24話 影の魔女と追放された姫

 やっとこの日が来た。

 鬼の角が手に入った。


 魔女エデギアは、夜の闇を、どこまでも駆け抜けた。影が続く限り、千里でも進むことができる。疲れはない。

 影を遮る月の光は嫌いだった。

 太陽が昇っているうちは、別の女として振る舞った。同じ痛みを知る王家の娘、ティナとして。


 今日という日を、どれだけ待ち望んだことか。

 三〇〇年前のあの日、あの呪われた町で、自らの身体は影だけを残し消え去った。許されざる恋をした罰だった。エン族の男と過ごした甘い日々の思い出は、とうに色褪せている。いまはただ、無機質な記録だけが瞼の裏に残る。感情が動くこともない。


 二人の禁断の愛は実を結ばなかった。それどころか、王族である姫は王の怒りをかって、町ごと葬り去られてしまった。その呪いは、いまでも町で繰り返されている。幼かった頃に北の国で拾った火熊グリズリーの赤ん坊は、すっかり成長し、姫を探し求めて町をさ迷う。取り戻せない日常を、いつまでも夢見て。


 影となった姫は、一族への復讐を誓った。

 魔女エデギアは、あれから三百年も国に争いを生み出し続けている。


「これで、やっと国を興せるのね」


 ティナが耳元で囁いた。


「そうだ」


 影がほくそ笑む。


「ティナ、あなたはよくやったわ。王族の血を引きながらも、新たな国を興すことを選んだ」

「それしか道がなかったの。でも、エデギア。あなたに出会えて私は本当に幸せよ」


 優しい言葉をかけられて、影は口をつぐんだ。

 気の毒に思えた。

 この娘が幼かった頃、二人は鏡の中で出会った。人目を避けるように育てられた姫は、いつも孤独に映った。四番目の娘は、王宮でも歓迎されなかったからだ。周囲からの冷たい視線に常に晒されていた。孤独な姫と魔女の女はすぐに打ち解けた。同じオーツ王の血を引く娘として、三〇〇年を隔てたとしても、どことなく似ているものを感じた。こうしてエデギアは巧くティナの心に取り入った。


 ティナが国を追われたのは、それから八年の歳月が経ってからだ。愛する母に呼ばれ、遠方の町へ赴いた際、道中で傭兵団に命を狙われた。頭領の名はアッシュ。アッシュは相手の娘が王族の姫であることを知ると、命を奪うことを止めて、国を興すことを決断した。その後、英雄ギレイを名乗るよう助言したのは、エデギアに他ならない。エン族をまとめるために都合が良かったからだ。


「これでエン族だけの、アッシュの国が生まれる。どんなに嬉しいことか」


 ティナが喜びの声を上げた。


「王族を滅ぼせ。この恨みを晴らすときだ」


 エデギアが自らの憎しみを吐露する。

 だがティナはそれを否定した。


「いいえ。エデギア。恨みを晴らしても、その先にあるのは、また大きな恨みの連鎖だけ。終わりのない争いが始まるだけなの」

「お前はいつもそれだ。どうして、一族が憎くないのか?」

「憎んだ時もあったわ。でもいまはアッシュたちと一緒にいて楽しいの」

「憎しみをどこに隠した」

「いいえ。憎しみは消えたの。アッシュと共に歩んだ道が、こうやって実りを迎える。だから争いをしなくて済むように、国を作りましょう。鬼族の角と魔人の石が生み出す強大な力は、決して使ってはダメ。それは国同士が友好を結ぶための象徴でしかないの。人々はそれを十分に学んだはずよ」

「お前は良い女王になれるな。私とは大違いだ」

「それは違うわ。エデギア、あなたの力がなければ、これは成し遂げられなかったことよ。思い悩んだとき、あなたがそばに居てくれたから、気持ちを保つことが出来たの。誰も信じられなくなった時、あなたが私を励ましてくれた」

