間に合わない。だが、私の刃が間に合った。

 魔術師に向けて繰り出された致命の一撃を受け流すべく、剣の切っ先を滑り込ませる。

 趾爪しそうを阻む手応えと共に、剣から〈火焔〉がアエロウに目掛けて噴き出した。私も驚いて上体をけ反らせる。先の使用者がかけていた魔法か。

 予期せぬ反撃に崩されたアエロウは退いて体勢を整えるかと思いきや、もう片方の趾爪しそうで剣身をほむらごと掴み、捻るような動作でって容易く長剣を粉砕する。

 剣は諦め、ひしゃげた猟銃に持ち変えた私は、鈍器の扱いと同じ要領で横っつらを殴りつけてやる。鈍い音はしたが弾は出なかった。これ、殴って発射する仕組みではないのですね。


「バカッ! 銃口を持ってどうする、引き金を引け!」


 罵倒されたが無視する。引き金ってなんですか。のこぎりならいたことがあります。

 そんな軽口を叩く余裕はないので殴り続ける。アエロウは猛禽らしく湾曲したくちばしの開閉を繰り返し、うでを引きちぎろうと足掻あがくがそうはさせない。瞳は人間のものに近く、怒りで滲んでいた。悔しかろう、悔しかろう。

 私を凍らせるための魔法を常に仕掛けているようだが、どういうわけか寒さには滅法強かった。


「さあさあ、北国の〈水〉遊びでは歯が立ちませんよ。あなたは鳥ですから、立てる歯、ないでしょうけど!」


 らちが明かないと察したか、アエロウは空へと舞い戻った。一直線に闇夜をけ、またたく星々ほどの高さに達すると、剥いた爪を魔力できらめかせ、かかとを落とす体勢で急降下する。大気中の魔力とアエロウの纏う魔力同士が激しく擦れ、流星のような火花を散らしている。向けられた殺意の熱量に、細胞に眠る野性が歓喜した。

 そこで私と入れ替わるように立った魔術師により、正面の空間に〈城壁かべ〉が構築された。強力な防護魔術であると一目で分かったが、アエロウは脚の一振りで突き破り、魔術師の頬をかすめて私の喉元に迫った。

 間一髪、交差させた蔓で防ぎきる。しかし、その恐るべき怪力に繊維の一部が断たれ、右蔓みぎうでが脱力する。

 形勢が傾きかける。損傷の程度を悟られまいと私は最大限の魔力を解き放ち、アエロウを威嚇する。

 ほらみろ、受けきってやったぞ。おまえでは私を殺せまい。次はかならず殺してやる。単純明快なる力の言語だ。 

 ぎゃあ、ぎゃあ、と鳴き声を上げ、アエロウは翼をひるがえした。

 今は捕食者としての序列を探るために回遊魚のように飛び回っている。本来であれば、ここで諦めるのが互いにとって有益である。だが、やつの目には誇りと憎しみがあった。また殺しに降りてくる。

 人間と思われているうちに再生の時間稼ぎがしたい。アルラウネと分かれば息つくいとまも与えてはくれないだろうから。それくらいの知恵はやつにもある。

 アエロウはかしこい生き物だ。人間の受けた傷はすぐに治らないと熟知しており、ゆえに正しく油断する。

 一度肩の力を抜き、魔術師を見やる。ケロイド状の古傷が目立つ強面の中年男性だった。眼光は鋭く信念に満ちており、私のような魔物を大義などと抜かして斬り捨てそうな雰囲気がある。


「他所からの応援か、助かった。見ない顔だが、どこの所属だ」


 魔術師は同僚に〈治癒〉をかけていた。魔法で姿をくらますように言いつけた後、こちらに向き直る。

 

