第16話 先輩、ダメです……こんなの……。
(先輩、もう着いてるかな。今日は僕が中庭に誘ったんだから……)
てててて、と中庭に駆け込む颯太。
中庭を見渡して、先に蘭が来ていない事に安心した颯太は特等席に腰を下ろした。
木を挟んだ向こう側には常連の二人、那佳と笹の葉が座っている。
颯太が頭を下げると那佳は会釈をして微笑み、笹の葉は変顔で手をニギニギとし、那佳に頭を叩かれている。
だが、その後はいつも通りの昼休み。
那佳と笹の葉が、颯太の目を気にすることなく、楽しそうに話し始める。
颯太の体を、風が、さあっ、と撫でていく。
遠くから微かに聞こえる、生徒達の喧騒。
(大好きな、中庭……)
ぽかぽか、と暖かく降り注ぐ日差し。
颯太は、少しだけ、と空を仰ぎ目を閉じる。
(心地いい……あ、今日は『
弁当二つを膝に乗せ、
そこに。
ざっ。
ざっ、ざっ。
颯太の背後から、地面を踏みしめる音が聞こえてきた。
(……あ。先輩、かな?)
近寄ってきた気配に、颯太が目を開けようとすると。
む、にー。
頬を、つままれた颯太。
「ふえ?」
「待たせたか、すまなかった」
ベンチの後ろから、蘭が颯太の頬を軽く引っ張りながら覗き込んでいる。
驚く颯太と目が合うと、つまんだ場所をさらり、と撫でて微笑んだ蘭。
「い、いえ、さっき来たばかりなので」
「そうか」
どこか、違う雰囲気をまとった蘭を見つめる颯太。
蘭はそんな視線を気にする素振りを見せず、颯太の横に座った。
近すぎず遠すぎない、昨日迄の密着が嘘のような距離。
「どうした、不思議そうな顔をして。私の顔に何かついているのか?」
首を傾ける蘭。
「な、何でもありません。ただ、蘭先輩の雰囲気が今日は、何か……」
「ふふ、
そう言って、微笑んだ蘭。
だが、颯太は何となく落ち着かない。
(これは、夢?いや、でもさっき頬をつねられて少し痛かったし、蘭先輩、最初からこんな雰囲気あったし……。でも、うう、何か凄く緊張する!)
そんな心境を気取られぬように、颯太は自分の弁当を差し出した。
「これ!お弁当ですっ!」
「む、すまんな、昨日といい今日といい。この通りだ」
そう言って頭を下げる蘭にますます緊張した颯太は、ワタワタしながらも、ふと気になる事を切り出した。
「いえ!僕が作ったので、こんなお弁当でよかったら……蘭先輩、ちなみにいつもお昼はどうされて……?」
「私か?弁当を持たせてもらっているが、母親が病に臥せってしまった級友がいてな。差し出がましいのだが」
その入院費を捻出する為、また幼い兄弟達には苦労はかけまいと、父親と共に食費から何から切り詰めて奮闘する級友に弁当を渡しているという蘭に、瞠目する颯太。
「そ奴は頑固者でな。
「そ、そうだったんですね……」
そして肩を竦め、全くあ奴ときたら……と呟く蘭は、ま、そろそろ級友の母親を由布院の息が掛かった病院で受け入れる準備が整う頃だろう、と悪戯っぽく笑う。
「要らぬ世話かもしれんがな。だが、同じ
「………………は?!い、いえ!食べましょう!」
思わず蘭に見とれていた颯太は、慌てて羽遊良から渡された弁当の包みを開けた。
蘭は手元にある弁当と、壮太の膝にある弁当を眺めて不思議そうな顔をした。
「弁当が、二つ?」
「あ……これはですね。クラスの友達がお弁当を作りすぎたから、って頂いたお弁当です。なので僕のお弁当が口に合えばですが、良かったら全部食べてくださいね」
「済まない。ではありがたく頂くとしよう。ちなみに、友達とは女子か?」
蘭の突然の質問に、颯太は淀みなく答える。
「あ、はい!」
「颯太は、人気があるのだな。弁当を差し出す程の相手など、そうはおるまい」
「人気とかじゃなくて……優しい人です。良くして頂いています」
羽遊良が聞けばいろいろな意味で布団にくるまってしまいそうな言葉に、ふむ、と顎に手を当てた蘭が、おもむろに颯太の手を、きゅっと握って。
そして、指を絡ませる。
「私も、うかうかしてはいられぬな」
そう言って、意味深に笑った蘭は手を離した。
顔を赤くした颯太が、自分の手を抱え込む。
「ど、どういう意味ですか?!」
「さて、な。おお、美味そうだな」
弁当の蓋を開け、いただきます、と礼をし、嬉しそうに箸を動かす蘭。
颯太も慌てて弁当の蓋を開けるが、内心はそれどころではなかった。
(い、今のが、噂に聞く『恋人繋ぎ』?!何か、思ったより……思ったより……!!それに、先輩の言葉……な、何なの?!意味がわかんないよ!)
