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「では滝多緒側は本気で我らと?」

「そう考えるのが筋でしょう。潜入規模、予想される行動日程、確認できた情報の断片、いずれも計画的かつ戦略的な意図を感じさせます」

 ところは或摩聖泉学院の特別活動棟、いわゆるクラブ棟の地階にある執行委員会執務室。さくらを筆頭とする執行委員の中軸十数名が、蛍光灯の照明下で、むっつりと視線を交わし合っている。

 ローズの報告によれば、情報源は「とある筋からの密告」とのことだ。怪しさ全開のソースだが、それはいつものこと。むしろ、特に見返りも報酬も求めることなく、ただ情報だけ伝えて去った、との謎の情報元の態度の方がよっぽど気分が悪い。背後でいったい何が動いているのか?

 ともあれ、受け取った情報の中身は確かなものだった。或摩オータムの騒ぎに乗じて、いくつかの諜報機関が動いているとの漠然とした観測は出ていたが、特定のチームによる組織だったオペレーションまでは到底つかみきれずにいたのだ。密告を元に街頭カメラその他からの情報を洗い直してみると、滝多緒の名前が出てくるまでは秒単位だった。

「よもやこの時期の或摩に挑みかかるとは。執行委員会もなめられたものね」

「近場の同じような学校同士でしたのに、今まで交流もありませんでしたからねえ。これは委員会総出で篤くもてなして差し上げなければ、ですね」

 表向き生徒会として通っている執行委員会は、或摩観光協会の秘匿機関・或摩統合情報局AIIAの学内下部組織でもある。ただ、もともと前時代がかった温泉地であり、IT改革に乗り遅れた経緯もあって、情報局に三十代以上はほとんどいない。現状では聖泉の執行委員会がAIIAそのものだと言ってよい。

 ゆえにさくら達が平素から把握している情報量は、平凡な商社が扱うものと比べても桁違いで、今では観光業界でも有数のものだ。なのに、滝多緒に一歩も二歩も先んじられ、今なお目的も具体的な作戦も把握できない。

「なぜここまでノーマークでしたの?」

「滝多緒が弱小だったからです」

 失笑が漏れ、さくらも「愚問でしたわね」と頷いた。むろん、それで話をうやむやにするような甘い判断は心中にない。弱小のはずの相手が無謀な全面攻勢に出ているその事実をこそ、全員が真剣に受け止めていた。

「確かあそこも学生組織が情報工作の中心になっているとか」

「滝多緒学園の諜報戦略評議会ですね。生徒会とは別組織ですから、身軽に動けるようで」

「今のトップは誰?」

「学園長の孫で老舗旅館『みねたけ』の跡取り息子、峰間翔雄です。隠し撮りの画像しかありませんが」

 スマホで撮影したと思しき、不鮮明な何枚かの写真が続けて表示された。つい先刻の或摩温泉駅前でのショットもある。

「これでは通りすがりでの特定は難しそうですね。あなたの仕事にしてはやや質の落ちる出来なのではなくて、璃亜?」

 四十三型の液晶画面を前にブリーフィングを行っているのは、小山のような筋肉女子生徒だった。高等部二年、呉後くれご璃亜りあ。数時間前、「萌えの湯」で水しぶきをあげてプロレスしてたのは、他ならぬこの人だったりする。失礼ながら、名前のかわいらしくも繊細な響きとは、はなはだしくギャップがあるルックスだ。どう見てもさくらが情報参謀で瑠亜が荒事専門となりそうなのに、現実の彼女は優秀な理系の才女で、執行委員会の情報活動の要である。

「言い訳はしませんが、滝多緒の組織力はなかなかのものです。観光地としての規模とまるで釣り合っていません。一度内偵に潜入した高等部の工作員などは……その……」

 はきはきと答弁していた璃亜が急に口ごもり、さくらがいぶかしげに尋ねた。

「どうなったのです?」

「……骨抜きになって帰ってきました。向こうの女に陥落されたようで――」

 うわお、とローズ&マリーが嬉しそうなリアクションでそっくり返った。

「情けないと言うべきか……そこまでやるのですか、滝多緒の女生徒は?」

「えーと……続きがありまして……結局未確認なんですけれど、その女生徒はどうも……男だったらしいと」

 さすがに深海のような沈黙がその場に下りた。心なしか、部屋の明度も落ちたようだ。一つ咳払いして、璃亜が続けた。

「加えて、今回は妙なスキル持ちがいるとかいないとかとの情報も」

「スキル? どんな?」

「よくわからないのです。AI分析とヒューミントでの情報が、しばしば変な食い違いを起こしていて……時に、、確定できないことがあるとか。まさかと思いますが、AIIAの監視網にすらハッキングを仕掛けるほどの猛者がいるのかも」

