唐沢卓郎(2)

「……以上のようにリサーチ班で調査した結果、約九十パーセントの入所者が健康に不安を持っており、改善策が必要と感じます。レポートに添付している、狭いスペースで出来る健康法のサイトをまとめた用紙を入所者に配布するよう提案します」


 卓郎が会議室の壇上で、レポートを手に大勢の正規職員の前で報告している。今日は月一で開かれる、各部署の定例報告会の日だ。所内で働く人間は約五百名だが、殆どは給食や配膳係等のパートタイマーで、正規職員は五十名弱程しか在籍していない。


 卓郎はシステム管理課内にあるリサーチ班二名を代表し報告している。



「提案通りますかね?」


 会議室を出ると同じリサーチ班の藤本美紀(ふじもとみき)が卓郎に尋ねた。


 性別を分けた方が幅広いサンプルを得られると言う理由から、リサーチ班の二名は男女別に決まっている。たった二名で、約一万人規模の入居者の動向を探る事なんて、土台無理な話だ。結局リサーチ班は、常に入所者の生活改善を図っていると言う、外に向けたポーズだけで存在しているのだ。


 美紀は卓郎の五つ年下で二十四歳独身。美人ではないが愛嬌のある可愛いタイプの女性だ。いつも笑顔を絶やさない明るい彼女の性格は、仮想世界のキャラクターにも反映されていて、友達登録も多くリサーチ班は適任だった。


「まあコピーして配るだけだからな。大丈夫だと思いたいな」

「でも、いつも予算がーとかでボツになりますからね。本当に施設を良くしたい気持ちが有るのか疑っちゃいますよ」


 美紀は少し怒ったように口を尖らせて言った。


 上層部には施設を良くしたい気持ちなど無いのだろう。元々コストカットが目的の施設なので、余計な事はせず坦々と定年を待つだけの人間ばかりだ。


「あー、ゲームで遊んでばかりの部署は楽で良いよな」


 突然卓郎達の後ろで大きな声がした。卓郎は姿を見なくても声の主が分かっていた。システム係の大木だ。


 卓郎と美紀は振り返り声の方を見る。やはり大木だった。


「遊んでいる奴らが好き勝手言いやがるから、こっちの仕事が増えて大変だぜ」


 今回リサーチ班は「真実の世界」についてのシステム改善案を三件提案している。その変更をするのは大木の仕事だ。ただ、システム変更と言っても大木本人がやる訳ではなく、外注のソフト屋に依頼するだけなのだが、それさえも嫌がり、予算の不足を理由に握り潰される事も多かった。


「ちょっと、大木さん! いくらなんでも……」

「おい、止めておけよ」


 卓郎は大木に喰い付こうとする美紀を制した。


 大木は言って聞く奴じゃない。まともに相手にしても喜ぶだけ、無視が一番だ。

美紀は不満そうだったが、大人しく卓郎に従い、また歩き出した。


「今度新しい所長が来るんでしょ? ああ言う不真面目な人を懲らしめる人だったら良いのに」


 間も無く現所長は定年退職を迎え、新たな所長が着任する事になっていた。


 卓郎は多くの意欲の薄い職員達を見て、新所長にも期待はしていなかった。どうせ、定年までの腰掛けで来るのだろうと。だが、美紀には本心を言わなかった。美紀は一生懸命真っ直ぐに、ここを良くしたいとがんばっているのだ。その気持ちに水を差したくはなかったからだ。



 どうやら敦也に恋人が出来たようだ。


 最近の敦也の行動を見て、卓郎はそう感じた。


 初対面以来、敦也は卓郎を慕って、行く所行く所付いて来ていたのだが、最近めっきり回数が減っていた。前に和人が勧めたイベント広場で出会いが有り、敦也はその女性と頻繁に会っているようだった。


 恋人の存在に気付いた卓郎は、データーベースを立ち上げ、敦也のページを開いた。生田里香と言う、友達登録の中でただ一人の女性のリンクを開いた。


 里香は本当に女性だった。心配したネカマではなかったが、里香と言う名前は本名ではなく仮名だった。


 仮名を使う事自体は、仮想空間では珍しい事でもない。人に言えない傷を持つ本名を使いたくない住人は多いからだ。


 本名は中島千尋。国立大中退後、風俗関係を転々とし自己破産で施設に入所している。


「真面目な女の子が大学デビューして、転落人生か……」


 とても交際を勧められる女性とは言えなかったが、敦也とて長期の引きこもりで褒められた経歴ではない。二人がお互いの傷を癒し合える仲になれば、それが理想的なのかも知れない。元々傷を持つ人間ばかりの施設なのだから。


 直接会って見たかったが、敦也の紹介前に会う訳にはいかず、卓郎はしばらく様子を見ることした。



 いよいよ、新しい所長が着任する日となった。美紀は期待感からか、朝からそわそわしている。午前中所員が会議室に集められ、着任式が行われる。


「えー、この度所長として着任する事となった岸部です」


 挨拶の冒頭、岸部は喜怒哀楽を全く顔に出さず、淡々と自己紹介を続けている。第一印象と呼べる程の情報もなく、卓郎は取っ付き難さを感じた。


 特に変わった事もなく、お決まりの言葉を並べた挨拶が終盤に掛かった頃、岸部は最後にと付け加えて話の締めに入った。


「えーここは全国四ヶ所ある施設の内で一番退所率が低いですね……」


 ここで初めて岸部は笑顔を見せた。会議場中にふーと、少し緊張が緩和する空気が流れる。皆重苦しさを感じていたのだ。


「退所率が低い。すなわち入所者の皆さんが長生きしているって事ですね。死なない限りは出られない訳ですから」


 そこまで話すと「そこの人」と岸部は前の方に座っていた、食品課の水木課長を指差した。


「は、はい!」


 水木は周りをキョロキョロと見回し、指差されたのが自分だと気が付いて立ち上がった。


「あなたは食品課の水木課長ですね。あなたの課の、入所者が長生きする為の取り組みを教えてください」


 水木はこの時とばかり、胸を張ったに違いない。水木は数少ない良識派で、常日頃から入居者の体を考えたメニューを推進していたからだ。


「私どもはですね。日頃から入所者の健康を考えたメニューを作っており、減塩低カロリーはもちろんの事、安全安心な食材を求めて私自ら生産者と交渉しております!」


 水木の熱弁を岸部は満足そうな笑みを浮かべて聞いている。


「なるほど、良く分かります」


 岸部は笑みを浮かべたままの顔で頷いた。


「じゃあ次、そこのあなた。システム課の林課長ですね」

「は、はい!」


 指差された林は慌てて立ち上がった。


 日頃は入所者の事など気にしたことの無い林は、焦ってしどろもどろな発言を続けていた。


 これは良い傾向かもしれない。岸部が入所者の生活改善に積極的なら、俺達の意見が通り易くなる。


 卓郎は思った以上に期待出来るかも知れないと喜んだ。


 一通り課長連中の発言が終わると、岸部は全員を見回した。


「何考えてるんだ、お前ら」


 一瞬で会議室の空気が凍り付いた。


 岸部の顔には、先ほどまであった笑顔が消え、無表情に戻っている。


 卓郎は岸部の突然の変化に戸惑い、同意を求めるように横を見ると、驚いた表情でこちらを見る美紀と目が合った。

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