第31話 最後の猛攻

 負傷し意識を失った鮫村を救急車が収容している後方に、赤い回転灯を回したワンボックス車が停止する。鑑識課の到着だ。青い制服を着た鑑識課員が降車し、倒れた黄色ジャージの男の元へと向かった。すでに死亡は確認されている。後は鑑識がチョークで遺体の外枠に線を引き、一通りの現場写真を撮影した後、遺体を袋に詰め、搬送車で警察に運ぶ手はずだ。


 倉橋警部補に報告するのは、捜査一課の若い本間刑事。


「警部補、鑑識課が到着しました」


「そうか」


「ですので、証拠品を引き渡します」


 倉橋は横目で本間をにらむように見つめる。


「それで」


「は? はぁ、ですから証拠品の拳銃を引き渡しませんと」


 すると倉橋は、白い手袋をはめた右手で黒いトカレフを持ち上げてみせた。


「これか」


「はい。……あの、警部補。どうかされたのですか」


「いや、別に。このトカレフは私から鑑識課に渡そう」


「いえ、それくらいは自分が」


「くどい!」


 突然激昂した怒鳴り声は、現場を震撼させる。刑事やマスコミ関係者たちが何事かと見守る中、倉橋は殺意の籠もった視線で本間を射すくめると、鑑識官に向かって大声を上げた。


「鑑識! 証拠品を取りに来い!」


 いささか不審げに首をかしげながら、ビニール袋を持って鑑識官の一人が近付いて来るのを見て、倉橋の口元がニイッと吊り上がる。


「証拠品を渡せばいいんだな」


「え? はい、まあそれは」


 キョトンとしている鑑識官の目の前で、倉橋は悠々とトカレフのマガジンを交換し、スライドを引いて薬室に装填する。


「では受け取れ」


「ちょ、ちょっと警部補!」


 慌てた鑑識官の額に穴が空いた。同時にタン、と乾いた銃声。本間が、他の刑事たちやマスコミ関係者が恐怖に目を見開く。


「異端者が!」


 叫びながら倉橋は、流れるように三発の銃弾を放った。


「異端者が! 異端者が! 真なる神を奉ぜぬ異端者どもが! 滅びよ、滅びて土に還るがいい!」


 放たれた一発プラス三発、合計四発の銃弾は、たった四人の犠牲者で満足するはずもない。額を撃ち抜き、こめかみを貫通し、背中から心臓を射貫きながら何度も何度も宙を舞い、次々に犠牲者を増やして行く。刑事たちには為す術もなく、パニックに陥ったマスコミや野次馬は悲鳴を上げて逃げ惑い、あちこちで将棋倒しを起こした。


「ハハハハハッ、ハハハハハハハハハッ!」


 狂気をはらんだ哄笑が夜の闇に響き渡る。そのとき、倉橋の上半身がほんの少し仰け反った。直後に響く銃声。キルデールの意思に乗っ取られた警部補はニンマリと笑う。


「いい腕だ」




 散場大黒奉賛会の支部教会玄関では、コルト・パイソンを構えた釜鳴佐平が目を丸くしていた。


「何てこったい、本当に弾ぁ避けやがった」


 背後に立った地豪勇作が言う。


「最終的に一発当たりゃいい。援護頼むぜ」


「あんな化け物に当てる自信はねえが、まあ頑張りやすよ」


 そう答える釜鳴の横を勇作が通り過ぎて行く。背には赤いキャップをかぶったマーニーをおぶり、右手にグロック、左手には猟銃を持って。玄関を抜けるとすぐ、一つだけ残った投光器の作る薄闇の中を、勇作はトカレフに向かって猛然と走り出した。


「これで最後にすんぞ、オラァアッ!」


「いっけぇええっ!」


 背中のマーニーがヤケクソ気味に拳を突き出す。迎え撃つ倉橋の血走った目は見開かれ、宙を舞っていた四発の弾丸が唸りを上げて勇作へと飛んだ。しかしマーニーの見えない力がこれを火花と共にはじき飛ばす。一発が勇作の右脚をかすめたが気にしない。勇作の右手のグロックが火を噴いた。走りながら倉橋に向けて連続で五発。とは言え狙いを定めていない銃口である、真横に全力で走られては当たりようもない。ただ。


 向かって左側に回り込もうとした倉橋は、勇作の背後から飛び出した“りこりん”の蝶断丸による一撃を、左側面で受けねばならなくなった。銃を持ち替える時間はないはず。まずは腕一本、成果を確信した“りこりん”に倉橋の左手が向けられる。握られているのはリボルバー、ニューナンブか。おそらくは元々倉橋の所持していた拳銃。


