　それから数日後。魔法学校にある研究棟（とう）の一室で、床（ゆか）に這（は）いつくばった姿勢でメラニーは一（いつ）生（しよう）懸（けん）命（めい）に書き物をしていた。それは侯（こう）爵（しやく）家の令（れい）嬢（じよう）とは思えない姿だったが、幸いここにはメラニーと使い魔のメルルだけで、𠮟（しか）る人間はいなかった。

「……できた！」

　最後のページを書き終えると、インクが付いた手で汚（よご）れないよう、書き上げた羊皮紙を慎（しん）重（ちよう）に指先で摘（つま）み、ゆっくりと目線の高さに持ち上げる。びっちりと紙の隅（すみ）から隅まで書かれた力作に思わず笑（え）みが零（こぼ）れた。

　床にはそうやって書いた羊皮紙が広がっていて、足の踏（ふ）み場もない状態となっていた。机が調合道具と材料で散らかっていたために、床の上で研究論文を書いていたが、さすがに長時間変な体勢でいたので、腰（こし）が痛い。

「ふぅ。すっかり徹（てつ）夜（や）しちゃったわ」

　本当は途（と）中（ちゆう）で切り上げて、校舎の隣（となり）にある寮（りよう）に帰るつもりだったが、ついつい夜通しで書き上げてしまった。

　立ち上がって、ぐーと伸（の）びをすると、机の上に置かれた昨日完成したばかりの薬（くすり）瓶（びん）が目に入った。それはこの魔法学校に来て、初めて自分の力だけで作った回復薬であった。

　机の上には開かれたままの書物や調合で使ったガラス器具、乳（にゆう）鉢（ばち）といった道具が所（ところ）狭（せま）しと並び、いかに調合に悪（あく）戦（せん）苦（く）闘（とう）していたかがわかる。

　ここは魔法学校の校内にある研究棟のメラニーに与（あた）えられた部屋で、机の上の調合道具の他にも特大の錬（れん）成（せい）釜（がま）や薬品棚（だな）といった設備が揃（そろ）っていた。更（さら）には部屋の隅に休（きゆう）憩（けい）用の長（なが）椅（い）子（す）が備わっており、その上にメラニーが持ち込んだ布（ふ）団（とん）やクッションが積まれていて、実質ベッドと化していた。その長椅子の下には使い魔であるメルルの居住スペースもあり、気持ちよさそうにメルルが眠っている。

　叔父であるダリウス教授に誘（さそ）われ、魔法学校にやってきたメラニーだったが、まだ大して日数も経（た）っていないのに、与えられた研究室はすっかりメラニーの巣となっていた。

　元々、魔法学校にはダリウスの助手として呼ばれたはずだったのだが、その仕事は簡単なもので最初の数日で仕事のほとんどが終わってしまい、メラニーが暇（ひま）を持て余していると、ダリウスが学校の研究棟の一室を好意で貸してくれたのだ。しかも、学校の設備は自由に使っていいとまで言ってくれた。

　そんな叔父の計らいに感謝し、メラニーは好意に甘えて憧（あこが）れの魔法学校での生活を満（まん）喫（きつ）しようと考えた。

　とは言うものの、魔力のないメラニーにとって魔法学校での過ごし方は限られていた。当然、実技系の授業には参加できないし、大勢の生徒に交じって座学を受けるのも人見知りのメラニーにとって苦痛に等しい。そもそも正式な生徒でないのに、勝手に授業に参加するのはいかがなものか。その辺りはダリウスも特に何も言わなかったが、生徒に交じって何かするのは遠（えん）慮（りよ）することにした。

　そうなると、できることは与えられた研究室で自分の研究を行うくらいのものだ。

　そこで、ダリウスから魔術に使われる薬品作りや魔法道具の作製などの簡単な調合の基礎を教わると、研究室にて一人で調合をするようになった。

　ある程度の物が作れるようになると、今度は以前から作ってみたいと思っていた古文書に記（き）載（さい）された回復薬の調合に乗り出した。

　幸いなことに研究に使う材料や調合道具などは、国中の魔術師の卵が集まる学校なだけあって充（じゆう）実（じつ）しており、研究に打ち込むには素（す）晴（ば）らしい環（かん）境（きよう）だった。

