第11話 別れの予感も淡々と

 蝶子は、基本的に眠ることを必要としていない。

 なにかを食べる必要もない。


 だから蝶子は、この森で暮らす一年、ある事に没頭してきたのだが……――最近、そんな生活に変化が起きた。


 神殿からやって来た、フォルトという神官だ。

 彼は、神官らしく朝はやくに起きて、家事に精を出す。

 いままで昼夜など関係無く気ままに過ごしていた蝶子は、少しだけ気を遣うようになった。

 すぐいなくなると思ったのに、彼は不思議な事に一週間も留まっている。

 それでも、時々なにか考えるような素振りをみせているから、もうすぐだろうけれど。


「チョーコ、朝ですよ!」


 考えていたら、階下から名前を呼ばれた。

 自分の名前を呼ばれることなんて、久しぶりで……なんだかくすぐったい。

 

(いい人だったな)


 今日明日中に帰ると言い出すと予想し、蝶子はこの一週間の暮らしをいい思い出にしていた。


 だが、いつまでも感傷的になってはいられない。

 フォルトの声はよく通るので充分聞こえるが、部屋から出ないでいるとだんだんと大きくなっていく。

 さながら、いつまでも寝ている子どもを起こす母親のようだ。


(それに、面白い)


 優美な外見ながら、まさかのオカン属性。

 不思議と割烹着が似合うのもなんだかおかしい。

 話し方だって丁寧で穏やかそうだけど……時々、口調が崩れるから猫を被っていそうだ。外見には似合うが、本当はもっと男っぽいというか……砕けた感じで話す人なのだろう。

 

(こうやって、律儀に朝起こすのだって)


 食事も睡眠も必要ない自分を、まるで普通の人みたいに扱う。

 それでも、反発心は沸かないので蝶子は素直に部屋を出た。


 焼きたてのパンだろう。いい匂いが、二階にまで漂っていた。

 昔なら……元の世界にいた時なら、食欲を刺激されグーとお腹が鳴っただろうが、今の蝶子はいい匂いだと判断は出来ても、空腹を感じることはない。

 だから、食べたいと思うこともない。


 ――階段を降りれば、やはり割烹着のフォルトが待ち構えていた。


「チョーコ、朝ですよ」

「……知ってます」

「それなら、まずはおはようの挨拶をしましょうか」


 小さな子どもに教えるような口調だ。


「おはようございます、チョーコ」

「……おはよう、フォルトさん」

「今日は、なにをする予定ですか」

「このまま二階で、本を読んでる。フォルトさんは、気にしないで食事してて」


 接していて気付いたのだが、フォルトは律儀で家主である蝶子に挨拶してからでないと食事を取らないし、夜も寝ない。

 だから、蝶子は必然的に規則正しい時間に顔を出すようになった。

 もっとも、その後は干渉してくることも、することもなく、各々の時間を過ごすのだが……今朝は違った。


「俺は少し、町に出ようと思っています」

「……ふーん」


 ああ。帰るんだな。


 蝶子は、内心でそんな風に考えた。

 自分の予想通りだったから心構えも出来ていたし、ショックはなかった。


「気をつけてね」

「はい、ありがとうございます」

「うん。……お疲れ様、フォルトさん」

「……?」

「私、天気がいいから散歩してくるね」

「え? ――ぁ、ああ、そうですね、朝の散歩は健やかな心身を育むには、もってこいですから」


 フォルトに見送られ、蝶子は外に出る。

 散歩は口実。

 自分が家にいると準備などがやりにくいだろうという、ささやかな気遣いだ。

 

 だから、蝶子は気付かなかった。

 フォルトが不思議そうに「お疲れ様って?」と首を傾げていたことに。


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