「エリクシール・フーカに在勤。主に接客を担当。勤続一年目、後継ぎの心配にはおよびません」


 不可解そうに首を捻られた。


「実戦経験は」

「数えてませんが、ざっと二百年ほど」

「そりゃ、頼もしい」


 アエロウを見据えたまま、魔術師は背面に跳んだ。さきほどまで立っていた場所に氷の矢が突き刺さる。氷はすぐに溶け、羽根に戻った。

 私は膝と心臓部に合わせて三本被弾している。今まで動けなかった身だ。咄嗟に避けるという命令を下せなかった。

 仕返しに瓦礫を槍に変えてこちらの射程を示そうとすると、その詠唱を魔術師はさえぎった。


「外せば被害が拡大する。どこまで飛ぶか分からんものに頼るな」

「近くに人がいるのですか」

「いや、それはない。人除ひとよけの結界を張った。だがお前の魔力には耐えられん」

「術者はどこに?」

「そこの、瓦礫の裏だ。被害を最小限に食い止めるかなめと思え。絶対に死なすなよ」

「あいッ!」


 人体の急所を狙った氷の矢。今度は辛うじて避ける。身体が慣れてきた。夜を彩る街灯の〈光〉が、こちらに向けて羽根をつがえたアエロウの姿を照らし出す。

 やはりその瞳には憎しみが宿っている。

 上空より放たれる正確無比な射撃を回避しつつ、私は魔術師の男に問いただす。


「アエロウがなぜ、あなたがたに憎しみを抱いているのか、包み隠さずに話しなさい」


 食欲とは明確に異なる殺意。言葉を交わさずとも、やつが人間を嫌っていないことは分かる。しかし、魔術師を憎んでいる。

 幾星霜を経てつのらせた恨みではなく、短時間のうちにふくれ上がった激情というのが私の見立てだ。


「それが分からんのだ。ただ、首輪の付け替えまでは従順な女だったが、その後に暴れ始めたとの報告を受けている」

「首輪の不良?」

「……そう考えるのが妥当だろう。だがな、アエロウは首輪がなくたって人間を襲うことはない。それがどんなに凶暴な女でもだ」

 

 私は首肯する。獰猛なのは魔物わたしから見たハルピュイアの気質であり、人間にはよくなつく。自然界で暮らすアエロウが遭難者を助けた逸話も耳にする。変わったところでは「魔物姫」のモデルでもある。

 呪いで魔物に変わり果てたお姫様の姿は、北の大地の醜女しこめ、すなわちアエロウに酷似していたとの描写がなされている。

 こういっては身も蓋もないが、幼少期はちびで臭く、大人になってもみにくいとののしるくせに、人々は最後のキスで涙を流すのだから、人間にとって特別な魔物であることは間違いない。


「しかしハルピュイアとグリフォンは違います。名ばかりとはいえ討伐指定される魔物には、相応の理由があるはずです」


 一方でハルピュイアが原因とされる人身被害件数は、非討伐指定種のグリフォンのそれを凌駕している。

 魔術師は不愉快そうに鼻を鳴らした。

 

「これだから頭でっかちなやからは好かん。いいか、数字に惑わされるなよ。アエロウはまれに人間を殺すが、から人間を見下しちゃあいない。ぶつかり合うのは俺たちを対等だと認めているからだ。グリフォンはだめだ。あいつらは人間を選ぶ。下と判断したやつには見向きもしねえ。対してこの女はどうだ、好みこそあるだろうが、時間と愛情をかければ誰にだって懐く。でなきゃ、一般流通は認められない。……流れができればどうしても事故は起きる。魔道具もそうだが事故ってのは普及するほど増加していくもんだ。……今年の入団試験にも出題されたが?」

「……ソ、ソウデシタ!」


 ずれた術師帽を被り直す。今は新人魔術師に擬態しているのだった。口はわざわいの元と言いますからね、ぼろが出ないように慎まないと。

 瓦礫の盾を操りつつ、私は考える。

 居住区域内外の治安維持を目的とする組織の人間らしい、博愛とも差別的ともつかない独特の価値観。彼やタビ、フーカともたがえた長さの定規を持っていて、アエロウを人間の女性のように表現する。

 根っからのハルピュイア好きか、思春期以降の強烈な実体験によるものか(アエロウとの性交で感染症にかかった人間は実在する。私はその愚か者の処方箋を受け取った)、自身を含めた周囲の飼育経験にもとづくのか、いずれにせよ、この男の不手際ではなさそうだ。

 その時、アエロウが滑空姿勢で飛来する。両翼に超低温の〈水〉をまとい、氷の剣を再現している。

 どうも人間の武器が好みらしい。

 鳥の人真似ひとまねにしては切れ味が凄まじく、朽木を割るように石材を切断し、私たちの頭上に瓦礫の雨を降らせた。

 立ちのぼる砂埃にまぎれ、魔術師が詠唱を始める。空間が捻じ曲がる。私の手前に、アエロウの背後へと繋がる〈座標まど〉が開いた。


「アエロウとの距離を縮めた。攻撃は任せたッ!」

「もうすでに」


 やつに向けて〈大地〉の槍を撃ち下ろしている。空間の歪みにアエロウは気づかない。今、私のうでが片翼を捉えた!