「そんな覚えはない」

「いいえ。あなたは、本当は優しい魔女。深い恨みもいつかきっと晴れる日がくるわ。だから一緒に新しい国で、争いを忘れて暮らしましょう。平和を作るの」


 影は答えない。

 代わりにティナの背後の宵闇の中で大きく膨らんで、その姿でティナを覆い隠した。

 視界を奪われたティナがつぶやく。


「エデギア、眼が見えないわ」

「私はもはや光に生きることは出来ない。この憎しみは、決して消えることはない。王族を滅ぼすんだ」

「嫌よエデギア、どうして。お願い止めて」


 ティナの声は、もはや耳に届かない。


「ああ、エデギア。私たちの過ごした日々を思い出して。光へと変えて。憎しみを、断ち切って……」


 エデギアの闇がティナの身体の中へと溶け込んでゆく。その考えも、その理想も、その夢も、思い出も、全てを蝕んでゆく。


 全ては復讐のため。

 オーツの一族を、根絶やしにするため――。


「使者よ。話を聞かせてもらおうか」


 その言葉でティナは顔を上げた。

 自らの正面には王座があり、王が堂々たる威厳を持ってそこに座していた。

 ティナの、実の父親だった。

 周辺には王の一族と貴族らが群がっている。血筋を同じくする者も、かつての古い友人の母も、従兄弟とその娘息子らも、この事態を聞きつけて部屋に集まって来ていた。


 イール共和国の王都、イアッカ中心部。王の間。

 ティナは使者として、イール王への謁見を許された。かつて命を狙われた故郷にこのような形で戻ってきたことに、王とそれを取り巻く貴族たちも尋常ではない危機感を持っていたに違いない。歓迎されていないことだけは各々の見せた態度を見て、はっきりと分かった。


 正面に座す王の両隣には口利きをする参謀と鎧に身を包んだ兵隊長が控えている。参謀の老体が目尻に皺を寄せて、険しい口調になって言った。


「ティナ・リェンシェン。貴様はいまエン族とともに反乱に加わり、そして使者としてここへやって来た」

「はい」

「北西にある地域を我らが領土からむしり取り、都合の良い独立の話を持ってきた」

「そうです」

「それが素直に受け入れられると、考えているのか?」

「民はこの国からの独立を望んでいます。私たちは、その言葉に従うに過ぎない」

「愚かな。三方、山に囲われているとはいえ、西には皇胤わんいん、東にはアルカナハトという大国がある。国がいま二分されるようなことがあれば、大国が黙っておらんぞ。このイール共和国は歴史を重んじ、代々常に一つの国として栄えた。一つだからこそやってこれたのだ。貴様にもオーツの血が混じっているのであれば、己のしていることが、いかに愚かな行為であるかが分かるはずだ」

「オーツの一族は西で滅びました」


 ティナの発言で周囲がざわついた。


「いまこの地を治めているのは、戦禍に乗じ、どこの血族か分からない者共が興した紛いものの国ではありませんか」

「貴様!」


 控えていた兵隊長が剣を抜いた。


「王を侮辱する気か」


 剣を持ちティナの元へと進み出る。


「待て」


 王の一声で兵隊長が動きをぴたりと止めた。

 柔らかい物言いで、王が言った。


「ティナよ。我らを恨むか。この血が憎いか」

「当然です。この血のせいで国を追われました。どれだけこの血を呪ったことか」

「許して欲しいとは言わない。国を治めるとは、そういうことなのだ。誰かの恨みを買ってでも、果たさねばならない使命がある。だがそれが間違ったとは思っていない」


 ティナは幼い頃に遊んだ実の父の、老いた顔をじっと見つめた。頬の肉はたるみ、額には苦労したことが伺える皺がいくつもあった。髪の色もオーツ家の綺麗なブロンドから、色が抜け落ちすっかり白髪まみれになっていた。寵愛を受けた日々でさえ、すべてが追放のための演技でしかなかったのだろうか。

 ティナが返した。


「王よ。あなたはこの国を知っていますか。どれだけの民が飢えに苦しみ、どれだけの民族が、理不尽な仕打ちを受けているかを。王都に居ては見えてこないでしょう」

「国の現状は私がすべて見ておる」


 隣の参謀が、急くように反論した。


「食料の確保と、他国からの侵略。流行病の調査から、天災の予測。そして魔女の取り締まり。国家運営においてやるべきことは余りに多い。王自らすべての町で起こった物事を自らの眼でみることなど出来ん。王は都に座してこそ王なのだ。陳述が許されただけでも特別なことだと思え」


