第9話 だから勇者はこうなった

 フォルトは、今しがた交わした会話の意味を、しばし理解できなかった。

 ゆっくりと、目の前の勇者が口にした言葉を脳内で繰り返す。


 ――化け物みたいでしょ?


 勇者は、たしかにそう言った。

 まるで他人事のような口ぶりだったせいで、深刻さなど感じさせない軽さに思えたが、じわじわと意味を理解すれば、それはつまり……。


「ちょっと、待ってもらえますか? 話が重すぎて、処理しきれないというか……」

「ごゆっくり」

「――お気遣い、どうも……」


 こめかみを押さえたフォルトの横では、勇者があの真っ黒な目で虚空を見つめている。

 なにを考えているか、さっぱり分からない横顔だ。


 ――探しに行った時、うっかり聞いてしまった勇者の独り言。

 こんな所に来たくなかった、という本音。


 それがあったから、少し同情してそっとしておき、家の草むしりで時間を潰していたわけだが……。


(正直、草むしりの合間に聞いていい話じゃないだろ、これは!)


 生気のない目と、無表情。

 ひょろりとした体型。

 一年前と変わりない……なんら変わらない、勇者の姿。


 今思えば、おかしいだろう。

 なぜ、自分は見落としたのか。

 

 (なんの変化もないなんて、はあり得ないのに!)


 フォルトは、神官だ。

 神殿に属し、それなりの地位にいる彼は女神の加護にまつわる逸話くらい、簡単に知ることが出来る環境にいる。


 フォルト自身が持つ癒やしの力も、女神の加護の一つであり、〝慈悲のひとかけら〟と伝えられているものだ。


 大なり小なり、加護の逸話は様々あれど、人間……とりわけ権力を手にした人間がもっとも憧れるのは、不老不死の加護だろう。

 すでに伝承としてしか残っていないそれを、フォルトは所詮ただのおとぎ話だと一蹴していた。

 だが、目の前にいる勇者の言葉を信じるならば……彼女の加護は伝承に残る、不老不死そのものだ。


「……勇者殿は、空腹を感じない……ということですか?」

「はい。お腹がすかないから、なにか食べたいとも思わないし、眠いとか疲れたとかもないから、寝なくても平気なの」


 聞くだけなら、なんという便利さか。

 だが、フォルトはぞっとした。


 食べなくても持つ体。睡眠を必要としない体。

 飢えに苦しむことも、疲労で倒れそうになることもないが、同時に食べることの楽しみや喜び、眠ることで得る安らぎや活力……人を生かす原動力とも、縁がなくなるということだ。


(あぁ……そりゃあ、こうなるな……)


 フォルトは、初めて目の前に立つを、きちんと見た。


 やせっぽちで目は死んでいて、顔の筋肉はぴくりとも動かない。

 〝勇者〟という立場に振り回されてきた女の子がそこにいた。

 なんにも変わらず、変わることすらできず、ひとりぼっちで。


 ――神殿長の、言葉を思い出す。


『我々は、それほどのことを――』


 あの時フォルトは、神殿長の姿をまるで祈りを捧げているようだと思った。

 けれど、それは全くの見当違いだったと今なら断言出来る。


(――後悔だ)


 神殿長は、知っていたのだ。

 女神の加護が、勇者から……いいや、ただの少女からなにを奪ったか。


 だから、悔いていた。

 自分たちが、ちっぽけな少女に強いてしまったことと、奪ったものの大きさに気付き、悔いていたのだ。


(あぁ、胸くそ悪い……!)


 なにも知らず、自分こそ正しいような顔をして、この少女を貶めていた己が。

 分かった気になっていた自分を殴ってやりたい。


 ただの少女が〝勇者〟になったのだ。

 異世界から来たから、だけで片付けていいことではなかったのに。


 かつて神殿長が受けたであろう衝撃と、罪悪感――それを、今まさにフォルトは強く感じていた。

 今頃気付いた己を、腹立たしく思いながら。

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