第26話 赤く青く

 深夜零時を過ぎても、大きな大黒像が見下ろす「信心の間」での協議は難航していた。散場大黒奉賛会の基本方針は「来る者は拒まず」である。三人の支部教会の幹部のうち二人はそれを理由に、地豪勇作とマーニーを迎え入れるべきとの見解を示していた。他の一般信者もそれを肯定する。だが、土蔵部が首を縦に振らない。頑迷なまでに。


 入信者説明会で小丸久志と縞緒有希恵、釜鳴佐平の三人が残ったとき、土蔵部は満足だった。新人信者が三人増えたからではない。敵対勢力に通じている可能性の高い者が三人も見つかったためだ。


 各所に潜り込ませてあるスパイからの報告を総合すると、潜入してくるのは二人だと予想していたのだが、もう一人追加で見つけられたことは僥倖ぎょうこうと言えた。もちろん、あの説明を聞いて残る者が狂信者である可能性もゼロではないとは言え、そんな小さな可能性に重きを置くほど土蔵部自身は狂信者ではない。


 そもそも狂信者を選別するのに、突拍子もない話は必要あるまい。当たり前のことを当たり前に話しても食いついてくる者こそが本物の狂信者なのだから。そういった連中を漏らさず拾い上げることでカルト宗教は成立する。ならば本来、入信担当者に求められるのはビジネスライクな詐術であり、狂人めいたホラ話ではない。まして救済者としての使命感などでは決してない。


 なのに、それを理解しないまま年功や上層部の好み、あるいはコネクションで幹部となった者の多くが、愚かにも「来る者は拒まず」の方針を言葉通り文字通りに解釈してしまう。そして救済者として振る舞うことの快感に溺れるのである。助けてやったぞ、ありがたく思え、と。それで組織が維持できるはずなどないというのに。


 ただ、ホラ話で敵対勢力に通じている者が三人ピックアップできたのは良かったが、その始末を依頼した青空優遊舎がまさか失敗するとは思わなかった。四人目を外部から連れて来るのも想定外だったし、さらに二人が加われば、合計六人である。元より十三人しかいなかったこの支部教会に、六人も敵が入り込めばもう押さえ込むことはできない。迎え入れるなどもっての外だ。これを許せば、さらに仲間を連れて来る可能性だってあるのだから。


 言うまでもなく他の幹部連中も、銃や麻薬の密輸・密売が違法行為であることは理解している。だが連中はこうも考えているのだ。「間違っているのは世の中の方だ」と。すなわち自分たちのやっていることは、現時点では違法であっても「悪事」ではない。世のため人のための「善事」であり、ちゃんと説明すれば誰でも理解してくれるはずなのだ。したがって秘密を守るために新たな入信者を拒絶する理由にはならない。


 何と素朴で純真にして間抜けな共同体への幻想だろう。ここまで心酔されるのは教祖にとって都合が良いのかも知れないが、商売や組織の維持を考えれば致命的である。土蔵部は怒鳴りつけたい気持ちを必死で抑えていた。


 もっとも、これでは埒が明かないと考えていたのは他の二人も同様であったらしい。


「こうなっては仕方ありません、明日の朝にでも教祖様にご相談いたしましょう」


「そうですね、それが一番間違いがない」


 二人してうなずき合っている。土蔵部はエビス顔を曇らせ、思わず頭を抱えた。


「あのですね」


 腹の奥には乱暴な衝動が湧き立つが、それを外に見せてはならない。何のメリットもないからだ。自分を抑えて抑えて抑えながらこう続ける。


「少しはご自分たちの立場を考えられてはいかがですか。何でもかんでもご相談ご相談と、気の利かない子供ではないのですよ。我々が『ビジネス』の取りまとめを教祖様から任されていることに対する責任というものがあるでしょう」


 これに二人は口を尖らせて反論する。


「それはあなたが頑固だから」


「そうですよ、私たちだって別に」


 ダメだ。気の利かない子供そのものだ。先生に言いつけるぞ、以外の決め台詞も解決策も持ち合わせていないくせに、これまで私生活でも教団内部でも甘やかされてきたのだろう、無知なればこその意味不明な万能感を持っている。続いて出て来た言葉にそれが垣間見えた。


「そもそも私たちの行なっているのはビジネスではありません」


「迷える弱き人々を導くための神聖な『布教活動』でしょう」


 まったく、自己陶酔的に正義感に燃える無能ほどタチの悪いものはない。土蔵部のこめかみがピクピクと震え、堪忍袋の緒が切れそうになったとき。信心の間の引き戸がガラリと開き、信者の女が焦った顔を見せた。