 銃声より先に動き出した蝶断丸が、一発目は弾いた。距離は蝶断丸の間合いに入る。だが一度振り抜いた剣を引き金より速く元の位置に戻すのは至難の業、しかもここまでの近距離ともなれば、まず不可能。倉橋の指に力が入った。


 その倉橋の左手が、稲妻の速度で蹴り上げられる。“りこりん”の足ではない。彼女の背後から伸びてきた、縞緒有希恵の足である。勇作の背後に“りこりん”を置いただけではなく、さらに背後に縞緒を配置した三段構えの策。しかも縞緒は素手。この思い切りたるや。


 宙を飛ぶニューナンブが地面に落ちる前に“りこりん”の蝶断丸は突きを放ち、縞緒は両手を地について竜巻のように脚を回転させた。“りこりん”の狙いは倉橋の心臓、縞緒は右手のトカレフを叩き落とさんとする。飛んで来る銃弾ならかわせるはずの倉橋も、この至近距離からの変則的な二重攻撃には守勢に回った。


 何とか二発を撃ち、大きく弧を描いてまず縞緒を狙おうとするが、“りこりん”の蝶断丸が立ちはだかる。一度刃にはじかれた弾丸は、体力の残り少ないマーニーに容易に叩き落とされた。


 何とかこの二人から距離を取り、マーニーを直接狙わねばならない。倉橋の体を支配するキルデールの意識は焦った。だから足下が留守になる。大きく飛んで後退しようとしたとき、何かにつまづいてしまった。


 いや、違う。つまづいたのではない。白いマルチーズが右足のかかとに噛み付いているのだ。まさかの四段構えの策だった。倉橋の体は仰向けに倒れて行く。振り下ろされる蝶断丸の先端と、縞緒のかかと落とし。


 だが倉橋はそれをかわした。左足一本で地面を蹴り、ほぼ水平に飛んでトカレフを天に向けた。まだ残弾は二発ある。替えマガジンこそもうないが、戦える、勝てる、敗北などするはずがない! 空に向かって引き金を一度引いた倉橋の胸に、釜鳴のパイソンから放たれた三八口径弾が二発命中した。


 キルデールは視認できただろうか、自分に猟銃を向けて構える勇作を。だが見えなくとも、曲線軌道を描いた一発の銃弾は直上からマーニーと勇作を狙う。これを防がんとマーニーが手のひらを天に突き上げたものの、もはやスタミナ切れ、僅かに軌道を歪められた銃弾が勇作の右腕を貫通した。


 それでも勇作の構えは動じない。急速に感覚が失われて行く右手の指が、猟銃ミロク8000の引き金を引き絞る。


 轟音と共に、倉橋の突き上げた右腕を肉片に変える散弾。その直前、空に向けて放たれた七・六二ミリトカレフ弾の最後の一発は、放物線を描いてどこか遠くへと飛び去って行った。




 娘の恵には凄惨な現場を見せないよう抱き締めながら、小丸久志は修練室の窓から外を見つめている。残念だが、いま自分にできることは何もない。ほんの少しばかり疎外感を覚えたものの、それでも生きて恵の体温を感じられる幸せを噛みしめていた。


 外は決着がついたようだ。イロイロ大変すぎる体験だったが、これで何とか恵と一緒に、無事に家に戻れるだろう。そう思っていた久志の顔が、ふと後ろを振り返る。誰かに呼ばれた気がしたのだ。もちろんここには自分たち以外、誰もいない。


 あまりにもとんでもない話に触れすぎて、少し当てられたのかも知れない。まあ久志のような一般人には刺激の強すぎる事件だったし、仕方ない。


 あれ、まただ。


「父さん、どうしたの」


 怪訝な顔で振り返る久志を、恵は不思議そうに見つめている。


「いや、ちょっとね」


 久志は恵を体から離し、部屋の隅へと歩いて行った。どうしても自分を呼ぶ声が聞こえる、気がする。そんなはずはないのだが。理性ではそう理解しているのに、呼びかけに逆らえない。声は黒いバックパックからしている。勇作の荷物だ。


 いかにこんな特殊な状況下だからといって、他人の荷物を勝手に漁るような真似はしたくない。したくないのだが、伸びる手を止めることができなかった。早く、早く、急がなければ。気持ちは焦り、久志は中も確認せずバックパックに勢いよく右手を突っ込んだ。


 痛っ。


 人差し指の先に走る痛み。しかし久志は顔を歪めながらも、その硬く鋭い物を静かに優しく手で包む。そして引き抜いてみれば、それは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る