 ティナはその言葉に返事をしなかった。

 参謀をただじっと見つめる。古来より王に仕える一族ではなかった。少なくとも、ティナはその男を城で見た記憶がない。

 長い年月、多くの人間を見てきたティナには、そいつが処世術に長け、相手の心に取り入るのが巧みな男であることが、容易に分かった。話をする時のとがった口元、横に長い唇は多くの知識を誰かに説き聞かせてきた証だ。鷹のような細い眼差しと眉間に寄った縦皺からは博識であることが物語られる。しかし寄りすぎた両の眼と、突き出した長い顎をしている男は、理性とは裏腹に支配欲にまみれ、己の偏見と臆病を自覚していない危険な面相をしていた。


 参謀である老体に促され、ティナは口を開いた。


「私はここへ交渉をしに来たわけではありません」

「では、なにをしに?」

「選択を迫りに来ました」


 そう言って、ティナは胸元に隠していた角を見せた。

 穴が空けられ、麻の紐が通されている。ティナの前でその角が振り子のように揺れた。


 周囲の貴族らがざわつく。


「鬼の娘を捕らえました。この意味が分かりますね」


 兵隊長がすぐさま反応した。


「陛下、この女を捕らえましょう。そうすれば」

「バカを言うな。鬼の角は二つある」


 参謀の言葉で、誰もが察した。

 ここでティナを捕らえたところで、もう一つの角が手に入らない。それは相手への宣戦布告と受け止められ、王都に危険が及ぶ。エン族らは、いつでも王都を滅ぼすことが出来る手はずを整えて使者を使わしたのだ。


「みな落ち着け。悪質な脅しだ」


 参謀が重い口調で続けた。


「鬼の娘を捕らえたと言ったな。無事なのか」

「それが気になりますか?」


 鬼の角を持つ子は、同じく鬼の角を持つ母親から生まれる。鬼族の男がたとえヒトや他の種族と交わったとしても、鬼の角を持つ子は生まれない。娘の生死が、長い時間を経たあとに、どれだけの差を生み出すことになるかを、目の前の老体は当然に知っている様子だった。


「なにを恐れている」


 兵隊長が声を上げた。


「角を手に入れたくらいで、まだ対となる石が見つかったとは限らない。はったりだ!」


 ティナが微笑んだ。

 そして、懐からなにかを取り出して、被せてある布をまくり上げた。


 暗黒に満ちた石だった。

 ティナがそれをゆっくりと近づけてゆく。


「待て。待て、止めろ」


 兵隊長が制止する。

 ティナはその声を無視して、なおも距離を詰めた。

 指先があと三本入るくらいの距離にまで、近づいた。


「うわあぁぁっ!」


 二本にまで差し迫ったところで、兵隊長が叫んで逃げ出した。

 老体が驚いて腰を抜かす。


「本物だ。そんな」


 周囲で話を聞いていた貴族らも、次々に背を向け、慌てて駆け出す。


 王の間は騒然となった。

 男たちが真っ先に走り出し、女子供は取り残され転倒した。それを構わず踏みつけて、我先にと、人々が王の間の入り口を目指した。


 醜い。これが国なのか。

 すべて消し飛んでしまえ。


「待て。待つんだ!」


 王が仰け反りながら言った。


「ティナ。国を認める。北東の地域は、おまえたちが治めればいい」 

「なにをおっしゃる。陛下!」


 老体が横やりを入れた。


「冷静になるのです。脅しに乗っては行けない。不合理極まりありません。あの娘を捕まえるのです」

「やめんか!」


 王が腰を抜かしている老体の身体を持ち上げて、怒りをぶつけた。


「貴様は女を知らんのか。どうやって捕まえる。あの両手のものが触れる前に、どうやって捉える? 脅しだと? 違う。あの娘は我らに恨みを持っている。故にこの場に使者としてやって来た。我々と共に死ぬか、我らが独立を認めるか、選択はそれしかない」


 王が老体を投げ飛ばして、ティナに優しい声をかけた。


「ティナよ。我が愛しい娘よ。すまなかった。不憫を強いてしまった。おまえのことを忘れたことなど、一度もない。本当だ。信じて欲しい。実の父としておまえを捨てたいなど思ったことはない。しかし、私はこの国を治める王だ。王としてこの国を守る義務がある」