　しかし、さすがは古（いにしえ）の廃（すた）れた魔術。今まで本を読むこと以外魔術に触（ふ）れてこなかったメラニーには一（いつ）朝（ちよう）一（いつ）夕（せき）に作れるものではなく、何度も試行錯（さく）誤（ご）を重ねながら、与えられた研究室に籠（こも）りっきりになることになった。

　そして昨日、ついに完成したのだ。

　薬瓶の中で紫（むらさき）色（いろ）に発光する液体を眺め、改めて魔（ま）術（じゆつ）師（し）らしいことができたと喜んだメラニーは、折（せつ）角（かく）なのでその作り方を論文として文章にしたためていたのである。

　調合から研究論文の執（しつ）筆（ぴつ）とかなり長い時間集中していたが、一仕事終えた達成感からか眠（ねむ）気（け）はどこかに行ってしまっていた。

「そうだわ。叔父様に見せに行きましょう。私が自分一人の力で作ったって言ったら、どんな反応してくれるかしら」

　メラニーは椅（い）子（す）に掛（か）けておいたローブを手に取ると、服の上から纏（まと）い、フードを被（かぶ）った。

　灰色の生（き）地（じ）に縁（ふち）に銀の刺（し）繍（しゆう）が入った魔術師のローブは魔法学校の制服だ。助手になるときにダリウスから借りたものだが、これを着ていると本当に学校の生徒になったようで嬉（うれ）しい気分になる。

「じゃあ、メルル。行ってくるわね。お留守番よろしくね」

　眠ったままのメルルに声をかけ、薬品の入った瓶を鞄（かばん）に入れると、論文を脇に抱（かか）えてウキウキと部屋から出た。

「……日差しが眩（まぶ）しい」

　数日ぶりに浴びる太陽の光に目を細め、メラニーはヨロヨロと校内を進んだ。

　魔法学校はその名の通り、魔力を持った生徒たちが魔法を学ぶための国の重要な教育機関である。

　校舎は自然豊かな森の中にあり、その森には比（ひ）較（かく）的（てき）弱い魔物も生息していた。この森で調合に使う材料の採取方法を学んだり、魔法を使って魔物退治の実（じつ）践（せん）をしたりと、森自体が魔術を使うための教材となっているのだ。

　生徒の多くは貴族の令息令嬢であるが、魔力を持った平民も数は少ないながら在（ざい）籍（せき）している。特に年（ねん）齢（れい）制限を設けているわけではないが、大（たい）概（がい）の貴族は社交界に出る前に基（き）礎（そ）的な魔力の扱（あつか）いを学ぶため、生徒のほとんどは十代前半から半ばくらいだった。

　基本的に必要単位を取ればいいので早ければ二、三年で卒業できるが、この国は魔術が使える者は何かと重宝されるため、将来を見（み）据（す）えて本格的に魔術を学ぶ生徒は多い。特に下級貴族ほどその傾（けい）向（こう）が強く、花形職種である宮（きゆう）廷（てい）魔術師を目指すために何年も在籍する生徒もいる。

　そのため、この学校には数多くの生徒がおり、いつもならどこにいても賑（にぎ）わいを見せる校舎なのだが、幸運なことに、ちょうど午前の授業が始まる時間のようで、建物内を移動する生徒の姿はまばらだった。

　大勢の人間が集まった場所が苦手なメラニーにとってちょうど良かった。そうでなければ、早々に諦（あきら）めて自室に戻（もど）っていたかもしれない。

　そう考えた直後、廊（ろう）下（か）の前方から数人の生徒たちがこちらに向かって歩いてきた。

「──っ！」

　突（とつ）然（ぜん）の人の姿にメラニーは顔を隠（かく）すようにフードを目（ま）深（ぶか）に下げ、廊下の壁（かべ）に引っ付くように寄った。

　建物の中にもかかわらずローブのフードを被り、壁に引っ付いた少女を見て、生徒たちは奇（き）怪（かい）なものを見るような目で避（さ）けていく。

「……行ったかしら？」

　生徒たちが通り過ぎるのを確（かく）認（にん）して、顔を上げたメラニーは小さく嘆（たん）息（そく）した。

「……うう。怖（こわ）いよ」

　なんだか引き籠って研究していたせいで、自分の人見知りは益（ます）々（ます）激しくなっているようだ。

「早く、叔父（おじ）様のところへ行こう」

　メラニーは論文を抱え直すと歩みを速めた。しかし、フードを目深に被っているものだから、視界は狭（せば）まったままだ。

　よって、廊下の曲がり角からやってきた人物とぶつかってしまうのは避けられないことだった。

「きゃっ！」

　メラニーは突然現れた大きな影（かげ）にぶつかり、ぐらりとよろけた。

　運の悪いことに着ていたローブの裾（すそ）を踏（ふ）んでしまい、ずるりと床（ゆか）を滑（すべ）る。その拍（ひよう）子（し）に手から離（はな）れた論文が宙へと舞（ま）った。

