5


 19時を過ぎた頃だった。


 ようやくそれと思わしき連中の声が耳に入る。


 個室で今か今かと待つ男達の下に、楽しそうで和気あいあいと話す甲高い声が近付いてくる。声が無駄に大きく品がない。


 その声を聞くだけでも、そいつらの知性と品性が欠けていることがひしひしと伝わってくるのを感じ、開始を待たずして嫌気がさす。そんな連中とこの後数時間に渡る退屈な時間を過ごすことを考えると先が思いやられる。


 そんな俺とは対照的で、友人達の喉を鳴らす音が聞こえた。友人の立場だが、俺はそいつらの顔を見て心が萎えていくのを感じる。


 どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ。本当にくだらない。何が楽しいんだ。


「お待たせー!」


 待たせたことを悪びれる様子を一切持たずに、いかにも尻と脳みその軽そうな女が先頭きって入ってくる。


 容姿がどうこうの話ではない。眼中に入らぬ奴らの小さな差なんて俺にはわからない。どいつもこいつも似たようなものだ。誰も彼も興味をそそらない。目を惹くことなどありはしない。


 二番手も三番手同じようなもので、俺には三人の区別がつかない。髪型も髪色も服装の系統まで量産型で、どこで見分けていいのかわからない。何処にでもいる女子大学生って感じだ。何処にでもいて、何処に行ってくれたって構わない、そんな女達が入ってくる。


「いよっ! 待ってました!」

「ヒュー!」


 隣の馬鹿は現れた馬鹿を見て、開口一番に歓声を上げる。

 

 馬鹿みたいな奴らが入ってきたと思いきや、隣にも既に馬鹿がいたとは。前門の馬鹿に後門の馬鹿。知らぬ間に馬鹿に囲まれていた。なんという背水の陣だ。


 どこに魅力を感じているのか理解し難いが、隣の三匹の猿はご満悦に顔を綻ばせている。指笛を吹く馬鹿までいる始末だ。意味不明だ。感受性が豊かすぎる。どこに感情を好転させる要素がある。


 来なきゃよかった。既に飽きた。こんなクソみたいな連中の為に時間を無駄にするのか、地獄かよ。


 そうは思えども、俺の取る選択肢は一つだ。


「おおっ! べっぴんさん! べっぴんさん! 一つ飛ばさずべっぴんさん!」

 

 俺は女共が来るや否、わざとらしくコミカルな発言をした。


 思ってもいないことを思ってもない態度で装う。場の雰囲気に同調し、誰よりも楽しそうに、時に馬鹿馬鹿しく振舞う。

 

 ほとほと愛想が尽きる。


 他人にではない。他人には最初からそんな想いは持ってはいない。


 自分に対してだ。自分の生きる道がここにしかないことに対し愛想が尽きる。忌み嫌う他者に迎合し、輪の中でしか生きられぬ自分の生き方が嘆かわしくて情けない。

 

 けれども泣き言を言っても仕方がない。とっくの昔に折り合いをつけたことだ。この生き方を選んだ時、覚悟は決めていた。いかに辛かろうが嫌悪しようが、この道を進むことを決めた。他ならぬ自分を守るために、俺はこの道を選んだ


 そうしないと自分という存在を保てないから。


 だからこうやって生きることを決めた。 


 くだらないのは他人か、それとも。


「すみません、お待たせしました」


 心を殺し、心ない姿で取り繕う俺の鼓膜を揺さぶったのはそんなありふれたフレーズだった。


 その声は、風鈴を鳴らしたかのような、濁りのない透き通る声だった。その声には真摯な思いと、謝意が存分に込められていた。やけに綺麗な声は、先頭きって入ってきた女とは比べものにならないぐらい、耳心地の良い響きだった。


 思いがけずに俺はその声の先に視線を奪われた。

 

 入り口から順番に入ってきた最後方で、その声の主は控えめに頭を下げていた。


 頭を下げているといっても、場の雰囲気を乱すほどの重々しさはない。控えめな申し訳なさが、この浮ついた場には丁度いい塩梅だった。


 こいつはちょっとはマシか。


 些細な所作なのだが、それだけでも他の馬鹿よりいくらか良いことがうかがえた。


「別に気にしなくていいよ。待ってる間、俺らも盛り上がってたし。でも、罰として今日は帰さないよー。ぐへへ」


 初夏の朝より爽やかな声で言った後、わざとらしくふざける。こうすれば相手は自然に綻ぶ。


 俺が言い終わるとほとんど同時に、その女は顔を上げる。その際、瑞々しく艶やかなセミロングの黒髪が揺れるのが印象的だった。


 上がってきた顔を見た瞬間、俺は思いがけずに言葉を失った。


 西大の天使。


 いつか聞いたそんな例えを思い出した。


「あはは、終電程度で勘弁してくださいね」


 女は屈託のない明朗な笑顔をみせる。


「……」


 いついかなる時も、俺は言葉を紡いできた。嘘を吐き、円滑にことを運んできた。心中を無視し、その場に適した台詞を吐いてきた。そんな俺なのに、女の顔を見た瞬間、言葉が見つからなかった。


 この場に相応しい言葉が見つからず、俺は何も言えずに呆然とその女を見ていた。


……見とれてしまったのかもしれない。


 その顔があまりにも美麗で、美人と表現する他ない顔立ちだったから、見せた笑顔があまりに可憐だったから、俺の視線は奪われて離すことができなかった。


 女版の俺、か。


 まさかな……。


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