第7話 シロ、独白する

「ふみゅぅ」


 茜は気持ちよさそうに、何の警戒もなく寝ている。汝の方が猫かと言いたくなるくらいの自由さだ。


 わらわは実の母と共に過ごしていた幼少期以降、ほとんどをただの猫として生きてきた。その方がずっと楽だったし、そうでなければ人に疎まれる存在だと言うことは身に染みてわかっていた。

 この島国に来る前は異端として追われることばかりだった。この島は比較的生きやすかった。吸血鬼と言う存在が知られていなかったし、当時は多少のぼろをだしても害のない化け猫として振る舞えば見逃してくれる者も少なくなかった。

 それでも三度、わらわは人に正体を明かしたことがあった。


 一人目は幼い少女であった。この国に来て最初のわらわの飼い主で、いつも優しくしてくれた。病で亡くなりそうだったから、助けてと呻いていたから、ほんの少しの善意でそうした。


 黒髪が美しく、あどけない中にも知性の見える利口な子であった。わらわはその子が好きだった。外を歩いても猫は基本的に可愛がられていて、住み心地のいい国だと感じていた。

 その中でもその子は優しくて、裕福な生活に見合ったゆったりとした時間の過ごし方をしていて、同じ時間を過ごすのは心地よかった。


 その子と過ごすうちに言葉を覚えたし、文字も読めるようになった。その子はわらわにとって、この国の象徴のような、柔らかで穏やかな日々そのものだった。

 だから当たり前のように助けた。きっとこの子なら、吸血鬼のわらわも受け入れてくれるだろうと、それまでの迫害の日々をもってしても信じてしまった。


 だけどその少女は吸血鬼であることが受け入れられず、二日後に自ら太陽の下に出て苦しんで死んだ。わらわを罵倒したり、誰かに言いつけたり、敵対行動をとることすらなかった。

 ただお日様の下に出れなくなって自分の身を嘆き、ひたすらに泣きわめき、その身を投げ出した。


 二人目は武士の男だった。少女のことがあってから特定の人物に肩入れすることを避け、わらわは人々の家を渡り歩いていた。深入りしても人と吸血鬼の違いに傷つくだけだと思って、距離を置いていた。

 名前も知らない、たまにわらわの面倒を見ていたうちの一人で、たまたま辻斬りにあってしまった男は最強の武士になりたいと、道半ばで死ねないと呻いていた。


 夜道でたまたま遭遇した偶然があった。執念のような厳しい目つきが、強い精神性を感じさせた。だから眷属にして生かした。少女と違い強いから、自殺などしないだろうと思ったからだ。だがそれもまた失敗だった。

 男は武士として妖を許さぬ存在であり、わらわを殺して自分も死ぬと追いかけまわした。もちろん逃げた。力を与えた眷属であるので、わらわより純粋な力も弱く、吸血鬼の力を使えるわけでもないのに、やたら執念深く数年かかった。最終的に男そのものが妖として討伐された。


 それからわらわはもう二度と、眷属にして人を助けることはやめようと決めた。それから長い時間が流れた。文明が流れていき、人の生活も様変わりしていった。

 しかしこの国の人間の猫好きだけは変わらず、わらわは平穏な猫生活を送っていった。日々が豊かになるほどに、わらわの生活も楽になった。


 だけど大きな戦争があった。わらわを世話するうちの一つである家に爆弾が落ちた。

 未亡人の女が一人、下半身を吹き飛ばされ死にかけていた。その女はうわごとのように助けて助けてと呻いていた。だからわらわは尋ねた。助けてほしいかと。頷いた女を眷属にした。


 女は死ななかったし、わらわを疎まなかった。しかし畏れた。わらわを神のように敬い、まさにお猫様として扱いながら、容姿が変わった為叔母だと偽り自身の子を育てた。

 気を使わせるならわらわはいなくなった方がいい気もしたが、ここまで来たら仕方ないのでその行く末を見守った。ただの猫以上の振る舞いはけしてしなかったが、あれきり人の言葉も話さないわらわを女はただの一度もただの猫として扱わなかった。

 そして子が成長し、大人になり、所帯を持ったことを確認して、わらわに礼を言ってから自殺した。


 この女は、何も間違ってはいないのだろう。今までの二人に比べて、本人に確認しただけあって敵意や悪意もなく、純粋に感謝もしてくれた。なんなら恩を受けた人間として正しい対応だったのかもしれない。

