第0章-表-・1

 六〇〇年前――


『ルモヴァ・ン・テラント』の王は、大陸の中心に城を構え、ヒト・エルフ・ドワーフ・巨人――すべての種族から慕われる王であった。彼もまたヒトではあったが、その血筋には遥か昔に巨人の血が混じったドワーフがおり、彼の母は魔法使いとエルフの混血の者であり、大陸に住むすべてのものの血が彼の中に流れていた。


 かの城の西方、二〇〇〇久里キールの地にもう一つの城がある。

 ガラン城と呼ばれたその場所には、一人の魔法使いがすんでいた。

 大魔法使いポンと並び称されるほどの実力がありながらも、他人と関わることを嫌い、他民族を一律に束ねるだけの政治が嫌いだった。そして何よりも、王の御付の魔法使いの地位を得たポンのことが大嫌いだった。


 西方の地ニゥエシトは、のどかな土地だった。

 広く平原が続く土地に、ヒトは農園を作り、作物を育てた。

 エルフの森もドワーフや巨人の住む山も遠くはあったが、交易が盛んでしきりにその姿を見かけることがあった。

 エルフの作った工芸品や本、ドワーフの貴金属や宝石が並んだ市場や店先、王宮のある街に並ぶほどの活気がそこにあった。

 

 ニゥエシトを納める魔法使い・ファーヒル・ウユド・ホムラは、街が好きだった。

 




 街の中心に、一つの井戸があった。街の住民の生活水をまかなうため、深く大きく掘られた穴には、豊富で綺麗な水がたたえられていた。いつもは上にかけられた屋根から、いくつもの釣瓶つるべが吊られているのだが、ここ数日一本ずつ切られるという怪事件が発生していた。

 この場所こそが、すべての始まりの場所だった。

 偶然そこに繋がったのか。

 わざわざそこを選んだのか。

 それは今となっては分からない。

 その日、様子を見るために視察に訪れたファーヒルの前で、水がすべて抜け落ちた。

 抜けた、枯れたのではなく、それは確実に彼女の見ている前で抜けて落ちた。

 ファーヒルは、瞬時に飛び立った。

 これは危険だ。

 自身の魔力感知能力が、そう叫んでいた。

 即座に呪文を唱える。


『Itsalfrie,Oserl EnnSeal Rit,Eaturn tHEElto』


 火炎によって、井戸の周囲を完全に封鎖する。

 井戸の屋根を燃やすのではなく、防御・封鎖のための火。


「何をやっておられるのですか、魔法使い様?」


 騒ぎを見てか、井戸の周りの住人がぞろぞろとやって来る。


「下がれ。みな、家に!」


 大声で呼びかける。

 彼らに言葉が伝わるよりも早く、火が井戸の中へと吸い込まれた。封印が搔き消され、穴が丸裸にされる。封じが解かれたことで、井戸の中に――そんなことはないと思いたかったが――『いる』者たちの気配がどっと溢れてくる。


「逃げろ! 来るっ!!」


 爆音で、井戸の周辺が吹き飛ばされる。

 間を置くことなく、大きな鐘と太鼓のような音がガウンと響く。

 現れたのは、黒い鎧をまとった影であった。彼らは手に艶やかに光る黒い剣を持ち、地上へとゾロゾロと姿を現してくる。

 井戸の周りには、まだ退避できていない一般市民が王勢いるのだが。

 避難は、絶望的だ。


 シュ――


 井戸下の謎の兵は、黒い剣から紫の火を飛ばす。

 すべての兵士が、見たことのない魔法を放った。

 火は、まっすぐに飛んで次々と住民たちに直撃する。それが当たった者は、すぐに黒い火に包まれて、灰も残さずに消滅した。それは燃えるというよりも、消えるというほうが適切な攻撃だった。


「やめろ!」


 問答無用の攻撃に、ファーヒルは奥歯を噛み締め、杖に供えられた石に力を込める。

 杖を振るう。

 振るう側から、宙に朱い火球がいくつも作られる。

 火球は、無軌道に飛んで行き、兵士の鎧を次々と打ち抜いて行く。彼らの鎧は、金属とは違う何かのようで、生物を瞬時に骨と化す炎の魔法でも砕けるばかりで、中の者が燃えてもそれだけは残された。