　後ろに倒（たお）れる、と目を瞑（つぶ）った瞬（しゆん）間（かん）、横から長い腕（うで）が伸（の）び、メラニーの腰を受け止めた。

「──えっ？」

　恐（おそ）る恐る開けたメラニーの目に飛び込んできたのは、切れ長の紫色の瞳（ひとみ）だった。

　目鼻立ちの整った端（たん）整（せい）な顔が近づき、メラニーはその深い紫の瞳に目を奪（うば）われた。

　男の長い黒（くろ）髪（かみ）が、さらりと前に垂れる。

「大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）か？」

　髪の長い男は低い声でメラニーに訊（たず）ねた。

「……あ、ありがとうございます」

　メラニーは男に支えられながら真っ直（す）ぐ立つと、礼を言った。

　その男はとても背が高く、小（こ）柄（がら）なメラニーは自然と顔を上げる形になる。

　長いストレートの黒髪の男は美丈夫で、凜（りん）とした空気を纏（まと）っていた。年は二十代半ばくらいだろうか。魔法学校ではあまり見かけない年齢の生徒だと思ったが、よく見れば彼が身に纏っている服は魔法学校の灰色のローブではなかった。

　白を基調とした上下の服に、縁に金色の刺繍の入った白いローブを羽織った姿は、世間知らずのメラニーですら知っている宮廷魔術師の制服だ。

（宮廷魔術師がどうしてこんなところに？）

　しばらく茫（ぼう）然（ぜん）と目の前の男を観察していたメラニーだったが、男の目が訝（いぶか）しそうに細まったことに気づき、慌（あわ）てて目を逸（そ）らした。

「…………す、すみませんっ！」

　と、床に目をやって気づく。

　転びかけた拍子に落とした論文が廊下一面に散乱しているではないか。

「きゃあ！　論文が！」

　メラニーは悲鳴を上げてしゃがみ込み、急いで論文をかき集めた。

「すみません、すみませんっ！」

「……」

　論文は男の進行方向をふさいでおり、メラニーは謝りながら、床に散らばった羊皮紙を拾っていく。

「あああ、風が……」

　窓から入って来た風が論文を飛ばそうとするのを急いで掴（つか）まえ、ハッと顔を上げた。

（もしかして!?）

　窓が全開になっていることに気づくと、メラニーは慌てて窓辺へ駆（か）け寄った。

「あ、あんなところにまで……」

　窓から顔を出して下を覗（のぞ）くと、数枚が外に落ちてしまっていた。更（さら）に追い打ちをかけるかのように外は風が吹（ふ）いており、メラニーの論文がひらひらと舞（ま）っている。

「ど、どうしましょう……。取りに行かなきゃ」

「待て」

「えっ？」

　急いで踵（きびす）を返そうとするメラニーに後ろから低い声がかかった。呼び止めたのは今しがたぶつかった宮廷魔術師だ。

　男は外へと顔を向けると、左手を上げ、窓の外に向かって長い指を伸ばす。男がその指をパチンっと鳴らすと、男の目線の先──窓の外に複数のつむじ風が発生した。

「え？」

　驚（おどろ）くことにそのつむじ風はメラニーが落とした羊皮紙を巻き上げていく。外に散らばった羊皮紙が一枚、また一枚と、風に乗って男の手元へ集まってくる様子に目を見張った。

（今、呪（じゆ）文（もん）を唱えてなかったよね）

　微（び）風（ふう）を起こす魔（ま）法（ほう）は初歩的な魔法だが、今の魔法はそれとは少し違（ちが）う。見た限り、彼は風を複数同時に発生させ、それぞれの風を自由自在に操（あやつ）っていた。

