第一章9「秘密裏の契約」
今でも、あの日の夜の事を忘れられない。
初めて見た炎の色は、赤黒く、それは轟々と燃え続け家を倒壊させていく。
あの日、全てが燃え尽きた。
あの時、全てが音を立てて変わった。
母親らしき残骸と、父親と思しき灰を見据えて、私はただ身を縮こまらせて震える事しか出来なかった。目の前には血だらけの幼いメイド姿の少女が、短剣を手にして目の前の黒い影と戦っていた。
「グリアさまっ! どうかお逃げ下さい!」
「だ、ダメに決まってるじゃない! 貴方はどうするの!」
「申し訳ありませんが、今の私はこの男を前に、グリアさまをお守り出来るかどうか分かりません。せめて、この命と引き換えにでも、ご主人の仇は討たせてもらいます!」
紫の少女が木片の残骸を踏みしめ、目の前の男に突っ込む。
だが、その男は右手に炎を灯らせると、彼女の長い髪を掴んだ。
私が育てろと言っていた、長く美しい髪。その髪がぼぅっとオレンジ色に染まった。
「……申し訳ありません! グリアさま!」
少女は刹那、私の方に視線を過らせると、その手に持っていた短剣で髪を強引に切った。
「だああぁぁっ――!」
そのまま少女は、絶叫にも近い声を上げながら、その短剣を男の脇腹に刺した。
僅かに痛苦の声を漏らし、蹲る。だがしかし、男から伸びた左腕が少女の首元を掴んだ。
少女の足が地面から離れる。
「ぐ、ううっ……!」
「も、もう止めて――っ!」
私は半狂乱になりながら、その男に叫ぶ。
しかし、男はぶつぶつと何かを口にして、次の瞬間。
「クソガキが」
炎を灯らせた右拳が、彼女の脇腹を貫いた。
少女の、その華奢な体躯がゆっくりと私の頭上を通り過ぎて、直ぐ傍でぐしゃっと倒れた。今まで見た事も無い程の血が彼女から溢れて。
「グリア……さま」
少女は薄っすらと瞼を開けると、今まで通り私を心配させまいと、私に向かって言った。
「直ぐ、行きますので。先にお逃げ下さい」
紡がれた言葉はそれだけ。
彼女の体は、まるで糸が切れた人形の様に、がくんと倒れた。
「いやあああああぁぁぁぁぁ…………っっ!!」
==
「――ッッは! はぁ、はぁ、はぁ……はぁ」
意識が切り替わる。やれ、執務中に寝てしまうとは、少しだけ気が緩んでしまったか。お陰で嫌な夢を見てしまった。
私は机上にある複数の紙類に目を通しながら、その紙に書かれている内容に一喜一憂していると、
「失礼します。今夜分のお薬を持ってきました」
二回ノックして入ってきたのは、ミネだった。
彼女は私の傍に白湯と、薬包紙を二つ置く。
もうそんな時間か。就寝前に飲むようのものだが……これは、暗にもう寝ろとの事か。
精神安定の効果がある薬を飲み終えながら、私は傍に控える彼女に一つ質問した。
「彼——アサガミ君は、君から見てどう思う?」
「……正直な所、まだ分かりません。彼がグリア様に害をなす者か否か。ですが実際、彼をこちらに引き入れた事で、厄介な敵が増えてしまいました。ユキはともかくとして、あの得体の知れない者をご自身の近くに置かれるのは、あまり得策とは思えません」
まあ……確かにそれはそうだ。
彼の素性は未だ分からずにいる。以前それで、痛い目にあった事がある。
ミネはその事を言っているのだろう。
「……あの者に、果たしてそこまでの価値があるかどうか――見たところ多少は動けるようですが、それならもっと他に良い人材が――」
私はうむと白湯を飲み干すと、彼女の腹部に指を這わせる。
「……大丈夫だ。私も、もう二度とあの様な体験はしたくない。それに、アサガミ・ユウ君が来ることは――既に『本』に記述されている。彼の到来を以て、遂に――計画が動き始める」
ここまで来るのに、実に十数年あまり経過してしまった。
最初は、怒り狂ったままに描いていた復讐の計画。だが名声を得ると同時に可能になってしまった。そう、あの時の――炎を前にして震える、か弱い少女はもういない。
「……あの者の、何を見たのですか?」
「正確に言うなら、少し違うようだけれど。……ふふ、やはり記述に間違いはなかった」
『三日後の夜。灰夜の森にて、運命に縛られし黒髪の少年と会え、さすればお前の望みは叶うだろう』
その記述が出たと言われて、どれだけ心を滾らかせたのだろう。
その為だけに、たった一文の記述の為に。
わざわざ重大な会議を欠席してまで、あの森に入ったのだ。
そう全ては――あの、一人の少年に出会う為に。
黒髪では無い、もう一人の少年に――。
==
あの時の事を、たった一昨日の事が、まるで先ほど起こったように感じる。
「あれは……アサガミ君?」
喧騒の中、私は明後日の方向に、二人の人影を発見する。
黒髪に、変な服を着ている少年と、白銀髪の少女――アサガミ君と、ユキ君か。
そうか、彼が助けに入ったのか……無謀だが、しかしその勇気は敬意に表する。
「……ッ!」
その時、私は彼の背後に複数人の白装束の奴らが追いかけているのが見えた。
奴らは手練れだ。こちらが負ける事は無いものの、簡単に捌けるという事でもない。
