買い出し遠征計画

●Shopping Expedition

賢者結界メジメッシュはインターネット上位互換の魔導調査網だ。

正午の玉音放送が気になるニュースを伝えた。

旧世界持続化給付金の申請手続きは予想を上回るペースで増加しておりセンター業務がひっ迫している。スタッフの不眠不休の受付業務で疲労が限界だ。いっぽう、レーキ帝は元老院からプライマリーバランスの悪化懸念を指摘されている。異世界難民は帝国にとって本当に金の生る木になり得るか。先日、臣下のマッサン藩王国・王立アカデミーが厳しい内容の白書を発行した。政治問題に発展しかねないなかレーキ帝は強気に出た。コールセンターの増設である。

それを見ていた翠は、「ああああ、もう、お金ないんだから」と言う。


旧世界開発庁は帝国復興院の外局である。業務増強にあたって職員に一時帰休が命ぜられた。その間の給付業務は復興院がじきじきに執行する。

山吹翠はひさじぶりの休日に戸惑いをおぼえた。激務は急に止まれない。仕事とはそういうものだ。弾みがついたペースを休暇で乱したくない。働きたい。

そういう意見をまとめ彼女はレーキ帝に直訴した。

「何と日本人は殊勝な種族か!よろしい。よきに計らおうぞ」

彼は深く感銘し王立アカデミーに魔導タブレットを急遽開発させた。

翼竜がまだインクのにおいがするパッケージを届けに来た。皆がどよめいた。

「結局、うまいこと言われて人柱にされたわ」

翠は巻物とりせつを読んでげんなりした。タブレットは怪砂利水魚が擬態して狩りをする習性を応用している。鱗の一枚一枚が高解像度の発光素材だ。

怪砂利水魚は群体の肉食生物だ。その各個体が獲物の情報を共有するため千里眼機能を持つ。この支給品は旧日本の技術を流用しており近日発売予定だ。

レーキ帝は翠に最終出荷版のテストとサーバー増強を命じた。

初期化済みの翡翠が大量に要る。


翡翠の初期化は明日、明後日ということで、夜の九時半に出発することに決定した。翠が行ったのは、小高い山の頂上にある『月山』という名の神社だ。

日が沈み、魔太陽が顔を出した。

小高い山の周りは、木々が生い茂り、木々は葉を落としている。その葉の間に、暗く陰のある小さな鳥居があり、その先には長く続く坂がある。上を見ると、小さく、長く続く白壁が立っている。