 兵士は、攻撃によって上空の魔法使いの姿に気付いた。

 紫の炎と、朱い炎が宙でぶつかる。

 互いが互いを、消し飛ばす。

 火の魔法同士、相性は五分。

 どちらが強いというわけでもなく、どちらが優れているというわけでもない。

 だが、彼女のほうは焦っていた。



 

 呪符は、ヒトの持つ微量な魔力を増幅させ発動できる。

 ヒトの持つ魔力だけでは、魔法を現実に顕現できない。

 この法則は変わることがない。

 もちろん例外はあるが。

 その魔力量は、個人によって差異があり、ファーヒルやポンなどは例外中の例外で、自分の魔力によって魔法を発動できた。石の内部に紋を刻む石・魔石――自然の偶然か、石の内部に呪符と同じ紋様をもつ――さえあれば、どんな強力な魔法も呪文や呪符を使わずに発動できた。

 もう一つの例外としては、地下の兵士である。

 彼らの使っていた武器に、ファーヒルは確かに見た。

 刀身に刻まれた魔法の印、それによって魔法が発動していた。

 強力で、凶暴で、この世の摂理からは外れた魔法。

 これは早く敵を倒すべきだと、彼女は判断した。

 魔石に力を込め、強大な魔法を放つ呪文を呟く。


『tsalfrie,Oserl EnnKSeal Rit,EatUwrn tHEEltodd Snimew Izrl,frie THairi,BtgeR, CwIzsz』


 シュン――

 シュン――


 ファーヒルの体の脇を、次々の紫炎が過ぎ去って行く。

 だが、それに恐れもせず、彼女は杖を天にかざす。すると、大きな火の弾が現れた。彼女の背の丈を優に超え、巨大な夕暮の太陽がそこに現れたかのようだった。

 巨大な火を、まだ兵が現れ続ける井戸の穴へと落とす。


「これで、終わり」


 火は周りの兵士をも燃やし尽くし、石すら溶かし、地面を灰へと変える。

 彼女の使える魔法の中でも、強力な魔法を選んだつもりだった。



 

 だが――

 火の弾は急に浮き上がり、一瞬にしてかき消された!

 



「何が起こったの?」

「我らには、汝らの紛い物の術は効かん」

 

 独り言に、返答があった。

 火炎が消えた向こうに、黒い人影が見える。

 他の者と似ているが、さらに意匠を凝らした鎧。黒い鎧よりも、さらに黒く艶めいた髪。

その上にいただくのは、白銀の冠。こっちをまっすぐに見つめる瞳は、紫色で。この世界のどの民族の特徴とも似ていなかった。

 ただ姿かたちは、ヒトと変わらない。


「紛い物?」

「そちらは、我々の真似事が好きだと聞いておる。この術も元々は我々の世界のもの、こちらの無断使用のツケ、表の世界そのもので払っていただこう」

「オマエは、何を言っているのだ? そもそもオマエたちは」


 その言葉を聞いて、彼は薄く口元に笑みをたたえた。

 彼女を馬鹿にしたような笑みだった。


「知らぬわけはあるまい。昔、そちらの人間が我々から大事なものを奪ったこと、忘れたとは言わせぬぞ」

「何を――」


 そう言いかけた時だった。

 二人がにらみ合う頭上に、大きな姿が映し出された。

 ヒトの王、その人だった。

 特殊な魔法で、王宮から姿だけを飛ばして見せているのだろう。


「ファーヒル、ポンの口添えがあった。そちらの件は把握している、こちらに来てほしい」

「ですが――」


 彼女は叫んだ。


「このままでは街が」

「そのものはただ戦争への足掛かりとして、その城が欲しいのだろう」

「……」


 たしかに、今の要求を聞く限りは、そうなのだろうと思った。

 敵の王は、ただただ少し笑ってこちらを見ている。


「王の命令とはいえ……」

「従わなければ強制的に、帰還させる」


 耳だけは押さえておけ。

 そういうと、ファーヒルの周りに風が渦巻いた。

 王の風魔法による強制的な転移魔法なのだと直感し、耳を抑える。

 敵はなにもしてこなかった。

 ただ、ただ――敵の手に蹂躙されていく街が、遠のいて行くのだけが見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る