唐沢卓郎(16)

 俺は決心して祐介の遺族を訪ねる事にした。祐介の遺影に手を合わせ、自分の罪悪感を少しでも軽くしたかったのだ。


 遺族は昔と変わらぬ場所に住んでいた。事前に電話をすると快く受けて貰えた。


 当日、祐介の自宅の小さなアパートを訪問すると母親が応対してくれた。


「本当にありがとうございます。祐介も喜びます」

「いえ、来るのが遅くなってすみません。最近同窓会で知ったもので」


 遺影に手を合わせた後、母親と世間話をした。


 祐介は母子家庭で母と妹との三人家族だった。優しい奴で、子供やお年寄りなど困った人を見かけると自分の事を置いてでも面倒を見るような一面があったらしい。


「施設に行く前日の晩に、久し振りに家族で食事をしたんです。そうしたら、祐介が『施設には俺と同じように苦しい思いをして堕ちてしまった人達が一杯いる。俺はその人達と一緒に、幸せになって長生きしてやるんだ。それがいじめていた奴らに俺達が出来る最後の抵抗だから』って言っていたんです」


 ここまで穏やかな表情で話していた母親の顔が悲しみに歪む。


「それを……それを祐介が、叶えられなかった事が悲しくて……」


 母親の言葉が俺に突き刺さる。


 いろいろな俺の知らない祐介の一面を聞く度に、愚図でのろまなだけだった祐介が温かみのある人間に思えてきた。そんな祐介を死ぬまで苦しめた、俺の罪悪感は軽くなるどころかますます重くなってくる。


「ただいまー」と少女の声が聞こえた。おそらく祐介の妹だろう。


「お母さん、お客さんが来ているの?」


 高校生位の少女が部屋に顔を出した。


「これ、ちゃんと挨拶しなさい。お兄ちゃんの同級生の唐沢さんよ」

「唐沢です」


 妹に挨拶して顔を上げると先程までの笑顔が消え、青ざめた少女の顔がそこにあった。


「おかあさん、何でこいつがいるの?」


 妹の声はかすかに震えていた。


「こいつお兄ちゃんを殺した奴だよ! お母さんも知ってるでしょ!」

「明菜やめなさい」

「あんた今頃何しに来たの? お兄ちゃんに許して貰えるとでも思ってるの?」


 そう言うと少女は奥の部屋に行き一冊のノートを持って戻ってきた。


「これを読んで見なさいよ!」


 少女は俺の前にノートを投げ付けた。俺は震える手でノートを開いた。


 俺は衝撃を受けた。ノートには最初から最後まで、俺の名と「死ね」や「殺す」など呪いの言葉の数々がびっしりと書かれていた。


「お兄ちゃんはね、私達にとって優しい大切な家族だったのよ。それをあんた達はまるで虫けらのように玩具にして殺したのよ!」


 少女の言葉に俺は言い訳すら出来なかった。


 ガタガタ震えながら、ひたすらすみません、すみませんと涙を流し、何度も何度も土下座した。それでも少女は俺を罵った。見かねた母親が俺に帰るように言ってくれた。俺はその言葉を助けに、逃げるようにしてアパートを後にした。


 祐介は当たり前だが一人の人間だった。殴られれば痛いし、嫌がらせをされれば悲しいし。普通に優しい家族がいて、もし俺がいじめなければ今頃は幸せに暮らしていたのだろう。俺はそんな一人の人間をまるで邪魔なゴミのように扱い、人生を破壊し殺してしまった。



「後悔した俺は祐介の願いの通り、この施設の人々が幸せで長生き出来るように手助けしたいと、今の仕事に就いた。だが何人救ったとしても俺の罪が消える訳じゃない。俺は幸せになってはいけない人間なんだ」


 卓郎は椅子に座り淡々と過去を話した。感情を露わにする事はなかったが、唯一その目からは一筋の涙が流れ落ちた。


 美紀も泣いていた。美紀はベッドから降りると卓郎に近づき頭を包むように抱きしめた。


「もう自分を責めないでください。あなたは十分に償っています……」


 卓郎は立ち上がると美紀と向き合い抱きしめた。


「ありがとう。俺はお前の事が好きだ……」


 そう言うと、卓郎は美紀を抱きしめる腕に力を込めた。


「……でも幸せにしてあげる事は出来ない」


 そう言うと抱きしめた手を放し、卓郎は部屋を出て行った。美紀は卓郎を追いかける事が出来なかった。卓郎が玄関から出て行く音がすると、美紀はまた泣き崩れた。



 翌朝。美紀が目を覚ますともう昼過ぎで、完全に遅刻の時間だった。慌てて林課長に電話すると、大木の件で警察から連絡があって、所内は混乱しているらしい。なので休んでも良いとの事だったが、美紀は出勤しますと返事をした。昨日気まずい別れ方した卓郎の事が気になったのだ。


 事務所に入ると、さっそく美紀は林課長に事情を聞かれた。課長も気を使ってか、細かい事を聞くと言うより、警察から聞いた事に間違いがないかの確認だった。


 一通り話が終わった後、一枚の紙を見せられた。


「これは大木君が配った物だと思うかね」


 卓郎の過去に関する文書だった。昨日卓郎本人から聞いた話より、大分悪意を持って書かれているが、事実と言える内容だった。


「そうだと思います」


 一通り説明が終わり、美紀は解放されパソコン部屋に向かった。


 部屋にはすでに卓郎が来ていてパソコンに向かっていた。


「……おはようございます……」


 美紀は反応を伺うように小声で挨拶した。


「おう、おはよう!」


 美紀とは違い卓郎はいつもと変わらず明るく挨拶を返した。


 そのいつもと変わらない卓郎が美紀には嬉しくもあり寂しくもあった。これからも以前と変わらない関係でいようと気を使ってくれる事は嬉しいが、昨日抱きしめて好きだと言ってくれた事が無かったかのようで寂しかった。


 卓郎は今までと変わらない事を選んだ。それは卓郎が幸せになる気がないと言う事だ。自分への気持ちはどうあれ、それだけは考え直して貰いたいと、美紀は思った。卓郎は過去に拘らず幸せになるべきだと考えていたから。


「今日は寝坊か? ずいぶん遅かったな」

「す、すみません。寝坊です」

「なーんてな。俺も今日は遅刻だ。しかもさっきまで所長からの事情聴取があったから、今パソコンの電源入れたばかりなんだ」

「そうだったんですか……」


 卓郎も遅刻したと聞いて美紀は少し安心した。卓郎にとっても昨日の事は平然としていられる事ではなかったのだ。


「うっ……」


 パソコンを見ていた卓郎が小さく声を出した。


「どうかしたんですか?」


 美紀の問い掛けに、卓郎は反応しない。卓郎はしばらく無言で画面を見ていたかと思うと、急に立ち上がり急いで部屋を飛び出した。かなり焦っているようだった。

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