今の彼らに、奴らに対抗する術は持ち合わせていない。ユキ君は魔法が使えるが、それも初級のみだ。基本的に初級魔法は殺傷能力が低い魔法だ。それに今の彼女に人を傷つける事は出来ないだろう。
このままではいずれ追い付かれる。それは、アサガミ君にも分かっていたらしく、後ろを振り返らず、必死に走っていた。
戦うか…? 見たところ、かなりの強者だ。上級魔法使いか、上級剣士レベルだろうか。それほどの者が、組織にはいるのか。
……叩くなら奇襲か。
「あまり使いたくはないが……必要経費だな」
そう言って、装填準備に取り掛かる最中に、矢みたいな物が彼の足首を貫いた。
マズい……今の攻撃で、明らかにアサガミ君のスピードが下がった。
その隙に一人の剣を持った奴が現れて、一振り。
それを躱した。だが、それが最後の力だったのだろう、ガクリと倒れるアサガミ君に、ユキが手を引っ張っている光景に、私は既に駆け出していた。
だがその前に、後方に下がっていた一人の白装束の男が火球をアサガミ君達に投げ出した。確実に――アサガミ君を殺そうとしているのが分かる。
「アサガミ君っ!」
マズい、ここで彼を失っては私の悲願が――!
その時、ドクンと心臓の音が辺りを木霊した。
それと共に、アサガミ君の体が、大きく脈打つ様に動いた。
瞬間、アサガミ君が彼の直ぐ傍にいた白装束の男の頭を掴み取り、無造作に近くの木に投げ倒した。ズンという音がして、大木の幹が割れる音がする。
ガクリと男は動かなかった。
「アサガミ君……?」
私は今しがた起こった現象に、困惑していた。
黒髪から白髪に変わったこともそうだが。何よりも、あの温厚そうな少年が、たった数分であの覇気が出せるものだろうか。
覚醒……と言うよりも、別人の雰囲気だ。
「──ッ!」
異変を察知したのか、音も出さずに追手が現れた。
追手の一人が剣を、後方の二人が魔法を唱えた。
アサガミ君は一瞬、私の方へと向き、ニヤリと笑った。
「
斬られる直前、手を前にかざして、アサガミ君は言った。その直後、掌から家一軒分並みの大きさの水弾が放たれた。
水弾は、剣が当たる前に一人を貫き、後方の魔法使い諸共貫き、止まることなく森の木々を押し流した。
「あ……」
私は、もし『水弾』だと言われなかったら上級魔法である『
初級魔法である『
魔法の強さは、確かに術者によって様々だが、ここまでの大きさで、なおかつ止まることもない威力と考えると、王級か、あるいは龍級か、もしくはそれ以上だ。
しかし、押し流された仲間を見ても、次の刺客が彼の元へと刃を振るおうとする。
彼はそれらを一瞥しながら、まず、迫る短剣を皮一枚で避け、向かった腕を掴み躊躇なく折り曲げた。
ボキィと折れ曲がる腕と、生々しい音。
それを行う速度と手際の良さ……あまりにも手馴れている。
アサガミ君は、誰かを傷つけるという事は難しいと思ったのだが……。
「いや、まさか……アサガミ君ではなく、彼なのか……?」
しかし、それでも――彼らは突撃する。
彼はローブを被った奴が持っていた短剣をはぎ取ると、それを投擲し、迫る敵の頭部に直撃させた。白いローブからは赤いシミが浮き出て、振るわれるはずだった剣が地に落ちた。
続いて、目にも鮮やかな炎弾が三発、草原を焼き払いながら迫る。
しかし—―それらも彼の表情は変わらなかった。
右腕を三回、振るった。
それだけで、炎弾は打ち消された。
驚愕が隠しきれてないのか、「嘘だろ……」と誰かが呟いた。
「な、何だありゃ!?」
リゲルとリーシアが近くに来て、彼の様子に目を丸くさせた。
「アサガミ君……なの?」
「――いや、違うな」
その言葉は、直ぐ近くで聞こえた。知覚と同時に、瞬間、私たちの目の前にソイツが現れる。こうして近くで見て分かる――周りの全てを崩壊させるような、禍々しい破滅的なオーラが、彼から溢れ出しているのを。
「『眠れ』」
「――あ」
私の前に立ち塞いだリゲル達が、その声を聞いた途端、地面に倒れた。
いや、彼らだけじゃない……その言葉を聞いた、全ての人間が、同じように倒れ始めたのだ。
「……ッッ、っっっ!!」
奴の言葉は毒だ。耳から侵入して、心を侵す劇毒だ。
私は自分の手に火を当てて、襲い掛かる眠気を耐える。
「ほう、俺の言霊に耐えるとはな……先ほど、この時代の魔法使いと剣士は弱いなと思っていたのだが、お前なら興ざめはしない」
「貴様は……っ! 一体誰なんだ!?」
白髪の少年は、その緋色の瞳を私にぶつけてくる。
間違いない……彼は、私より数段上のランクにいる。
私もそれなりの実力者だと自負している。
だが彼は……それよりも強い。今、分かった。相対して分かった。
十年前の光景が頭を過る。
あの戦時中に偶然相対した、一人の『八強序列』に――彼とは、同じ気配を感じる。
身の毛もよだつ様な、決して戦ってはいけない相手——。
「さあ、誰なんだろうな……俺すらも、記憶が怪しい。ひとまずは『ゼロン』。そう名乗っておこう」
「アサガミ君をどこにやった!?」
「アサガミ・ユウは今眠っている。いわば俺は――第二の人格と言った方が良いな。アイツは俺との『入れ替わり』の前に、言ったんだ。俺たちを助けろと」
ゼロンと、白髪の少年は自らをそう名乗った。
ゼロン……?
