イメージ

 四


 あれこれ話しているうちに始業まで残り数分を切った。教師はまだ現れない。入学式の準備で忙しいのだろうか。


「遠野さん、まだ座席表のイメージは残っていますか」

「ああ、残ってるよ」

「でしたら、一度教室から出て、イメージのとおりにもう一度席についてもらえますか」

「わかった」


 遠野さんは席を立ち、後ろの扉から出て行った。始業間際となり、手洗いに向かうクラスメートの姿も散見されたため、遠野さんが悪目立ちすることはなかった。

 がらがらと扉を開け、遠野さんが姿を現す。ペタペタとサンダルを鳴らし、先ほどと同じように迷いなく歩を進める。しかし、遠野さんが向かった先は須田さんの席ではなく遠野さんの席だった。


「なんか違うな」


 遠野さんは腕組みし、首をひねった。


「出席番号は憶えていますか」

「憶えていない。というより、掲示板に番号まで書かれていたか?」

「いえ、ですが座席の位置から計算できると思いまして」


 現に、俺はそうやって出席番号を算出した。


「いや、考えもしなかったな。計算するものなのか?」


 遠野さんから視線を受け、須田さんが頭を振る。


「番号までは考えてなかった」

「そうですか」


 遠野さんが自席に着く。


「掲示板の座席表は、黒板のものと同じでしたか」

「ああ、同じだ。違う場合があり得るのか?」

「データ印刷なのであり得ませんね」


 始業開始時刻に差し掛かり、俺は声を潜めた。


「情報を整理しましょうか」


 遠野さんが机越しに身を乗り出す。


「時系列順に確認しましょう。まず、遠野さんは今日は何時頃に登校されましたか」


「八時前だ」

「早いですね」

「七時半に出たからな」

「それだと着くのが遅くないでしょうか」


 遠野さんと俺は同じ町に住んでおり、家もそう遠くない。自転車で十五分もあれば行ける距離だ。


「走ってきたからな」

「走って、ですか」


 俺は目を丸くする。一方、遠野さんは何事もないように続ける。


「おう。しかも遠回りしちまった。おかげで汗だくさ」

「だとすると早いですね。さすがです、遠野さん」


 遠野さんは照れ笑いなのか、嬉し笑いなのか、とにかく白い歯を見せて、


「よせやい」


 と言った。


「では学校に来てからの二十分間、一体何をされていたのでしょうか」

「聞きたいかい? 俺の冒険譚ぼうけんたんを」

「後にしましょう」

「おう」


 時間に迫られているせいか、俺は自然と早口になる。


「学校に来て、昇降口前の掲示板でクラス分けを確認し、その後校舎に入って……」

「ここまで来たって感じだ。その間、俺は座席表のイメージをずっと思い浮かべながら歩いていた。記憶が改ざんされたって可能性は薄いと思うぜ」

「遠野さんの記憶力は信用できます。イメージのとおり自席へ向かったところ、そこは須田さんの席で、遠野さんの席は左隣の席だった、と」


 七席✕六列、計四十二席。出席番号十七番である俺の座席は、廊下側から数えて三列目、教卓側から三番目の位置だ。須田さんはその後ろ、遠野さんは須田さんの左隣だ。

 遠野さんは校内見取り図を憶えていた。天地が未記載で読み取りづらいという認識まで俺と同じだ。疑う余地はない。

 遠野さんは教室に着くまで出席番号を意識していなかった。それは須田さんも同じだ。よって、遠野さんはやはり座席表のイメージのまま座席を目指したことになる。

 座席表には四十二個の正方形が整然と並んでおおり、そこに名字が記載されていた。

 遠野さんが前の扉から入ってくる時、誰もが教師の到着だと思い注意を向けた。皆の視線を意にも介さず、遠野さんは脳にインプットした座席表のイメージのとおり、迷いなく須田さんの席へと向かった。

 情報はパズルだ。ピースを合わせてゆくことで全体像が見えてくる。俺は情報の整理整頓、取捨選択が比較的得意なのだ。

 始業のチャイムが鳴った。他のクラスメートにならい、俺は前に向き直る。まだ教師は到着していない。ならば、そういうことなのだろう。俺はプリントの裏に『とあるもの』を描き、遠野さんへと手渡した。タイムアップだと諦めていたのだろう、俺が振り返ると遠野さんは目をしばたたかせた。


「前の扉から出て、この目印の場所まで向かってもらえますか」


 遠野さんは二つ返事で、


「承知」


 と言った。

 遠野さんが席を立ち、前の扉から出て行くと、途端に教室内はざわついた。周囲の目など意にも介さないところが遠野さんらしい。気にしていないというよりも、『答え合わせ』に気がとられているのだろう。

 扉を閉めて一秒後、遠野さんは再び教室内に戻ってきた。がらがらと音を立て、後ろ手に扉を閉めると、手元のプリントを見ながらこちらへと向かってくる。そして、須田さんの席の前に立つと、胸の支えが下りた面持ちで俺を振り返った。


「天地無用だな」


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