実際にはお互いが指を絡ませた訳ではなく、そこは
すると。
ごちそうさま、と満足そうに弁当箱を閉じた蘭が、
「颯太、弁当が付いているぞ?」
と、颯太の顔に手を伸ばしてきた。
「え?お弁当、ですか?」
颯太はその意味が分からずも、つい、と顔を
そんな颯太を見た蘭は、また悪戯っぽく笑って。
颯太の頭の後ろに手を回して、顔を寄せ始めた。
「な、なな!何を!」
焦る颯太。
だが、顔を逸らそうとしても、逃れようとしても、無理に動けばその繊細で敏感な場所に触れてしまう距離まで、既に蘭は近づいていた。
互いの息が、掛かる距離。
だが、魅力溢れる今の蘭から目を逸らす事も逃げる事も出来ない颯太。
そして。
ぴたり、と蘭が動きを止めた。
蘭の吐息が颯太の唇に掛かり、その度にぴくり、ぴくり、と颯太の肩が震える。
「先輩…………先輩、近いですよ……ダメ、です……こんな……」
抗議をする颯太。
だが、その声は弱々しい。
「ふふ……颯太は
ゆっくりと囁きかける蘭。
「ここと」
蘭の人差し指が、颯太の唇に触れる。
「ここが」
次いで、颯太の唇から離した指を半開きの唇にあてる。
「触れてしまうやも、しれぬから……な」
ふうっ。
蘭の熱い甘い吐息が颯太の唇に吹きかかる。
●
何かにつけ、やりすぎな程のボディタッチやスキンシップを仕掛け、求めてくる姉をかわし続けていた事で、ノリや勢いでの
いざとなっても、ギリギリの土壇場では雰囲気に流されずにしのぐ事ができる。
だが。
今日の蘭のように真正面から堂々と距離を詰めてくる女性への耐性と、経験値が足りていなかった。
物心ついた頃から山の中で自然とともに暮らしていたのだ。
女性として身近な存在は、母親や姉、小さな山間の学校のクラスメイト。
そして、一年足らずの間に仲良くなった青空流の門弟や転校先の教師や生徒。
それくらいである。
そして今。
颯太は生まれて初めて、雰囲気に呑まれそうな自分に必死に抗っていた。
●
「先輩、ダメです……!僕は、女の人と……キス……したことなんてないんです……からかわないで、離れて……下さい!それに、恋人同士、が!する事ですよ……!」
とうとう蘭の肩にそっと手を置いて、必死で赤い顔を背け始めた颯太。
そんな颯太の言葉に。
蘭は颯太の首筋に、鼻先をくっつけて。
「恋人では、いかぬのか?」
「えっ」
蘭のその言葉に虚をつかれた颯太が固まった瞬間。
颯太の首筋から顎、顎から唇へと、蘭の鼻先がゆっくりと動き始め。
(あっ……!だ、だめぇー!!)
その感触に身体を震わせ、目を閉じてしまった颯太。
そうして。
颯太の唇の端に微かな何かが触れた瞬間。
ぎゅっ!と目を瞑った颯太から、蘭の気配が離れた。
恐る恐る目を開けた颯太。
その眼の前で、それぞれスカートの前と後ろを片手で押さえた那佳と笹の葉が、産まれたての子鹿のような内股で、ぷるぷると蘭を引っ張っている。
「ゆ、由布院様っ!ここは
「由布院様由布院様ー。それ以上はお嬢が白目むくから
蘭を引っ張りながらも、時折びっくん!と震える二人。
すると。
「…………む?那佳と笹の葉ではないか、どうした……おお、颯太!待ちかねておったぞ!だが、どうやら瞑想しているうちに眠りについてしまったようだ。何やら愉快な夢を見ていたような心持ちだが」
「「「……え?!」」」
那佳と笹の葉は、寝てたの?!噓でしょ?!と言わんばかりに目を剥き、那佳はお股、笹の葉はお尻を抑えたまま座り込む。
笹の葉はスカートをたくし上げてお股を確認し、那佳に頭を叩かれている。
そして、呆然とする颯太にピタリとくっついた蘭。
「颯太、弁当を楽しみにしておったぞ!すまんな、無理を言っ……む、中身が入っておらぬとは如何なる訳だ?颯太、さては全部食べてしまったのか?食べてしまったのか?!楽しみにしていたのだぞ!」
ぷっくー!
颯太の肩を掴んでゆっさゆっさと揺さぶり、膨れながら颯太を見上げ、胸元にグリグリと頭を寄せ、ぺしぺしと颯太の膝を叩き、全身で抗議を繰り返す蘭。
そして、颯太は。
余りの衝撃に、白目を剥いていたのだった。
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