唐沢卓郎(14)

 三階建てハイツの二階にある自宅に帰った美紀は、熱いコーヒーを淹れイライラした気分を落ち着かせようとしていた。


 美紀はあんな馬鹿な話に引っ掛かって大木と食事に行った事を後悔した。本当に卓郎の事が知りたいのなら直接本人に聞けばいい。本当に腹立たしいのは拒絶が怖くて本人に聞けない自分自身なのだ。


 お湯が沸いたのでフィルターに粉を入れコーヒーを淹れる。熱いコーヒーが好きなのでマグカップは保温機能付きを使っている。


 美紀はコーヒーを一口飲むと考えた。


 唐沢さんは私の事などただの同僚としか思っていないのかなあ……。


 その時ピンポーンとドアチャイムが鳴った。


 まだ八時だし回覧板かと思い、ドアスコープを覗いた。


「!」


 大木だ! なぜ? 私の住所を教えた事は無い筈。総務のパソコンに不正アクセスして調べたのか。


 何度か単発でドアチャイムを鳴らした後、ピンポンピンポンピンポンと連続で催促してきた。


 美紀は音を立てないようにゆっくりと奥に後ずさる。


 ガチャガチャとドアノブが乱暴に回されドンドンとドアを叩く音もしだした。


 怖い。


 美紀は大木の非常識な行動に恐怖した。テーブルまで辿り着くと置いてあったスマホを震える手で取り、卓郎に電話を掛ける。


 呼び出し音が二、三度鳴った後、電話が繋がった。


「はい、藤本か? 珍しいなどうした?」


 温かみのある卓郎の声を聞き美紀は泣き出しそうになった。


「家に……家に大木さんが来て……ドアをドンドン鳴らして怖いんです……。助けて……」

「分かった、すぐ行く! 鍵を閉めて待っててくれ」


 美紀の尋常じゃない様子を察し、卓郎もすばやく行動に移してくれた。


 電話を終え、気が付くとドアを叩く音もチャイムも消えていた。


 鍵も閉まっているし、諦めてくれたのだろうか……。


「鍵……」


 そう言えばドアはちゃんと閉めているけどベランダはどうだったか? 二階だからと油断して鍵を掛け忘れている時がある。今日は掛けてなかったかも……。


 そう思うとベランダのあるリビングから冷気を伴った空気が流れてくる気がする。


 電気の消えたリビングのカーテンがかすかに揺れているように見える……。


 怖いけどもし閉め忘れているなら今の内に閉めないと……。


 美紀は恐怖で固まった体を懸命に動かし、リビングに入って行った。


 リビングに入り少しずつベランダに近づいて行く。


「おい、聞いてくれよ」

「きゃあ!」


 暗がりから急に声を掛けられて美紀は悲鳴を上げた。大木が壁の影に潜んでいたのだ。


「頼む、話を聞いてくれ。ちゃんと聞けばお前だって唐沢が悪人だって分かるから」

「いや……こないで……出て行って!」


 大木は刺激しないようにゆっくりと近づくが、同じ距離だけ美紀もゆっくり後ずさりする。


「ほら、これを読んでくれ。明日になれば皆にも知れ渡るんだから。唐沢も恥ずかしくていられなくなるさ」


 一枚のA四の紙を手に近づいてくる大木の笑顔が気持ち悪い。卓郎が悪人以前に、自分の行動が常軌を逸し、受け付けて貰えない事に気が付いていないようだ。


 後ずさりする美紀の腰にテーブルがあたる。


「さあ」


 距離が縮まり大木が手を伸ばしてくる。


「いや!」


 美紀がテーブルの上にあったマグカップを大木に投げ付けた。


「あつっ!」


 中身の熱いコーヒーを顔にかぶり大木が怯んだ。その隙に美紀は玄関から外に逃げ出した。



 外に飛び出した美紀は、とにかく少しでも遠くに逃げようと走り出した。


 警察に電話しようと考えたが、スマホを家に忘れてきていた。


 逃げたい一心で闇雲に走っていたので、美紀は息が切れてくる。


 もう大分離れたのだろうか?


 美紀は荒い息を整えながら、改めて周りを見渡す。


 こ、ここは……。


 美紀の立っている場所は農地の一本道だった。向かっている先はまだまだ農地が続く。来た道を百メートル程戻らないと民家は無かった。


 恥も外聞も無く途中の民家に逃げ込めば良かったと後悔したがもう遅い。危険だが引き返して途中の民家に助けを求めるしかない。


 美紀は決心し、民家に向かい歩き出す。


 元々人の少ない田舎の道はこの時間になると歩いている人など見当たらない。美紀は大木が隠れていないか注意しながら引き返す。


 住宅地の入り口までたどり着いた。一番近い民家まであと僅かだ。


 安心して気が緩んだその時、美紀は後ろから抱きつかれ口を塞がれた。大木が電柱の影に姿を隠していたのだ。


「手間取らせやがって。騒ぐと痛い目にあわすぞ。分かったか」


 耳元で大木が呟く。美紀は恐怖で頷くしかなかった。


 大木は肩を組むように腕を回し、美紀の首をロックした。その状態で引きずるように歩き出し、美紀の住むハイツの裏の小さな公園に連れ込んだ。


 どうして大木はこの辺の場所に詳しいのだろうか?


 迷う事なく最初から決めていた目的地のように誘導する大木を、美紀は気味悪く感じた。


 良くここに来ているのか?


 そう言えば以前から郵便物が荒らされたりしたのも……。


 もしかしたら風で飛んだと思っていた下着も……。


 改めて考えると思い当たる事もある。


 連れてこられた公園は、夜ともなると人が来る事は殆ど無い。大木はその事も知っているのだろう。ここから美紀の自宅のベランダが良く見えた。


 美紀は周りからは死角になる芝生の上に押し倒され、大木がかぶさるように抱きついてきた。


「やめてください……お願いします……」


 美紀は涙をぼろぼろ流して頼んだが、大木は尚更嬉しそうに笑っている。


「いつもここでお前を抱く想像していたんだよ」


 猫なで声に鳥肌が立った。


 大木は美紀の着ているカーディガンを乱暴に剥ぎ取る。ブラウスのボタンも引きちぎられ、ブラジャーのみの胸が露わになった。


「唐沢さん助けて……」


 静かな公園にバチンと音が響いた。美紀が頬にビンタを喰らった音だった。


「あいつの名前を呼ぶな!」


 涙を流し、愛する人に助けを求める美紀に大木が切れたのだ。


 先程までとは違い、大木は顔を真っ赤にして怒っている。大木の手が美紀の胸に伸びてきた。

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