青春ルーティン

緑川えりこ

わたしのルーティン

朝7時、わたしの名前を呼ぶお母さんの声が聞こえて目を覚ます。それから洗面所で顔を洗って、ついでに寝ぐせもえいえいっと直す。

そのあとは制服に着替えて、お母さんが朝食の用意をしてくれている台所へと向かう。

台所へ着くと、自分の席に座る前にひとつだけやることがある。

いつ頃からやり始めただろうか。中学2年生になってからだということは確かなんだけど、細かい時期は忘れてしまった。

とにかく毎朝必ずやっている。

それを世間では、ルーティンと呼ぶらしい。

なんか、ルーティンってカタカナにするだけで、ぐんと大人になった気分がするから不思議だ。


えーっと、今日は6月23日月曜日か。献立は、きゅうりとツナのマヨ和え、コンソメスープ、照り焼きチキン、りんご。そして、カレーに並ぶ不動の人気メニュー・揚げパン。

わたしのルーティン――それは、台所に貼ってある今日の給食の献立をチェックをすることだ。

今日の給食の主役は間違いなく揚げパンだろう。

よし、今日はきっと……。

あおい、また今日の献立見てるの?」

突然後ろから、顔にパックを貼り付けた4つ上の美咲みさきねえが、やれやれといった顔をして現れた。

「うん!今日の献立は揚げパンだって!」

思ったよりも声が弾んでしまったが、美咲姉はそこには触れず、「うへー、揚げパンかぁ。超高カロリー高糖質メニューじゃない」とあからさまに嫌な表情を浮かべた。


美咲姉は高校生だから給食がない。その代わりにお弁当を持って行っている。

その美咲姉のお弁当というのが、葉っぱだらけのほぼ緑色のお弁当で、なんというか、わたしは全くそそられない。

「美咲、あんたもう少しご飯食べた方がいいんじゃないの?」

湯気がふわふわと立つお味噌汁を食卓に並べながら言うお母さんに美咲姉は、「今、糖質制限ダイエット中なの」とぴしゃりと言い放った。


今も、美容に良いとかいう紫色のスムージーを飲んでいる美咲姉のルーティンは、どこかのモデルさんか女優さんかとツッコミたくなるようなルーティンだ。

起床後、まず白湯を飲むことから始まる。その後、パック、化粧水、乳液、クリーム、日焼け止めなどなどとにかくいろんなものを塗っている。日によって塗るものが増える日もあるのだとか。

顔が整ったら、次は髪の毛のセット。10分以上洗面所から出てこない日もある。

なんだか、高校生って大変そうだ。

今度は、わたしがやれやれといった顔をしながら出来立ての味噌汁をすすった。

わたしのルーティンは時間にしたら5分もない。

もし美咲姉にルーティンの話をしたら、葵のルーティンなんてルーティンじゃないとか言われそうだな。

――でも、時間はわずかだとしても、わたしにとっては美咲姉と同じくらい大切なルーティンなんだ。



美咲姉は緑色のお弁当を持って、わたしは揚げパンの給食を目指してそれぞれ学校へと向かった。

給食時間になると、周辺の人たちと机をくっつけて、決められた班のカタチにする。

予想通り、揚げパン人気は凄かった。

どれも同じ大きさにしか見えないけれど、男子たちはできるだけ大きいのを食べようと、ご飯パン当番の子に、これがいいだのあれがいいだのと言っていた。

配り終えたパン箱の中には、1つだけ揚げパンが残っている。

そうか、今日の欠席者の分か。

人気メニューの日に欠席者がいると、必ずあるものが始まる。

「揚げパン欲しいやつ、教室の後ろ集まれ~~~」

お調子者の山崎くんの呼びかけに応えるように、多くの男子たちがぞろぞろと後ろのほうへと集まっていく。

あるものとは、「揚げパン争奪戦じゃんけん大会」だ。

もちろん、揚げパンじゃない日は、メロン争奪戦とか七夕ゼリー争奪戦とかいう名前になる。

伊吹いぶき、お前は?揚げパンいらんの?」

じゃんけん大会に参加しようと教室の後ろに向かう男子が、通りすがら、わたしの真向かいの席の伊吹いぶき柚真ゆうまに声をかける。

だが、彼は「ん~、俺はいい」と頬杖を突きながら興味なさそうに言ってのけた。

だけど、わたしは見逃さなかった。

彼が頬杖を突いて隠している口元がうっすらと笑っているのを。


「最初はグー!ジャンケンポン!」

狭い教室に男子の大きな声が響き渡る。

「葵、葵」

その大きな声の渦に隠れるようにわたしの名前を呼ぶ人がいる。

例え、どんなに騒がしくてもこの人の声だけは聞こえるような気がする。

少し高くてかすれた声――柚真の声だけは。

彼がわたしの名前を呼ぶ声にトクトクトクと心臓が早く動き始める。

「なに」

わたしも小声で返す。

すると、柚真は、にこぉっという満面の笑みを向けて来た。

机の下に伸びてきた手は何かを催促するようにクイックイッと動いている。

それが何を意味するのかわたしにはすぐ分かった。

このあと、柚真が何を言いたいのかも。

なぜ、柚真が揚げパン争奪戦じゃんけん大会に参加しないのかも。

なぜ、ひっそりと口角を上げていたのかも。

わたしは、無言で机の下の柚真の手に揚げパンを差し出す。男子たちにバレないように、机の下からこっそりと。

「さんきゅ」

その言葉と共にわたしのお皿の上にりんごが置かれた。

柚真は、分かっていたのだ。

わたしが揚げパンを彼にやろうとしていることを。だから、彼にとっては、揚げパン争奪戦じゃんけん大会は、高見の見物でしかなかった。

「揚げパンジャンケン!ジャンケンポン!」

教室の後ろではまだじゃんけん大会が開かれている。

どうやら、残る3人による決勝戦のようだ。

クラスの目がそっちに向いている間に柚真はわたしが渡した揚げパンを急いで口の中へと放り込んだ。

口いっぱいにほうばっているその姿がハムスターみたいに可愛くて、でも大きな口がちゃんと男子で。その姿を見て、わたしの心臓は、またうるさく音を立て始めた。

きっと、今日は柚真とこの秘密のやり取りができると思って、朝からにやにやが止まらなかった。

シャリ、と彼にもらったりんごをかじる。

そのりんごは、甘くて爽やかで、幸せの味がした。



わたしのルーティン。

それは、毎朝今日の献立を確認すること。

そして、彼――柚真にあげれそうなメニューを見つけること。




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