（複数の風を一度にコントロールするなんて、初めて見たわ）

　こんな精密な技法は熟練の魔術師でもそうそうできるものではない。しかも、彼は詠（えい）唱（しよう）を伴（ともな）わず、指先一つでそれをやってのけていた。

（宮廷魔術師の使う魔法って、こんなにもすごいものなの？）

　すっかり感心している間に、男は外に飛んでいた羊皮紙を集め終わっていた。

「ほら」

　集まった羊皮紙の束を差し出され、メラニーはハッと意識を取り戻し、慌てて論文を受け取った。

「あ、ありがとうございます。それと……さ、さっきはぶつかってすみませんでした。前をよく見ていなくて……。あ、あの、拾ってくださいまして、本当に、あ、ありがとうございました」

　お礼を言い、チラリと顔を上げると男の鋭（するど）い眼光と目が合った。

（ひぃっ！）

　慌てて顔を隠そうとして、ローブのフードを引き下げようとしたが、いつの間にかフードが脱（ぬ）げていた。慌ててフードを被（かぶ）り直し、男に向かってもう一度謝る。

「──本当にご迷（めい）惑（わく）をおかけしました！」

　メラニーは論文の束を腕にしっかりと抱（だ）き、その場から逃（に）げるように立ち去った。

　　　　●　●　●

「おいっ！」

　男は逃げるように立ち去る少女を呼び止めたのだが、彼女はその声に気づかなかったようでそのまま行ってしまった。

「──チッ」

　メラニーに逃げられた男は、再び窓の外に目を向けると、木に引っかかったままの羊皮紙を眺（なが）めた。まだ一枚残っていると言いたかったのに、逃げられてしまった。

　やはり自分の目つきが怖いせいか、と男は考える。

　友人からもお前は黙（だま）っていると怒（おこ）っているように見えると言われたことがあるが、こればかりは生まれつきのものだから仕方ない。別に怒っていたわけではないが、先（さき）程（ほど）の少女には誤解を与（あた）えてしまったようだった。

　男は気を取り直して、窓の外へ視線を戻（もど）す。

　どうやら、さっきの風魔法の威（い）力（りよく）では上手（うま）く風に乗らなかったらしい。

　もう一度指を鳴らすと、今度は先程より強い風が吹き、木に引っかかっていた羊皮紙もちゃんと男の手に戻ってきた。

「論文だと言っていたな。……やれやれ。どこの生徒だ？」

　名前が書かれていないかと思って、手元の論文に視線を這（は）わせた。

「………………はっ？」

　数行文章を流し読みした男の口から思わず声が漏（も）れた。

　チラリと見るつもりだったのに、男は目を見開いて何度もその論文を読み直した。

「なんだこれは……」

　男の名前は、クイン・ブランシェット。

　歴代最年少で宮（きゆう）廷（てい）魔術師となり、現在二十代半ばという若さながら、宮廷魔術師のトップに君臨している天才魔術師である。

　そんな魔術のことなら誰（だれ）よりも優（すぐ）れている男が、一枚の論文を見て、度（ど）肝（ぎも）を抜（ぬ）かれたのだから余程のことである。

　一見、あまりに荒（こう）唐（とう）無（む）稽（けい）な研究内容で、もし普（ふ）通（つう）の魔術師が見たら悪戯（いたずら）で書いた物だと見なしたかもしれない。だが、クインはこの国一番の魔術師であり、彼の直感がこれは悪戯で書かれたものではないと告げていた。

（──一体、誰がこんな研究を？）

　普通に考えれば、先程の少女が書いたものと考えられる。

　しかし失礼だが、あんな華（きや）奢（しや）で大人しそうな少女がこんなすごい論文を書いたとは到（とう）底（てい）思えなかった。だが、この論文の手がかりとなるのはあの少女だけだ。

（──とにかく、さっきの少女を捜（さが）そう）

　そう考えたクインは大（おお）股（また）で校舎を移動した。

　　　　●　●　●

　教授の部屋が並ぶ教育棟（とう）の一室。

　メラニーの叔父（おじ）であるダリウスもまた姪（めい）の作った薬品と論文を前に、クインと同じような反応を見せていた。

　ダリウス・スチュワートは多くの著名な魔術師を輩（はい）出（しゆつ）している名門スチュワート家に生まれ育ち、幼い頃（ころ）からトップクラスの実力を備え、この魔法学校の中でもかなりの権威をもった教授であった。家（か）督（とく）を姉に譲（ゆず）り、教職についてから早数十年、今まで多くの才能ある学生を育ててきたという自負がある。

