第28話 光と闇

「で、とりあえず時間ができた訳だがよ」


 修練室でグロックのマガジンに弾丸を詰め込みながら、地豪勇作はマーニーにたずねる。


「こっからの段取りはどうするんだ」


「段取りもへったくれもあるか。アレをとにかくこの建物の中に誘い込むのだ。いかに弾丸を自由に操れるとは言え、入り組んだ屋内では簡単に行くまい。ここは部屋の戸は木製だが壁はコンクリートだ、ある程度は弾避けになろうし、こちら側に多少有利となる」


 胡座をかいた膝にロサンゼルス・エンゼルスの赤いキャップを乗せ、教会の冷蔵庫からでも持ち出したのか、メロンにかぶりつきながらマーニーは答えた。少し離れたところに立って会話を聞いていた“りこりん”は、いささか不満そうな表情。


「多少っていうのが気に入らないんですけどぉ」


 マーニーは苦笑するしかない。


「まあそう言うな。気持ちはわからんではないが、相手は不死身の怪物だ、取れる手立ては限られている。そうそう簡単に形勢を逆転するような奇策はないよ」


「でもぉ、こっちは人数いるのにぃ」


 “りこりん”がそこまで言いかけたとき、修練室の引き戸が音を立てて勢いよく開いた。入って来たのは縞緒有希恵。その迫力に思わず腰を浮かせた勇作を横目に、縞緒は一番奥の隅まで移動すると、両手足を広げて蜘蛛のように這いつくばる。そしてそのままの姿勢で移動しながら、畳を一枚一枚じっくりと観察して行った。


「お姉、様? 何をなさっているのですかぁ」


 “りこりん”の言葉に顔も向けず、縞緒は畳を舐めるように見回しつつ、唸るような低い声でつぶやく。


「灯台もと暗し」


「……は?」


「人間は愚かです。何の根拠も確信もなく、自分の足下には何もないと勝手に思い込んでしまう。ついつい幸せの青い鳥は、いま立っている場所とは違うところに存在しているに違いないと無意識に決めつけてしまう。何らの客観性もないというのに! 何て間抜けな! 誰かから秘密を隠したいと考えるのなら、それをどこに隠すのが一番安全なのか、冷静に考えればわかるものを!」


 動きが止まった。視線の先をよく見れば、畳の縁が少しへこんでいるようにも思える。そこに縞緒は指先を突っ込むと、一気に畳を持ち上げた。畳の下は板の間。だが、その真ん中に黒く四角い物が埋まっている。数字の刻まれたテンキーが、うっすら埃をかぶっていた。


「金庫、ですかぁ?」


 “りこりん”の声にうなずくと、縞緒はようやく微笑む。


「電子金庫。あの数字はロック解除のナンバーだったみたい」


 縞緒は3321とテンキーに打ち込み、ハンドルを回した。ガチャリと音を立てて、重い金属の扉が開く。




 もう深夜、日付はとっくに変わっている。だが眠れない。小丸恵はベッドから下り、窓を開けた。外からは虫の声と共に、夏の夜のムッとした空気が押し寄せてくる。


 恵のために祖父母宅に用意された寝室は、冷房も効いて心地良い室温。ただ連絡のない父が気に掛かっていた。心配が胸を塞いで息苦しい。何か情報はないかとスマホをのぞけば、宗教施設で立てこもりが起きているらしい。もしこれに父が巻き込まれていたら、とはさすがに思わない――久志は宗教など信じるタイプではないから――ものの、心細さがかき立てられ、不安が増して行く。


 五年。母が家を出て行き、父と二人で暮らし始めてから、ずっと親一人子一人で助け合って生きてきたそれだけの時間。もちろん祖父母にはしょっちゅう世話になっているし恵も大好きなのだが、子供心に遠慮がないとは言えない。やはり父と暮らす家が一番落ち着くのだ。


 自分の体さえ健康なら、父の仕事の都合があっても一人で留守番ができるのに。自分が健康なら、父がいろんな無理をする必要もないし、そもそも自分が健康な子供だったなら、母も家を出て行かなかったかも知れない。それを口にすると父が悲しそうな顔をするから言わないが、自分の存在が周囲を不幸にしていると、恵はずっと思っていた。夢であの子に会うまでは。


「あの子に会えたかな、父さん」


 そうつぶやいてベッドに座る。夢で出会ったあの子。名前も知らないあの子。いろんなことを教えてくれたあの子。


「人間は生まれながらにして光と闇の要素を併せ持っている。そして闇は攻撃的で侵略的だ。だから自分の中の光の要素を意識して強めないと、いずれ闇に飲み込まれることになる」