「お話し中すみません、あの、大変なことが。すぐお越しください」


 いまでも十分過ぎるほどに大変なのに、これ以上何が起こったというのか。土蔵部は不機嫌を満面に浮かべて立ち上がった。




 玄関の両開きのガラス扉が金属バットで叩き割られ、夜の闇に破片が飛び散る。


「おらぁっ! 出て来いや地豪! いるのはわかってんだぞ!」


 怒鳴り声を上げるのは、顔面に大きなアザを浮かべた特攻服の男。スナック・カンカン場で地豪勇作に殴り倒され、グロック17を奪われた児島だった。背後の道路には黒いワンボックスが二台停まり、濃紺の街宣服の男たちが七、八人立っている。ただ剣呑な雰囲気ではあったものの、男たちに散場大黒奉賛会の支部教会へ乗り込もうという勢いはない。遠巻きに見つめる男たちと対照的に、いきり立っているのは児島一人だけに見えた。


「さっさと出て来ねえとぉ、火ぃ着けんぞテメぇ!」


 器物破損に脅迫でツーアウトというところか。ここから現住建造物への放火を実行すれば、執行猶予も付くまい。児島の人徳に惹かれて集まった訳でもないのだろう背後の男たちが、困惑した顔を見合わせたのも無理はない。


「勇作ちゃぁん、鉄砲持ってるんでしょぉ。逃げ回ってないで顔出せやクソが!」


 教会の壁をガンガン蹴り飛ばし怒り狂う児島の目の前で、暗い玄関に明かりが灯った。光の中から笑みを浮かべて近付いて来るのは、エビス顔の男。


「何事ですか、こんな夜更けに。穏やかではありませんね」


 その胸倉を児島がつかんだ。


「おいコラ、ここに地豪勇作がいるよな。隠しても無駄だぞ」


「はい、おられますよ」


「え」


 あまりにもアッサリと認めた返事に児島が動揺していると、エビス顔の男は小さな声でこう語りかける。


「廊下の左側、四枚目の戸を開けてみなさい」


「アンタ、かばわないのか」


「そんな筋合いはありませんからね。ただこちらにも体裁があります、無理矢理に押し入って連れ出してくれると助かるのですが」


 いったい何がどうなっているのか、コイツらの事情はわからない。だが何にせよ自分にとっては好都合だ。児島はニヤリと笑って小さくうなずく。


「左側三枚目だったな」


「四枚目です」


「了解、じゃあ心置きなくやらせてもらうぜ」


 そう言ってエビス顔の男を脇にどけ、一歩前に踏み出したとき。稲妻の速度で飛び出した白い塊が、児島の鼻に噛み付いた。


「いでででででっ!」


 慌てて振り回す両手の間をすり抜けた白いマルチーズのボタンは、児島の足下を三周駆け回ると、また稲妻の速度で教会の中へと戻って行く。入れ替わるように外に出てきたのは、児島も見慣れた坊主頭で迷彩柄のシャツを着た岩のような巨躯。


「よう児島さん。何してんだ、こんなとこで」


「て、てめえ地豪!」


 顔面に血を上らせた児島は鼻先から血を流しながら振り返り、背後の男たちに叫んだ。


「おいおまえら! コイツをぶっ殺せ! 何してんだよ早くしろコラ!」


 叫び倒す児島であったが、男たちの動きは緩慢だ。まず自分がやれよと言いたいのかも知れない。しかしそれでも動かし難い上下関係はあるのだろう、嫌そうな顔を浮かべながらも男たちは近付いてくる。一発の銃声がその足を停止させるまで。


 勇作の右手のグロックは、銃口を空に向けている。威嚇だ。


「このマガジンにはあと六発、弾が残ってる。つまりこのままなら六人死ぬ訳だ。アンタら、どうするよ」


 眼前の発砲に腰が抜けそうになっていた児島は、さっきまで赤かった顔を今度は真っ青にしながら勇作を指差す。


「ば、ばっ馬鹿かテメエ! そんなことしてみろ、死刑だ! 死刑だぞわかってんのかこの野郎!」


 その辺、あまり他人にとやかく言える立場ではないはずだが、おそらくは勇作に銃が撃てる訳などないと高をくくっていたのだろう。いとも簡単に引き金を引いた相手に対し、怒りよりも恐怖が勝っていた。他の男たちも同様で、明らかに「話が違う」という顔をしている。勇作は居並ぶ面々をざっと見回すと、静かな声で児島に告げた。


「俺、もう三人ってんだわ。どのみち死刑なんだよ、児島さん」


 絶望的な表情を浮かべ、震えながらへたり込む児島の遠く向こう側から、パトカーのサイレンが迫って来る。やっと来たなという風に勇作はため息をつくと、当惑する街宣服の男たちに声をかけた。


「児島さん連れて行け。すぐ警察が来るぞ」

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