 直撃だった。

 降り注ぐ瓦礫が、やつの悲鳴に変わる。


「そのまま弾けろッ!」


 風穴を開けるだけでは墜落には至らない。だから槍に千切った蔓の断片を仕込んでおいた。魔力によって強制的な回復をうながされた蔓は、不完全な形で私自身の姿に戻ろうとするが、再生しきれずに四散する。その現象が、アエロウの翼はずたずたに切り裂かれた。おびただしい量の血液と羽毛が舞い落ちる。

 空に見放されたアエロウは徐々に速度を上げながら落下を開始する。重力を思い知るがいいです。

 

「でかした新入り! やつに土の味でも噛みしめさせてやれ」


 男も似たようなことを口走っていた。ローブの袖に霜が垂れている。〈座標まど〉を開くために温度調節の魔法を解いたせいだ。

 あとは生け捕りにすればいいと思った。だが衝突まで残り数秒といったところで、やつの右翼は空を掴み直す。


「翼が再生している……?」


 目を疑う。赤黒い氷柱つららと羽毛をいだ、ずたずたの翼でアエロウは飛んでいた。


「……違うな。傷口を魔法で凍らせ、無理やり翼の形を保たせてる。要は偽肢レプリカと同じ理屈だ。魔力が尽きるまでの悪足掻わるあがきに過ぎん」

 

 そうか、欠けた部位を魔力で補っているのか。私の再生と違い、消耗の激しい延命行為。

 アエロウが咆哮する。

 解き放たれた魔力が周囲の温度をいっそう低くする。やつはようやく私を見た。魔術師の仲間としての認識を捨て去り、純粋な怒りで私を見つめる。瞳が、私だけを狙っている。


「めちゃくちゃ怒ってるなあ……。他に戦える者はいないのですか」


 把握できる数で魔術師の負傷者は十二名。結界維持の術者が一名と、この男。下の避難誘導者が少なくとも五名。

 今の戦力で怒り狂ったアエロウを制圧するのは不可能といっていい。私が新人の立場なら命惜しさに逃げ出すだろうね。でもそれは許されない。魔術師とは難儀なものだ。これほど絶望的な状況下でも、市民のために犠牲にならなければいけないというのだから。


「とっくに応援要請してるが、しばらくかかる。王宮うちのモンは竜の警戒で区域外に出動しちまった」

「竜?」

「青女は竜の隠語でもある。青女の日とは、竜が最も活発になる日だ。お前、試験は寝てたのか?」

「実技派なので」


 言いながら、アエロウの体当たりを同時にかわす。魔力の鎧を纏ったシンプルな攻撃。これが一番厄介だ。

 やつが通り過ぎるたびに破壊の力を宿した風が巻き起こり、周囲の建物が〈切断〉されていく。

 私たちは風の斬撃を魔力の壁で遮断し、回避を徹底する。たまに魔術師が〈落雷〉を命中させているが、人間の貧弱な魔法では魔力の鎧にはじかれてしまう。

 こうも好き勝手に暴れられると、だんだん腹が立ってきた。ぶっ飛ばそうにも安全がどうのこうのとうるさいし。


「で、詮索は結構だが策を明かせ。お前の動きに合わせてやっているが、アエロウを疲れさせるのが目的ではないのだろう」


 単調な動きに痺れを切らした男がたずねる。魔力が尽きかけているのかもしれない。


「流石はベテランさんですね」

「世辞はよせ。お前の余裕そうなツラをみると、嘲笑わらわれた気分になる」


 実際に余裕だった。多少の痛痒つうようはあるけれど、傷はすでに癒えた。


「しつれいな! あなたが弱すぎて、それはもう頼りないので呆れているだけですよ」

「失礼なのはお前だろ」

「そう怒らないでください。せっかく私の好きな人とお揃いなんですから、幻滅しちゃいますよ?」

「……なかなかお前は、見る目がない女だな。俺に似て、よっぽどいい男なんだろう」

「えへへ」

「褒めてないが」


 気を抜いた途端に攻撃を受ける。肩が抉れた。フーカの魔法であつらえた服が台無しになった。また腹が立つ。


「ちなみにですが、人除ひとよけの強度を上げることは可能ですか? たとえば魔物が二体、そこで暴れてもいいような」

「俺が維持に加われば可能だ。これでも防護専門だからな」

「では結界の補強と、ついでに負傷者の移動も任せました。私が、アエロウをぶん殴ってやります」

「お前にできるのか?」

「私はあなたがたと違って嘘つかないです。擬態してますけど。……さっきは嘘つきましたけど」


 魔術師をかたったり。まぁ、ちょっとだけ。


「どっちなんだ」

「どっちなんでしょうね」


 自分でもよく分からなくなった。それより、と私は続ける。


「……知っていましたか? ハルピュイアの胃袋にはアルラウネ毒への耐性がありましてね。よく親戚が為す術なく食べられるところを見かけたものです。とりわけアエロウはその毒が大好物で、夜間にアルラウネの花粉を嗅ぐと興奮のあまり飛び方を忘れてしまう個体がいるのだとか。本能的酩酊とでも言いましょうか。つまりアルラウネの毒素によって酩酊状態にさせることで、事実上の拘束ができるわけです。結界内から出られません。これなら避難誘導は楽々で、私も気兼ねなく戦えて、かならず勝つので世界平和でハッピーになります」