　そんな彼が今、姪が作ってきた薬品を前に唸（うな）っていた。

　テーブルの上にあるのは、ドロリとした紫（むらさき）色（いろ）の液体が入った薬（くすり）瓶（びん）である。

　メラニーの説明によると回復薬らしいが、普通回復薬といえば薬草の色がついた淡（あわ）い緑色のサラサラとした液体が一（いつ）般（ぱん）的である。しかしながら、彼女の作った薬品は見たことのない濃（こ）い紫色のドロドロとした液体で、どういうわけかキラキラと発光していた。

　控（ひか）えめに見ても劇薬にしか見えず、とてもじゃないが回復薬だとは信じられなかった。もしこれを飲めと言われたら、かなりの勇気がいることだろう。

　一体どのように作ったのかとメラニーに問えば、彼女は作り方を記（き）載（さい）した研究論文を見せてくれた。そしてそれを読んだダリウスは益（ます）々（ます）頭を抱（かか）えるのだった。

「……あ、あの。どうですか？」

　論文に最後まで目を通した後、ダリウスが微（び）動（どう）だにしないことを不安に思ったのだろう。メラニーが恐（おそ）る恐るといった風に声をかけてきた。

　ダリウスは顔をゆっくり上げると、テーブルの向かいのソファに座る姪に訊（たず）ねた。

「メラニー。これ、君が一人で作ったのかい？」

「はい、そうです……。あの、どこか変でしたか？」

「ああ、全部かな」

　自信なさそうに訊ねるメラニーに、思わず本音が出てしまった。

「え？」と驚く姪にダリウスは取り繕（つくろ）うように言い直す。

「ああ、いや、……うん。そうだね。まず論文だけど、書き方が支（し）離（り）滅（めつ）裂（れつ）だね。研究の主題を頭に書いて。それから使う材料、道具の記載、その後は実験の手順、結果、考察の順に書こうね。今のままだと全部混ざっていて読み解くのが大変だ」

「す、すみません」

「いや、いいよ。初めてにしては上出来だ。途（と）中（ちゆう）、ページが抜けていることも今は置いておこう」

「えっ!?　ページが抜けている？　あ、さっき落としたときかな。……ごめんなさい、叔父様。すぐに取ってきます」

「いや、待ちなさい。それよりも、メラニー。ちょっと話そうか」

「え？　あっ、はい」

　抜けているページを捜しに戻ろうと腰（こし）を浮（う）かすメラニーを押しとどめ、ダリウスはふぅと息を吐（は）いた。

　生まれたときから彼女のことを知っているが、スチュワート家に生まれながら大した魔（ま）力（りよく）を持ち合わせないメラニーは昔から家族に対して引け目を感じている非常に内気な少女だった。

　スチュワート家というのは魔術師の家系として位が高く、国内でも強大な力を持った家である。その重圧はダリウスもよく知っている。そんな家に生まれながら魔力を持たないというのはどれだけ苦痛なことか。幸い、そんなメラニーを彼女の家族は厭（いと）うことなく愛していたが、兄妹（きようだい）の中で一人だけ魔法学校にも通えず、屋（や）敷（しき）に引き籠（こも）って過ごす彼女は間（ま）違（ちが）いなく不（ふ）憫（びん）な子であった。

　そんな姪を可哀（かわい）想（そう）に思い、時々彼女のもとを訪ねては魔術の基（き）礎（そ）知識を教えたりもした。

　その時も座学だけで言えば非常に物覚えが良く、頭のいい子だと思っていた。これで魔力さえ人並みにあれば、優（ゆう）秀（しゆう）な魔術師になれるのにと何度嘆（なげ）いたかわからない。

　しかし、そう思っていたダリウスでさえも、彼女の本当の実力に今の今まで気づいていなかったのであった。

（賢（かしこ）いとは思っていたが、これはもう規格外じゃないか）

　ダリウスは難しい顔をして、じっとメラニーを見つめた。

「叔父様？」

「ああ、すまない。少し考え事をしていてね。……さて、何から聞いた方がいいかな。そうだな。まず、この毒薬……じゃない。えっと回復薬？　なんだけど、これはどこから発想したものなんだい？　君が一から考えたものではないよね？」