「お、きたきた。これが、この坂で、ここが、この坂で……」

翠を見上げる。満月を背負って山ガールが集合した。

「ん? なんか雲行きが怪しくない?」

情報シス管のエミリアが雲をあおぐ。

「はい。この坂の上です。歩きましょう、翠さん」

エルフのリーナが若草色のスカートを翻す。

「そうだね、歩こう」

山吹翠はそっけなくスルーした。ライムグリーンのドレスにぶつけてくるとはエルフとはいえ嫌な性格の女だ。

「はいっ」

エミリアは屈託ない。好対照だ。

三人は、坂を上り始めた。

小高い山を登る道は、尾根よりも下に行くほど、暗く陰が増してくる。坂の上から白壁を見下ろすと、どこまでも続く闇の底に何か黒い影が見える。

●サタニック王国の影



闇に浮かぶのは人面。

闇に見えるが影ではない。

人面の中に人の顔が見える。その影は闇に浮かんでいるには長い。

やがて暗闇は人面の正体である顔、人面の中に人がいるのだと気づいた。

「あっ、お願い、見て」 翠は、ライムグリーンのスカートをひるがえして、先頭をゆく。

「こんなの、人間だよ」 エルフのリーナが振り返って言った。

後ろを振り返ると、暗闇から人面の生き物がいる。

「うーん……」 翠は言葉を濁して、エルフのリーナの頭を撫でる。

リーナが気づいたらしい。

「見えちゃった」 翠が人面に顔を近づける。顔の輪郭を確かめるように……。

「これ、人じゃない?」

「あ、あなたは」 エルフのリーナが驚いて彼女の顔を見る。

顔の輪郭は二の腕ほど……いや、胸から腹にかけての線が薄く、人間っぽくはない。

「人間かな」と翠が言う。

「ええ、こんな綺麗な人じゃないけどね」

そう答えながら、ふと、翠は手に、ライムグリーンのドレスがついたまま、空に浮かぶ月から目を離した。

「あっ」 リーナが自分の手の甲に何か当たっているのに気づいて慌てて手を引っ込める。

「えっ」

「これ、どうしたの」 リーナが呆然と彼女を見上げる。

「その……なによ……?」

リーナは少し不安そうに翠を見上げ、それから、翠の手を掴む。

「私を“見て”よ」 翠はそのまま手を引っ張って、彼女を月から引き離した。

「え……」 翠は驚いて驚いてしまった。

それなのに彼女は、こんなとき、自分のような人間を見て「かわいい」とか「綺麗」と言うことをしてくれる。

初めての経験に何だか嬉しくなって、翠は彼女の手を握って、目を閉じる。

──そう。

私たちは“見える”の。

見える。

私の目に白糸(しらと)のように──。

●カウンタースペル

──……。

────。

──…………。

────。

「大丈夫?」

情報シス管に揺り起こされた。

「ここ……ここ、は?」

リーナが少し震えながら、自分の手の甲を見て戸惑っている様子で、翠を見上げる。

「ここ――は。あっ、なんか」 リーナは手の甲を擦って、それから、自分の顔に指を当てる。「見えてる」

「えっ、なにが……?」 翠はちらりとリーナのほうを見る。

「お母さんが“目”に触れて、それで気付いたの」 リーナの話は続く。

「何を言っているのか、お母さんの目って?」

翠はかぶりを周囲を見回した。赤黒い樹々のふちが鈍く光っている。ぼんやりした薄暗がりに彫りの深い人面像が鎮座している。月山にこんな場所はない。

エミリアが身を乗り出す。そして虎目石タイガーアイを取り出した。

「メジメッシュのサーバーですね。活きています。誰が運営してるのかしら」

それを聞いて翠は直感した。「月山ってパワースポットよね。力の源泉は…」

石の模様が複雑に揺れ動く。それをエミリアは読み取った。「反応あり」

人面像は赤黒く隈取られている。リーナは熱病にうなされたように歩く。

そして人面像にひざまづく。誰もいない空間に両手をさしのべる。

「お母さんは“お母さん”に戻らなければいけない。私はまたここに帰るんだ。でも、お父さんが戻らなければいいだけ。だから、“目”に触れることはできない。だから、私はここに戻るんだ。でも、お母さんが戻った場所は――。そうか」

リーナはそう言って小さくため息をついた。

エミリアが虎目石を放り出した。火傷するぐらい加熱している。真っ白だ。

「私のお母さんって、お父さんに似たんだ」 リーナはそう言って目を伏せたが、翠は目の前のこの少女がなにを言いたいのか分かった。

「お母さんって、お父さんとお母さんが“目”に触れたことがないって、そう言う意味?」

翠がタイガーアイを見やる。

「そう、ここに帰ってきたのはこれだけじゃないの……」 リーナは顔を上げて翠を見ると、「お父さんが“目”を通して帰ってきてきた。お父さんが“目”に触れて戻ってきた。その時、何の意味もなく――」

翠は先ほどリーナと出会った場所を思いだした。何かの意味があってあの場所を選んだのだろうと、それがリーナの意図であることを彼女は知っている。

リーナは先ほど翠に“お母さん”と呼んだ少女の言葉を頭の中で反芻していた。「“目”が通ったことがあるって?」 確かにリーナは“目”に触れたことがあるのだと言った。それは恐らく翠の思い込みではなく、実際に目の前にいたのが“目”だったのだろう。

「そうだ……ここに戻ってきたのも、この“目”で戻ってきた。何か意味があったんじゃないの……」 リーナはそう言った。

「リーナ。翠さん、逃げて下さい」

エミリアは人面像めがけて護符を何枚も放り投げる。

「召喚ゲート?! まさかこんなところを通ってたなんて」

翠はリーナのドレスを掴んで駆け出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る