「冗談はやめろ。その名前は、誰かが酔狂に言っていいものでは無い」
いや、まさかな……それは、ありえない。
「まぁ、どうでも良い。……クソ、頭が痛い。これ以上の浸食はアイツの身体を壊す事になるな……」
ゼロンは私の方をじろりと睨む。
今すぐにでも逃げ出したい。
だけど、それはダメだ。私は――私の目的の為に。
「……フッ、良い目だ。その身に宿らせるのは復讐か?」
「お前の、力を借りたい……取引と行こうじゃないか」
「取引……?」
「あぁ、そうだ。私がアサガミ君達を保護する。勿論最低限一人で生きていける力は付けさせる。その代わり、私の目的の為に、お前の力が借りたい」
その言葉に、ゼロンはめんどくさそうな顔をする。
やはり……ゼロンは強いが、恐らく、アサガミ君の身体を借りなければ表に出てこれないのだろう。近しいものに、精霊の『憑依』がある。その場合、憑依者が死ぬと自分も死んでしまうのだが……彼にとっても、アサガミ君の死は痛いだろう。
迷う時間など無かった。ただ一言、ゼロンは私に訊く。
「復讐か?」
「……何故、言わなければならない」
「俺にとって重要だからだ。もう一度言う――お前の目的は、復讐か?」
ゼロンの言葉には、有無を言わせない程の力があった。
それほど、彼にとって大きいものなのだろうか。
私は一つ、深い呼吸をすると彼に意志表明するかの様に言った。
「あぁ、そうだ」
==
青い月光が優しく窓辺を照らしていく。
たった一人の執務室で、私は皮のレザーチェアの背もたれに背中を預けながら、微睡の視界の中、右手の甲にある黒い紋章に視線を向かわせる。
――俺の力が必要になった際は、魔力を通して念じろ。直ぐに駆け付ける。
「……ようやく『灯火』が活動できる。国が隠し続けた真実も、いずれ必ず私たちが暴き出す」
黒色のクリスタルの紋章、これが契約の証。
私は今日、悲願を手に入れた。
そして必ず見つけ出す、私たちの幸せを奪った、あの男——。
「待ってろよ『八強序列』第七位——レオニダス・ダット」
燃える様な、紅蓮の瞳を滾らせて、私はそう決意するかの様に呟いた。
虫の声が、静かに、蒼夜の月灯りを木霊した。
第一章完。二章へ続く。
【あとがき】
これにて第一章終わりです。
改めまして、この物語は去年の2022年に投稿した同作のリメイクverです。
以前の作品を読んだ人なら分かると思いますが、前作と比べて変更点が大きいです。一番大きな点は、ユウとユキの出会いでしょうか。実はもっと遅かったりします()
あと、グリアの復讐相手。リメイク前は100話近く続いていましたが一向に言及する機会が無かった(というか見失った)ので、ここで正体を明かしておきます。
この話を読んで『意味が分からない』と思う方、多分結構いると思います。
簡単に言うと、
・グリアはユウの登場を知っていた(異世界転移の事は知らない)
・ユウの存在がグリアの復讐を達成できる鍵となる。
・ゼロンはユウの安全を条件とグリアの復讐に興味を持って契約を交わした。
・ユウは、その事に対して薄々理解している(復讐だというのは知らないが)。
が、ユキや今後の為、今は追及しない事にしている(グリア達への恩もあるので)
第二章はいよいよ冒険者となったユウのお話です。
伏線だらけの全く新しい異世界転移ストーリー、開幕です。
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