第24話 断片

 義手が示していた場所は、都市部から離れた郊外の、小さな町工場だった。

 ハザードデイ以降の都市化の波から逃れたこの土地は、古き良き田舎の風景を守り続けている――だが、


「なっ――」


 義手の鼓動に導かれて現場に到着したジャグラーは、目の前に広がる惨状に絶句した。

 全てが赤に塗りつぶされているんじゃないかと思うくらい、至る所に血が飛び散っている。


 その血の持ち主と覚しき作業員の無残な屍が、転がっていた。

 錆びた鉄のような匂いと機械油が混じったような異臭が鼻をつく。

 お揃いの作業服に身を包んだ彼らは、その沈黙で既に手遅れであると雄弁に語っていた。

 どの死体も首や心臓をやられ、一瞬のうちに殺されたことがせめてもの救いと言うべきか――


「……」


 死体を見るのはこれが初めてじゃない。

 これくらいで吐瀉物を撒き散らしながら蹲るなんて醜態をさらすような真似はしない。


 かと言って、見ていて愉快なものであるかどうかは決して否だ。

 仁の胸の内に込み上げてくるのは怒りと、どうしようもない不甲斐なさだった。

 並のキャンサーであれば、問題無く倒すことが出来るくらいの力を手に入れたはずだった。


 それでも、間に合わなければこのザマだ。

 せめて――


『せめてもう少し早く来ていれば、なんてバカなこと思ってない?」


 そしてそれは、ブランカにも見透かされていた。


「それは……」

『今まで間に合ってたのがうまく行き過ぎてたってだけ。あたしの力は全知全能って訳じゃない。それくらい、あんただって分かってたでしょ?』


 怒りも嫌悪も見せずに、ブランカはただ淡々と、事実を確認した。

 目の前の惨状を見ても彼女の感情に一切の揺らぎはない。

 ブランカにとっては、人間如きがが何人死のうが心底どうでもいいのだ。

 だがその冷淡さが、仁の心に冷静さを取り戻してくれた。


「そう、だな。ごめん」

『あんたが謝ってどうすんのよ』


 呆れ返ったブランカがやれやれと首を振る。


「キャンサーは……まだ、ここにいるんだよな」

『ええ、それは確かね。相変わらず大雑把で細かいところは分からないけど……』


 近くに転がっていた若い男性の作業員の死体がびくりと痙攣し、人形のようにゆらりと立ち上がった。


「よかった、無事――」

『なわけないでしょ、よく見ろっての!』


 希望にすがりつこうとした仁を、ブランカは切迫した声で切り捨てた。

 作業員の眼は虚ろで、だらしなく開いた口から血が垂れ流されている。

 他の従業員と比べて傷は殆ど無いが、彼の命はかき消されていることは一目瞭然だった。

 では、体は一体誰が動かしているのか――


『本っ当に悪趣味ね……!』


 毒づきながらブランカは、義手を触手に変形させ、死体を貫いた。

 瞬間、作業員の体が水風船のように膨らみ、爆ぜた。

 飛び散った血に、視界が塞がる。

 なんとも残忍極まりない目くらまし――


『仁!』

「ああ――!」


 体が爆ぜた瞬間に見えた、異形の影が繰り出した攻撃を、ブランカは変形させた百連刃で弾いた。

 仁はその隙に後方へ飛び、できる限り影から距離を取った。


「ふうん――中々やるね」


 鼓膜を叩いた女性の声に戦慄する。

 視界が塞がっていても、目の前の怪物がキャンサーであることは分かっている。

 そのキャンサーが、人間の言葉を話した。

 それが意味することは――


『――こいつだ』


 ブランカがぽつりと声を漏らした。


『こいつが、あたしの断片――!』


 アイレンズにかかった血を拭って、仁もその姿を見た。

 すらりとした女性的なシルエットが印象的な灰色がかったボディー。

 背中から伸ばされた二対の触手の先端は、刃物のように鋭利だ。


「嘘だろ……こいつがブランカの一部なのか?」


 てっきり破片を取り込んだキャンサーかと思ったが、このような形状のキャンサーは今まで一度もお目にかかったことがない。

 ACTのライブラリにも存在しないであろう目の前の怪物は――破片を取り込んだキャンサーではなく、破片そのもの。

 それが自我を持ち、目の前に立っている。


『潰すわよ、仁』

「最初からそのつもりだ――!」


 例えブランカの一部であろうとも――いや、一部だからこそ、絶対に容赦はしない。

 百連刃を構えるが、怪物は両手をだらりと下げたまま、構えようとしない。

 それどころか、殺意の欠片さえも感じられない。


「随分とまあ面白い勘違いをしているみたいだけど、生憎私はおまえと戦う気は無いんだよ、ブランカ」

「――!」


 ブランカの名前を知っている。

 敵もこちらの正体は分かっているということか――?


「けどそれじゃつまらないだろう? だから中々噛み応えのある奴を呼んでおいた。せいぜい、楽しんでくれよ」


 怪物はそう言うと、体をゲル状に変化させ逃亡した。


「待て――!」


 百連刃を飛ばすが、怪物はそれを避けて工場の外へと出て行った。

 仁もその後を追おうとするが、ブランカがそれを引き留めた。


『あの速さじゃもう追いつけない。悔しいけど、今日は諦めるわよ』

「そんな……おまえはいいのか?」

『存在が分かっただけでも御の字よ。あいつの気配は覚えた……次は絶対に逃がさない』


 意外にも冷静なブランカに、ポリポリと頭を掻きながら周囲を見渡す。

 改めて見てみても、目の前の惨状に変化はない。

 むしろ死体が破裂したぶん、凄惨さが増している。


「……ん?」


 血に濡れた床に、電源が入っているスマホが転がっていた。

 画面に映っていたのは通話履歴。

 最後の通話相手は――ACT。

 今や消防や警察に加え、どのスマホにも搭載されているACTへの緊急通報。


「そう言う事か――!」


 怪物の狙いを理解して逃げようとした瞬間、壁が突き破られる。

 土埃と共に現れたのは、騎士を思わせるRCユニット――ブラストリアを装着したACT隊員。


 そのRCユニットの装着者は、この街の一人しかいない。

 波沢渚沙。

 最悪の敵が今、ジャグラーの前に姿を現した。

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