第7話 少女の回顧
森の中を慣れた足どりで歩きながらも、蝶子は深々とため息をついた。
(あの人、はやく帰ってくれないかな……)
あの神官がいると、なんだか息苦しくて仕方がない。
食事のことを聞かれる度に、喉が詰まったみたいにきゅっと締め付けられる。
(いらないって、言ってるのに……)
嫌気なら初日で充分さしただろう。
絶対に引き留めないから、さっさと神殿へ帰って欲しい。
そんなことを考えながら、蝶子はお気に入りの大木の下に座り込んだ。
(せっかく作ってくれたって、私はいらないんだから……)
あの家に、人が食べる物なんてない。
今朝、あの神官が用意した食事は、彼自身が持ち込んだ食材を使ったのだろう。
断るのは心苦しい気もしたが、必要ないのを偽って彼の食べる物を取るのもいけないことのような気がして……。
(……キツい……)
だから、世話なんていらないと言ったのに。
こういうやり取りが嫌だから、使用人をとうるさかった王を突っぱねてきたのだ。
それで、今までうまくやってきた。
なにかと理由を付けてやって来た騎士だって、家の周りの荒れ方を見ただけで、顔をしかめてすぐに帰ってくれたのに、なぜあの神官は無駄に根性があるのだろう。
(……そういえば……叱られるなんて、久しぶり)
例えばどこかの村で、どうして家族を助けてくれなかったんだ勇者の癖にと怒鳴られたことはあった。
戦場に連れて行かれ、勇者様が近くにいたのにどうして仲間が死んだのだと怒鳴られたこともある。
でも、この世界に来て叱られたのは、初めてだった。
(……おばあちゃんみたいなこと言う人だな、金粉さん)
彼の言葉は、正しい。
蝶子は素直に受け止めていた。
食べ物は、生きていくうえで大事なもので、満足に食べられない人がいることも事実で……。
神殿で神官として生きてきた彼は、そういう世界があると知っているからこそ、ああいう言い方をしたのだろう。
――間違っていない……けれど、許せないこともある。どれだけ彼が正しくても、だ。
「……お客人、かぁ……」
その言葉だけは、許せなかった。
――今でもまだ、自分はそうなのだと、突きつけられた気がして、許せなかった。
今も……平和になった、今になってもまだ……縁もゆかりもない世界のために戦わされた蝶子は、それでもただの〝お客さん〟でしかない。
勇者で無くなれば、今度はただのお客さん。
好意的な意味ではない……部外者、よそ者、そういった意味で口にされる呼称だ。
ここでは誰も、蝶子の名前を呼んでくれない。
決して、望んできたわけではなかったのに。
「こんな所、来たくなかったよー……だ」
ふてくされた口調で言ったつもりだった。
それなのに、自分の声はただの一本調子で響き……蝶子は、大笑いしたい気分だった。
出来ないから、自分の頬を左右でつまみ、ぐいっと引っ張ってみる。
「ふはははは……」
抑揚の無い笑い声が森に響く。
この世界に来て、怒鳴られたりした時は悲しくて涙が出た。
そうすると、みんな顔を歪める。
舌打ちする。
勇者のくせにと、余計に怒る。
これじゃあダメなんだと思って、泣くのを我慢した。
そうすると、これも女神の加護なのか、顔にも声にもほとんど感情が出なくなったのだ。
泣くのも笑うのも最低限になったおかげで、ただの女の子だった蝶子は勇者として、少なくとも舐められることはなくなった。
けれど、こういう大笑いしたい気分の時などは、困る。
だから蝶子は、自分で自分の頬の肉をつまみ上げ、歪な笑顔を作る。
そして、口からは一本調子で不気味な笑い声を吐き出す。
そうすると、少しだけ気が晴れる。
別段隠すことでもない、ただのガス抜き作業だけれど、はたから見ると不審極まりないらしい。
これまでやってきた使者たちで少なからず粘った者達も、この奇行を目にしてギョッとして立ち去った。
家周りの荒れ方と、奇行。
この二つを突きつけられ、それでも元勇者に近付こうとする変人はいないだろう。
――だからきっと、妙にガッツのある神官もいなくなる。
近付いてくる気配と足音。
それが、笑い声を聞いた途端、不自然に止まったことに気付いた蝶子は、心の中で安堵した。
来たと分かっていて、見せたのだ。
(名前……結局分からなかったなぁ)
止まっていた足音が、遠ざかっていく。
微かな足音を聞きながら、蝶子はほんの少しだけ名残惜しさを感じていた。
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