「…………」

「あと、なぜかとある男性エージェントの人気が、現場巡回のメンバーの間で異様に高くて、こちらはこちらでおかしな騒ぎに」

「超絶イケメンってこと?」

「いえ、記録で見る限りはおっさん面なんですけど、なぜかこう……アイドルと言うか、にわか宗教と言うか、BLというか」

「……そんな支離滅裂な報告を、どう整理せよと?」

「さあ、私には……」

 ピルルルとインターフォンが鳴って、ローズが受話器を取り上げた。軽いやりとりの後、さくらに報告が飛ぶ。

「設営担当から。柳堂先輩と二日目の件で大至急連絡を取りたいっちゅうことやけど」

「あの痴れ者? 貸して、私が処理する。……何ですって? ええ。ここに来る途中で別件で電話を受けたみたいだから、すぐに……来てない? もう十五分以上前です。ええ。……携帯の電源が切れてる? はん、さては。……いいの。二日目の件ね。問題ないです。連絡さえしっかりやってくれれば。……ええ。ええ。伝えておきます。はい、ご苦労様」

 ワイヤレス子機のスイッチを切って、さくらがはあーっと忌々しげにため息をついた。

「副総務?」

「この忙しい時に……璃亜、今の情報に続きはありますの?」

「いえ。細かいデータは各自の端末にでも送りますので」

「では一旦散会。手の空いてる者は、職務怠慢の発情マントヒヒを捜すの、手伝ってちょうだい。またどこかの暗がりで下級生を口説き倒してるに違いないんだから。ああ、あなた達はデスクワークお願い」

 目を輝かせて席を立ちかけたローズ&マリーを手で押しとどめて、さくらが数名の下級生を指名した。腹立ち紛れに双子がぶーたれる。

「息抜きにええやん、せっかくのラブシーンやのに」

「見物がてらええやん、せっかくの濡れ濡ればっこんやのに」

「交尾を見に行くんじゃない! 不本意ながら、滝多緒の件ではあの男のネットワークにも協力を頼まないといけないの! 何しろ、賃金不要の大集団なんですからね」

「ああ、先輩のガールフレンドの大群ね」

「ハーレムの女奴隷どもね」

「そういうこと。分かったら二日目の進行表、さっさと上げて」

「せめて連れ戻す前に写真撮っといてや。ラブラブなシーンの」

「濃厚な絡みの」

 ふうーっと、今度は力が抜けたようなため息をついて、さくらが虚ろに頷いた。

「……分かったってば。あの男が撮られて泣くような現場になってるならね。……なってないと思うけど」

 キス以上に発展しているなら、それは大歩にとって勲章であるはずで、失態となるはずがない。あの恥知らずなら、裸で抱き合っているところにレンズを向けても、笑顔でVサインなど返しかねない。

 写真に慌てふためく大歩を見られるものなら見せてほしいものだ――と、いささかやさぐれた気分で、さくらは慌ただしく執務室を後にした。


 クラブ棟と人文科学棟の境目に来たところで、ふと思い立ってもう一棟足を伸ばすことにする。ご主人様の精勤ぶりを物陰からでも確認しておかなければ。ヒヒの求愛行動を観察しに行くのは、その後で充分だ。

 人文科学棟から自然科学棟へ。三つの棟全てに段差があるから、階数表示に変化はなくとも階段を二回使う必要がある。三段とばしの軽やかなステップで目的のフロアに上がり着く。

 途端、さくらの耳に楽しげな含み笑いが届いた。

 やっぱり、と顔をしかめ、続けて一瞬身を固くした。声がもう一人分。あのヒヒ、こんなところに戻っていたのかっ、と一旦眉根を寄せるも、即座に、そうではない、と看破する。何者か? が対処に現れた形跡がないと言うことは、危険人物ではないのだろう。意外な教師の来訪、あるいは親族の方が? それにしても、優理枝様のこの声。こんなに嬉しそうな、弾けるような声を聞いたのは――。

 半ば信じられない思いで、ドアの陰から伺い見る。その目で直に確認しても、さくらはその情景がやはり信じられなかった。


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