「私も?」


「そうだ。お主も光を意識せずただ何もしないで生きていれば、いつか必ず闇の従僕となり、この世の秩序を破壊する悪しき存在へと堕ちるだろう」


「怖い」


「怖れてはいけない。怖れもまた闇だからだ。この世のすべての人間には責任がある。宇宙の運命に対する責任がな。光を意識し、光に向かってひたすら進む。そういう生き方を選び、宇宙に光の力を満たすことこそが責任を果たす唯一の道だ。自分の内なる光を信じよ」


「私にも光はあるのかな」


「あるとも。すべての人間に闇があるのと同じく、すべての人間に光はある。内なる光を持たない者など誰一人いない。誰かを照らし、暖め、幸福にする光の力をみんなが持っている。お主にだって光の力は宿っているのだ。その光で世界を照らせ」


 そう言って微笑んだあの子の輝くような笑顔を思い浮かべると、恵の不安が少し紛れる。


「寝よっか。またあの子に会えるかも知れないし」


 恵は立ち上がり、窓を閉めようと手を伸ばした。その細い手首をつかむのは、闇から突然現われた男の大きな手。


「あの子供に会わせてやろう」


 窓の外で黄色いジャージの男は笑う。三階建ての一軒家の三階の窓。どうやってここまで、と思う間もなく恵は意識を失った。男の目が妖しく輝いている。




 午前二時を過ぎたというのにバリバリと大きな音を立てて、報道のヘリが上空を飛んでいる。地上ではテレビ局のスタッフが放送のリハーサルをしていた。銃社会ではない日本で拳銃立てこもり事件はかなりのニュースバリューがあるが、それでもいまどき報道特番を組むほどの値打ちはないようだ。定時のニュース番組で中継が入るのだろう。


「ご覧のように住宅街から離れた小さな宗教施設の前に、警官隊が集まっています。犯人の身元や動機、要求などは現時点では不明とのことで、交渉担当者が説得を続けている模様です」


 記者がカンペを読む声が聞こえる。身元や動機は不明ではないのだが、いまの段階でそれを公表する意味はない。それよりも、と鮫村課長はスマホを眺めた。


 先程パトカーから逃げようとした二台の黒いワンボックスに乗っていた男たちの供述によれば、地豪勇作は連中と同じグループの移民排斥運動家だったらしい。銃の入手先は知らないと話しているとのことだが、叩けばいくらかの埃は出るだろう。


 不幸中の幸いと言っていいのか、とにかく人質の中に小丸久志がいてくれたおかげで、情報は随時入ってくる。散場大黒奉賛会の銃と麻薬に関すると思われる帳簿が畳の下の金庫から見つかったことも伝わっていた。


 何より地豪勇作の、情報の発信に積極的な姿勢が警察としてはありがたい。もちろん、受け取った情報をすべてマスコミに流す訳ではない。おそらく世間は、ここ数日続いた拳銃発砲事件の犯人がここにいるという前提で、このニュースを見るはずだ。他にもう一人トカレフを持って逃走している犯人がいるなどと知れたら、パニックが起こる可能性だってある。故にマスコミへの発表は慎重にしなくてはならない。


 小丸久志の説明によれば、そもそも情報発信に積極的なのはトカレフの持ち主を招き寄せるための作戦の内であり、その作戦を立てたのは地豪勇作ではないらしい。ただし、では作戦を立てたのは誰なのかという問いには言葉を濁している。いまあの施設の中では特殊な人間関係が出来上がっているのだろう。


 拳銃を使っての立てこもりは言わずと知れた強行犯であるから、現場を仕切るのは捜査一課である。しかし一課とて鮫村の報告に目を通していないはずもない。今回の立てこもり犯がトカレフを所持していない可能性が高い以上、こちらに総力を振り向ける訳には行かないのだ。


 内部にいる小丸久志と連絡を取って地豪勇作と交渉する担当者も必要であるし、薬物銃器対策課はこれまでの経緯も事情も把握し理解している。共同戦線を張るのにこれ以上の相手はいないという判断から、鮫村は捜査一課長よりオブザーバーとしての現場指揮参加を求められた。


 降任処分が下されるにせよ、早くても朝になる。それまでは課長である訳だし、成り行き上承諾しないという選択肢はなかったのだが、帰宅したら胃薬を飲まねばならんのだろうな、という程度の覚悟が必要だったのも間違いない。


 とは言え、まだ迷いはある。トカレフのことだ。詳しい話はできなかったものの、トカレフが伝染病のように人から人へと渡って行く可能性を肯定するかの如き発言が、あのとき地豪勇作からあった。これは報告書には書いていない。二者択一で考えるなら書くべきだったのだろう。だが書いていたら、鮫村は判断力に問題ありと見られて、この件から外されたかも知れない。地豪勇作の言った通り、警察は幽霊退治ができるような組織ではないのだから。


 そんなことをつらつら考えていた鮫村のスマホに、小丸久志からショートメッセージが入った。


――トカレフがこちらに向かっています

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