第2話 勇者死亡疑惑


 迷いの森。

 この森は何時も静かだ。

 不気味なくらいに。


 そんな場所を、フォルトは奥へと足を踏み入れる。


(なんで俺が、こんな薄気味悪い所に……!)


 あそこまで深く話を聞いてしまえば、断れるはずがない。

 結局、名目上の仕事である、お世話係を引き受けざるを得なかったフォルトは背中に大きな荷袋を担ぎ、木々が生い茂る森の中をずんずんと突き進んだ。


 迷いの森などと大層な呼び名で通っている場所だが、薄気味悪い場所というだけで特別な事などなにも起きない、起きるはずもない、ただの森だ。


 たまに霧が出ると迷ってしまい、違う場所へ連れて行かれるなどという言い伝えがあるが、それも子供が悪戯心を出して森の奥深くに入らないためだ。


 そんな、鬱陶しいだけの森に好き好んで引きこもっている怠惰勇者は、今どうなっているのか。


(豚みたいになって、動けなくなってたらどうする? ……ある意味、叛意無しだろうが……早々に戻れるか?)


 見渡す限り、木しかない森。

 一生懸命かき分けて進むのも嫌になってきたフォルトは、絶賛引きこもり中の勇者の事を考える。


(いや、待てよ……。丸々太って動けなくなっていたら……それはそれで、問題じゃないか? だって、自分一人で生活が出来ないって事だろ。……おいおい、まさか、こんな退屈な森に一年も引きこもってたのは、自分で動けなくなって、助けも呼べない状況だったから……とか……!)


 不吉な事を想像してしまい、フォルトはかき分けていた草を無意識にブチブチとむしってしまった。


(好きで出て来なかったわけじゃなくて、出てこれなかった……!? ――まさか勇者は、すでに……!)


 薄気味悪い森を、一人で黙々歩いていたフォルトの想像は、次第に悪い方悪い方へと流れていき、とうとう最悪の可能性に行き着いた。


 肥え太り、動けなくなった勇者は同居人もいないため気付いてくれる者もおらず、そのまま……――。


(あぁぁぁぁっ!)


 こんにちはと扉を開けた瞬間、返事が無い住人と対面する……――恐ろしい事を想像してしまったフォルトは、不吉な想像を払うように動きを早めた。


 ――そして、やっとこさ目的の家が目に入る。


 森の奥にある、泉のほとりの小さな家。

 それが、勇者に用意された褒美だった。


 響きだけならば、穏やかで暖かい風景を想像するが、実際は薄暗い森にうち捨てられていた古い家を多少手直ししただけ。壁には蔦、周りには雑草が生え放題だ。


(こ、これが人の住む家なのか……?)


 ゴクリ、とフォルトは唾を飲み込む。

 折角振り払った不吉な想像が、再度頭をもたげた。

 心臓がバクバクと嫌な鼓動を打つ。


 しかし、ここで足踏みをしてはいられない。

 行かねばならないと大きな荷袋を下ろす。


 フォルトは、覚悟を決めて木製の扉に付いている呼び鈴を鳴らそうとしたが、古ぼけ錆びたそれは、持ち手に触れた瞬間にボロボロと形を崩した。


 ぎょっとしたフォルトだったが、気を取り直し今度は手でドンドンと扉を叩く。


「勇者殿! 神殿より遣わされた者です! ご在宅ですか、勇者殿!」


 しかし、返事はない。

 物音一つ、聞こえない。


 ちょっとだけ力を込めて押すと、扉は抵抗なく開いた。


(か、鍵がかかってない……!)


 こんな森の中の一軒家だ。

 施錠の有無などたいした問題ではないかもしれないが、熊や猪や鹿と言った野生動物や、未だに共存に反対する和平反対派魔族が襲ってこないとも限らないのに無防備過ぎやしないだろうか。


(やはり……、勇者は……!)


 隙間から覗き見する家の中は、外よりなお暗い。

 自分の想像が、現実になりそうな気配におののきつつ、フォルトはさらに扉を大きく開くと、家の中へ足を踏み入れた。


 もしも、自分の想像が当たっていたとしたら……、あまりいい印象を持っていなかった相手であろうと、そのままにしていい訳がない。


(弔いの聖句くらいは詠んでやる)


 ――せめて、神官らしく死者に安らかな眠りが訪れるように祈ってやろうと思ったのだ。


「失礼しますね、勇者殿」


 念のため一声かける。

 そして覚悟を胸に、フォルトは一歩、また一歩を家の中へ歩みを進た。

 ぎし、ぎし、と床がきしみ、耳障りな音を立てる。


 手始めに、仕切る物なく開放されている左側の部屋をのぞけば、そこは炊事場だった。

 思わず、フォルトは眉をひそめる。


(……使った形跡が見当たらないんだが……!)


 しばらく使われた形跡の無い炊事場……つまり、食事をする人間がいなかったということ。


 ――悪い予想が、確定した。

 だが、不幸中の幸いか、埃を被った炊事場に勇者の姿はなかった。


 ならば、別の部屋で息を引き取ったのだろう……そう思ったフォルトは、亡骸を弔うべく探索を再会しようとして、ピタリと動きを止めた。


「…………っ」


 止めるしかなかったと言った方が正しいだろう。

 フォルトの喉元には、短剣がピタリと当てられていた。


 少しでも動けば、即喉を切り裂かれる……そんな状況で、フォルトはなんとか声を出した。


「――何者だ」


 声は、完全に恐怖を隠せずに震えてしまったが、相手はそれを無様と指摘したりはせず淡々と返した。


「それは、こっちのセリフ」


 背後から返ってくる、声。

 フォルトは、その声が高いことに気が付いた。


 男の声音ではない。

 変声期を前にした少年とも違う。

 まるで、年若い娘のような……けれど、どこか精彩を欠いた声。


(あれ……?)


 そんな声を、フォルトは以前も聞いた覚えがあった。


 あの時――謁見の間で、王を前にしてなお不遜な態度を通した勇者が……。


 そこまで思い出したフォルトは、今自分に短剣を押し当てているのが誰なのか、合点がいった。


「勇者殿! 生きておられましたか!」


 しかし、返事はない。

 短剣が下ろされることも、ない。


(まだ警戒しているのか?)


 早合点でブスリと刺されたら元も子もないと思い、フォルトは早口で続けた。


「呼びかけたのですが、返事がなかったので心配になり、無礼を承知で上がらせていただきました。私は神殿より、勇者殿のお世話をせよと遣わされた者です」

「……神殿?」

「はい、神殿です。神殿長から勇者殿が不自由なく暮らしているか、不足はないか、よくお話を聞き、お世話をするようにと言いつかっております」


 そこまで言うと、ようやく短剣が下ろされた。

 フォルトはほっと安堵の息を吐き、振り返る。


「……申し遅れました、勇者殿。私は、フォルトと申します」


 そして、丁寧に礼をして、他者の警戒を一瞬で溶かすと評判の〝優しさの化身そのものの笑み〟――つまりは外向き用の笑顔を浮かべようとして、失敗した。


「うおっ!」


 優美だなんだと言われる外見には似つかわしくない、男臭い悲鳴を上げてしまう。


 ――勇者は生きていた。

 別に、丸々太って動けないわけでも、衰弱してもいなかった。


(あぁ、そう言えば、こんな顔だった……)


 不法侵入だと怒っているわけでもない。

 見知らぬ男だからと怯えるわけでもない。


 勇者と呼ばれていた少女は、一年前と変わらぬ目……底なし沼のような二つの目で、ただじっとりとフォルトを見上げていた。

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