 控えめな胸を張りまくって説き伏せにかかる。魔術師の男は渋い顔で首を横に振った。


「アルラウネの毒の成分は複雑すぎる。魔法で作るのは無理だ。となると直接採取になってくるが、これも易々と手に入るモンではないぞ」


 おかしくて声が出そうになった。目の前に本物がいるというのに。ああ、そうだ。術師帽を被っていたんだったな。


「あなたもなかなか、察しの悪い人間ですね」私は〈帽子〉を脱ぎ、隠していたあぎとを露出させる。「本気を出すには、だと言っているのに」


 私はアルラウネで、薬屋見習いのアイルだ。おまけにとっても強い。虫の居所はとっても悪い。負ける道理がない。


「……聴取すべき事柄は山ほどあるが、今は目をつむろう。しかしだ。ただの部外者、それも魔物に任せたとあっては、魔術師としての面目が立たん。……ゆえに問おう。お前はなぜ戦う? お前にとって人間は守るべき対象か?」

「いいえ」

 

 即答だった。散々傷つけてきた人間を、今更、守るべき対象だと言いきるには無理がある。

 以前とは人間に対する心境が異なるのも事実であったが、見ず知らずの人間に救いのを差し伸べるほどの善性はない。

 人間の問題は人間が解決すべきだと思っているし、私にとって死というものはありふれている。森にははじも外聞も倫理も正義も悪もなかった。死肉をむさぼけものの横で昆虫がセックスにいそしむような世界だ。たおれた古木のうろをつい住処すみかとする生物もいた。

 死にたくはないが、死には慣れすぎた。アエロウに殺されかけた人間を、心の底から救いたいかと問われると、やはり否であった。

 だから極力を貸さないつもりでいた。彼ならたぶんそうするから、できるだけ怪我人を出さないように頑張って、応援要請が通るのを待つ。正体は隠し通す。だってそのほうが楽だから。草むしりですら同胞殺しみたいで嫌なのに、命を投げうつ慈善活動までは御免をこうむりたい。

 ――こっちがきたいくらいだ。

 人手不足と分かり、人間の厄介ごとに首を突っ込もうと決断した理由。何度考えてもそれらしい解を導けないのだ。

 ただ、そうしたほうがいいと思った。心が合理ではないと、私が守りたいと思う女性は言っていた。


「だったら、なぜ戦う。お前を信ずるに足る根拠を示せ」

「根っこですか。そうですねえ……。強いていうなら力の差が歴然としているから、でしょうか。もとより私にとってアエロウとは、命をしてのぞむほどの脅威ではないということ」


 会話を待たずにアエロウが肉薄する。鋼の剣を砕いたその脚の一振りを、直立不動のまま、あぎとのみの力で受け止め、勢いそのままに家屋に叩きつけてやった。

 巨大な捕食機構を有する変異種は、毒に頼りきりのな原種とは強さの次元が違う。おまえたちの安否を気遣わなくてもよいのなら、やつの制圧など児戯を覚えるよりも簡単だ。


「あなたも知っての通り、私は魔物です。人間ほど小難しく、あれやこれやと考えません。ちょっと鳥肉の味を確かめるだけ。興味がありますので、ほんとうに、それだけです」


 アエロウが、がらがらと音を立てて埋もれた翼を起こす。男はそれを一瞥いちべつし、短い逡巡を重ね、れたローブの裾に杖を仕舞った。


「……あい分かった。お前の力を信じよう」

「しけもくでも吹かして、とっとと逃げやがれ、です」


 仲間を〈浮遊〉させて去る男の背中を見て、なんだか気が楽になる。彼もあれくらい素直に逃げてくれたらいいのに。

 デコイの花粉を撒いておこう。よそ見をされてはこちらもこうずるのでね。


「逃げたり、泣いたり……情けないところばかり見せていましたが、今はかれがいないので、私、めちゃくちゃ強いですからね」

 

 冷気を宿した荒くれものに語り掛ける。大地を侵食する薄氷うすらいを、新品の靴底で踏み潰す。

 生来、私は一度たりとも負けたことがなかった。自然界において敗北とは死ぬこと。からがら逃げおおせる手足や翼を持たずに産み落とされた生命は、尚更強固にその真理を五臓六腑に行き渡らせ、先代より受け継いだ知恵ちからを絞って不平等を捻じ伏せなくてはならない。

 私とおまえで、一対一。互いに無敗の生命。ぶつかればどちらかに敗けがつく。これといった策はないし、必要もない。私はかならず勝つからだ。そうやって生き残ってきた。


「辞世の花言葉」再び、爪撃をあぎとで弾き返す。「そのくちばしで、めますか?」


 夜市までは一時間を切っている。



 

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