内田善吉(4)

『初めまして。内田善吉です』


 善吉は女性の前に座り挨拶した。だが相手からは返事が無い。


 何か怒らすような事をしたかと不安になったが、挨拶以外はしていない。善吉はどうしたものかと立ち尽くした。


『あ、すみません。もしかして私に話し掛けられましたか?』


 しばらくして、女性は善吉に気付いた。


『初めまして。内田善吉です。座ってもよろしいですか?』

『はい、どうぞ。初めまして、私は山田頼子(やまだよりこ)です』


 善吉が改めて名乗ると、女性は山田頼子と名乗った。


 山下洋子と山田頼子、名前がプロフィールと違う。卓郎が間違えたのだろうか。

善吉はどうした物かと考えた。


『すみません。小説を読んでいたので気付くのが遅くなりました』

『いえいえ、全然構いませんよ。それよりここで小説を読んでいるのですか?』


 服装からして、お見合いにしては様子がおかしいと感じたが、善吉は取り敢えず会話を続ける事にした。


『ええ、ネット小説ですけど。こうやって公園とか気持ちの良い場所で読むのが好きだったんです。でも今は外に出られないので、気分だけでも公園でと思い、ここに座って読んでいるんです』


 笑顔でそう話す頼子には、施設に対する悲観は感じられず、今のありのままを楽しんでいるように感じる。それは頼子の姿がとても自然で、窮屈さを感じさせないからだと善吉は思った。


『山田さんはこの施設の生活を楽しんでいるのですね』

『楽しんでいる? それはどうなのでしょうか……』

『私にはそう見えます』

『私は待っているだけですから』

『待っている?』


 こんな所で何を待つのだろうかと、善吉は興味を覚えた。


『善吉さん!』


 続きを聞こうとしたその時、善吉を呼ぶ声が聞こえた。


 声の主は卓郎だった。


『善吉さん、場所が違います。もう次の人がずっと待ちぼうけですよ』

『ええっ、そうなのか』


 どうやら善吉は、テーブルの場所を間違えたようだ。


『何か間違いがあったのですか?』

『すみません。人違いだったみたいです』

『そうなんですか』


 すぐに行かないと待っている人に申し訳ないが……。


 そう思いつつも、善吉は後ろ髪を引かれる思いだった。


 もう少しだけでも話を続けたい。彼女はいったいこんな所で何を待っているのだろうか。


『人違いですが、あなたと話せて楽しかった』


 話を続けたかったが、卓郎や見合いの相手に迷惑がかかると思い、善吉は腰を上げた。


『私も久しぶりに人と話せて楽しかったですよ』


 社交辞令かも知れないが、頼子も楽しいと言ってくれた事が善吉は嬉しかった。


『善吉さん行きましょう』


 卓郎が焦ったように催促する。


『それじゃあ。さようなら』

『さようなら』


 挨拶をして頼子と別れた。だが善吉は頼子の事がどうしても頭から離れなかった。



 予定のテーブルに戻りお見合いを続けたが、善吉の心に響く女性はいなかった。


 全てのお見合いが終わり、交際希望の相手を指名する時がきた。だが、善吉は白紙で卓郎にメールを送信した。心から交際したいと思える女性がいないのに、無理に記入するのは失礼だと思ったからだ。


 メールを送り終わると善吉はログアウトしてパソコンを閉じた。さすがに疲れを感じる。


「よっと」


 クッション代わりに丸めていた布団を伸ばし横になった。誰もいない狭い部屋の中央で仰向けになり天井を眺めていると、もう何十年も慣れ親しんだ孤独がやってくる。


 自分は何を期待していたのだろうと善吉は思う。繁と一緒にナンパに行き、卓郎に勧められてお見合いパーティーに参加した。それぞれ他人に流された感があるとは言え、期待があったのは確かだった。


「じいさんが何を考えているんだか……」


 何十年も一人で生きてきて、どうせ孤独死するくらいなら少しでも迷惑がかからないようにと思い、ここに入所したのに……。今更お前は孤独を埋める相手が欲しいのか?


 善吉は自分自身に問いかけた。


「山田頼子と言ったか……」


 善吉は頼子の姿を思い浮かべた。彼女にはこの施設に入所している人にはない雰囲気があった。


 ここの多くの人間は過去に傷を負い、それ故にこんな場所に入居する破目に陥っている。恨みを持つ者や人生を諦めている者、外での生活が悲惨すぎたのか、逆に期待を持っている者もいる。だが彼女にはそれが感じられなかった。


 俺は彼女に期待しているのか? この孤独を埋める存在として。本人を直で見た訳じゃなく、擬人キャラだけでそこまで思い込むとは俺ももうろくしたか……。


 疲れの所為か、善吉は考え事をしているうちに、いつの間にか眠りについてしまった。



 翌日、「真実の世界」にログインすると繁と卓郎からメールが届いていた。


 繁からはお見合いの結果報告で、上手くカップル成立したとの事。相手は大阪出身の葛西康代だった。好感の持てる相手で良かったと善吉は思う。繁が釣りに来る回数も減るかと思うと少しの寂しさを感じたが、善吉は祝福のメールを返信した。


 卓郎からはお見合いに何か不備や不満があったのかと心配したメールだった。善吉に悪気はなかったのだが、希望の相手を白紙でメールした事で卓郎が気を使ったのだ。善吉はお見合いの運営に問題なく、間違いで迷惑を掛けた事や白紙の件も返信で謝った。


「さて釣りにでも行くか」


 いつもの通り釣りに行く。今日は誰も知り合いは来なかった。時間になれば飯を食い、一人静かな日常だ。


 気の迷いだったのだ。ナンパや見合いに期待したのも、頼子に関心を持ったのも。これで良い。もうずっと前に覚悟しただろ? 静かに、孤独に死んでいくと。そう時間は掛からない、もうすぐだ、待つのは苦じゃない。


 善吉はハッとした。


『待つのは苦じゃない……』


 竿の穂先を見つめながら善吉は昨日聞いた頼子の言葉を思い出していた。


 待っている。頼子はそう言っていた。ここで待つ物とは何なんだ?


 ……まさか……。


 釣りに集中出来なくなり、善吉はログアウトした。


 ログアウトしてもする事も無く、パソコンでテレビを見たり夕食を食べたりだらだら過ごした。だが、何をしていても、頭の片隅には頼子の待っている物が何なのかが気になっていた。

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