 だけどわらわが情を持っていたのは、ただ純粋にわらわを可愛がり時々ご飯をくれた猫好きの女であった。

 それは少し悲しかった。だからやっぱり、眷属なんてつくるものじゃないと思った。


 わらわのような特別な生き物は、安易に猫以外の存在になるべきではない。人はわらわに恐怖するのだから。


 それから転々としたり、短期間だが家に住み着いたりした。穏やかに暮らす老夫婦の家は気楽で楽しかった。平和なこの国をわらわは堪能していた。人の死が身近であったころに散々血を吸っていたので十分に力もため込んでいる。だから焦って血を吸わなくても、数百年以上生きられるだろう。なんならこのまま、大樹が枯れていくように人生を終えてもいいかもしれない。

 そんな風に思っていた。


 茜のことは、別に特別になんて思ってなかった。しつこいくらいに付きまとってくる女がいるのは認識していたし、悪い気はしなかった。猫としての生活に馴染んだわらわに、猫として可愛がられることは心地よいことだった。

 あまり深入りしたくはなかったが、しつこくて、それでいてあくまで猫として可愛がり、猫として尊重してくれた茜は、猫として懐くには悪くない存在だった。


 助けたのは本当に、ただ自分がきっかけだったから、申し訳ない気がしただけだ。それで結果自死を選んだとしても、それはあくまで自分の意志だ。わらわのせいで死んだのでなければいい。そのくらいの、罪悪感での仕方なしだ。


「あの、シロ。さっきは信じずに適当に言ってごめん。それで助けてくれて本当にありがとう。シロのお蔭で生きてるんだよね? 助かったよ」


 だと言うのに、茜はまるで当然の様にそう笑顔でお礼を言った。なんら気負うところなく、一切の恐れのない、前日までと変わらない笑顔だった。

 何かがおかしい、とは思った。それでもわらわは心を許すまいと思っていた。いくら表面を取り繕ったって、人間は異形を恐れる。

 どうせ自分の体の変化を実感するたびに、それを厭い、嫌になり、わらわを恨むだろう。


 じゃが、茜はそうはならなかった。猫の姿のわらわを変わらず可愛がり、かと言って完全に猫扱いするではなく、人として食事をして、まるで対等の同種にするように遊んで笑ってくれた。

 見た目も変わっただけではなく、人が当然できていたことができなくなり、力も変わった。それを実感したはずなのに、平気で笑っている。新しいことをはじめ、楽しそうにしている。


 どうしてそんなことができるのだろうか。わらわには理解できない。


 だけどもう、名前も覚えてしまった。覚えていても、呼ばないようにしていたのに。忘れるようにしていたのに。

 もう、心の中で茜と呼んでしまっている。抱きしめられるぬくもりを、当たり前に傍にいて触れ合おうとする愛情を、快く感じてしまっている。


「……本当に、信じてよいのか?」


 茜は眠ったまま、返事はない。ただわらわの声に何か笑い、わらわを抱きしめた。


 距離が近い。わらわがその気になれば、簡単に殺すことだってできるのに。血を吸って、どうにだってできるのに。

 そんなことを考えたこともないのだろう。実際、人を殺す気にはならないし、生き血を吸うこともしてこなかった。だけどだからと言って、あまりに吸血鬼生活に馴染みすぎだろう。


「んふー」


 茜の体温がじんわりとしみ込んでくる。温かくて、心地いい。ずっと、こんな風にしてもらえたらいいのに。

 猫の時は抱きしめてもらうのは珍しいことでもなかった。今では猫の姿の方が落ち着くくらいだ。

 だけどいざ、吸血鬼であることを理解された状態で、全て受け入れられた状態で、こうして生まれた時と同じ自然な人型の姿で抱きしめられると、とても安心して、落ち着く。


 このまま、茜の好意を本当に信じて、心を開いて、身をゆだねていいのだろうか。

 本心ではそうしたいと思っている。それを自覚している。それでも、恐ろしい。


 もし、そうしてしまってから、茜がわらわを拒絶したなら。わらわはきっと、今までの拒絶よりもっと苦しくて、悲しくて、辛くなってしまうだろう。

 わらわはもう、傷つきたくない。ゆるく、平和に、のんびりと生きていきたい。心が惑わされないように、痛くないように。


「にゃあ」


 猫に体を変える。もっと、人として愛されたいなんて、そんな吸血鬼のわらわが願うには分不相応な感情がわいてしまうのを防ぐように。

 ただの猫として、期待せず、波のない生を送れるように。


 軽くなったわらわを茜はさらに抱き寄せて、頬をすりよせた。

 そのやさしさに、十分だと自分に言い聞かせながら、わらわは目を閉じる。


 茜の吐息も、その指先も、身じろぎも、何もかもなれない。誰かと触れ合いながら一緒に眠りにつくなんて、違和感すら覚える。


 それでも、不思議なくらい不快感はない。ゆっくりと夢に落ちていった。

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