「はい。家の書庫室から持ってきた古文書に記載されているレシピです」

「古文書だって!?」

「え、あ、はい。古代魔術の製法が載（の）っている本です。それを解読して作ってみました」

「……ちょっと、待ってくれ、メラニー。今、解読したと言ったか？　それは、その……古代文字を解読したってことか？」

「そう……ですけれど……。あ、あの、何か問題でしたか？」

　問題どころの話ではない。

　姪の口から語られる衝撃的な事実の数々に頭がついていかないダリウスは呆（ぼう）然（ぜん）と目の前の少女を凝（ぎよう）視（し）した。

「……なんということだ。つまり、君は古代語が読めるということか？」

「はい。読めますけれど……」

　それが何か？　とでも言うように、メラニーはあっさりとその事実を認めた。

「一体、誰に教わった？」

「え？　いえ、特に誰かに教わったというわけではなくて、えっと、自分で」

「自分で!?　どうやって！」

「え？　……あ、あの、本を読んでいるうちに何となく」

「何となく？」

「えっと、えっと。上手く説明できないのですけれど、この単語は薬草を意味しているなとか、この文章は作り方が書かれているんだなとか、そういう風にわかってきて、だんだんと読めるようになりました」

「……」

　なんてことのないように彼女は答えるが、これは只（ただ）事（ごと）ではなかった。

　古代語は数百年前の言語であり、既（すで）に廃（すた）れた言葉だ。

　現代において、古代語を読み解ける人間は非常に数が少ない。それ故（ゆえ）に古代語で書かれた所謂（いわゆる）古文書と呼ばれる書物はあまり出回っておらず、その扱（あつか）いも厳重に管理されているものがほとんどだ。もちろん、この学校の禁書庫にも古代語で書かれた本や、それを読み解くための辞書などは存在している。しかし、実際に読み解くには膨（ぼう）大（だい）な知識と経験が必要とされていた。

　古代魔術に使われた古代語はそれほどまでに古い失われた言語だった。

（──それをこの子は独学で解読したというのか？　……よく書庫に籠っていることは知っていたが、まさかこんな才能があったとは……。このことをこの子の両親は知っているのか？　いや、知っていたら言っているはずだ）

　そこまで考えて、ダリウスは重大なことに気づき、目の前の異様な液体を凝視した。

「ということは、つまり、これは……」

「古代魔術のレシピを参考に作ってみた回復薬です。レシピに書かれていた材料の中には、現代にはもう存在しない物もあって、全部が同じとはいきませんでしたけど、似た作用をもつ薬草などを使って調合してみました。一応、効力も確（かく）認（にん）して、ちゃんと回復薬として使えることも試（ため）しましたし、問題はないと思うのですが……」

　メラニーの説明に肌（はだ）が粟（あわ）立（だ）っていくのが感じられた。

　古代語が解読できるというだけでも恐ろしい才能なのに、メラニーは更（さら）に、その古代語で書かれた大昔の製法を再現したと言うのだ。

　確かに、ドロドロと濃（のう）縮（しゆく）された液体にもかかわらず、なぜかキラキラと発光しているという気味の悪い見た目も、古代魔術の製法によって作られたと聞けば、妙（みよう）に納（なつ）得（とく）できるものだった。

　古代魔術は現代魔術よりも威（い）力（りよく）や性能が格段に高く、高度な技術が詰（つ）まった失われた魔術である。攻（こう）撃（げき）魔法のような発動型の魔術しかり、調合などの錬（れん）成（せい）術しかり、全（すべ）てが今とは比べ物にならないほど優（すぐ）れていて、その失われた技術を復元しようと今までどれほどの魔術師が研究をし、そしてその高度な内容に挫（ざ）折（せつ）をしてきたか。

（それを魔法学校にも通っていないメラニーが……しかも独学で錬成に成功したとは……）

　もちろん彼女が言うように昔と同じ道具や材料が全て揃（そろ）っているわけではないが、彼女の論文を読む限り、現在ある道具や似た成分の材料で代用して作られていた。こんな器用な真似（まね）は、よほどの才能とセンスがないとできない芸当だ。

「……叔父（おじ）様？」

「──いや、なんでもない」

　ダリウスが再び黙（だま）り込んだのを見て、不安気な表情を見せるメラニーに、ダリウスは緩（ゆる）く首を振（ふ）った。

　公（こう）爵（しやく）家のクソボンボンに婚（こん）約（やく）破（は）棄（き）され、傷ついた可哀想な姪（めい）っ子をわざわざ助手という肩（かた）書（が）きをつけて学校に呼んだのは、屋敷で暗（あん）澹（たん）と過ごすよりは彼女の気分転（てん）換（かん）になるだろうと考えた両親に頼（たの）まれたからで、決して彼女の才能を知っていたからではなかった。