 王が振り仰いだ。

 王座の後方に、王と同じ背丈ほどの立鏡たちかがみが置かれている。その縁は真鍮で囲われており、中には鉛がずっしりと詰まっている。男手二人で持ち上げねば持ち上がらないほど、重い鏡だった。


「この鏡は一族の繁栄も衰退もすべて見通してきた。この鏡の力あればこそ、我ら一族は王族たりえたのだ。ティナ、おまえが大人になったら、この国に大いなる悲劇が生まれることも鏡は予見していた」

「だから私を殺そうとしたのでしょう」

「いいや違う」


 王が首を振って否定する。


「あれは私の指図ではない。私は父として、この国の王として、思い煩っていた。おまえが余りに愛おしかったからだ。私が生涯もっとも愛を注いだ女、エリザの娘だ。おまえの兄も姉も、幼くして病気で命を落とした。それ故に私はおまえだけは、生き残って欲しかった」

「嘘ばかり」


 ティナが言った。


「あなたは王としての責務を何よりも重んじていた。一人の娘のために、この国を危険に晒そうなんて白々しい嘘は止めて」


 王が前に歩み寄ってくる。


「嘘じゃない。私は決めていたのだ。せめておまえが大人になるその時までは、立派に父として育てたいと。その日がくれば、おまえに正しく事情を話し聞かせたいと。それまではこの城に居て欲しいと願っていた。この期に及んで嘘は吐かん」

「では誰が私の命を狙ったの?」


 ティナは、自らの命が脅かされたあの日のことを思い返していた。母に会いに行く道中、傭兵団に急襲されたあの霧の濃い雨の日のこと。奇しくもそれがアッシュとの運命の出会いとなる。


 ティナが王の顔を見据えた。

 その表情からは、嘘が読み解けない。父は本当のことを話している様子だった。

 アッシュは誰の依頼で自らの命を狙ったのか、その名を頑なに明かそうとしなかった。依頼主の名誉を守るためだと話していたが、本当はティナの気持ちを汲んで伏せている様子だった。


 ティナは、目の前にいる王が仕向けたものだと信じ込んだ。

 王がしばらくの沈黙の後、重たい口を開いた。


「おまえに刺客を差し向けたのは、今は亡き、おまえの母だ」

「そんな嘘よ。母は私が襲われて、悲しみのあまり命を投げたと聞いたわ」

「違う。エリザはおまえを殺して、そして自らも死ぬことを選んだ。それが真実だ」

「どうして」

「あいつは私のためにそうした。私の重責をなくすため、この国のために命を捧げたのだ。分かって欲しい」

「嘘よ。私が邪魔なら生まなければ良かったの。分かっていたはずじゃない。四番目の子が災いをもたらすことは。鏡が予見していた。なぜ生を授けたの」

「私が欲したのだ」


 王が言った。


「エリザとの子は病気でみなすぐに死んだ。私はエリザとの子を残したかった。それが国にとって不都合だとしても」


 ティナは鼓動が早くなるのを感じた。

 両手に持った鬼の角と魔人の石が、小刻みに震えた。


 あと少しで一族を滅ぼすことができる。それは悲願だ。王都を焼き尽くし、オーツの血を絶やす。その中には、自らが操っているティナも含まれていた。

 誰一人、許しはしない。


 エデギアの恨みは強い意志となって、ここまで物事を進めてきたはずだ。あとわずかな距離を近づければ、この王都は灼熱の光に包まれる。先ほど逃げていった者共も、いまさら助かりはしない。


 魔女エデギアに実体はない。

 三百年前のあの日、あの町で、自らの身体は火熊グリズリーに飲み込まれた。そして鬼の石が巻き起こした熱風の中で、塵となり、影だけが残される呪いを受けた。

 永遠に影としてさ迷う魔女となったのだ。

 己の目的は唯一、自らを死に追いやり、愛すべき男を葬り去った憎き王家の血を絶やすこと。それだけのはずだ。しかし、魔女エデギアの中で迷いが生じていた。一筋の涙が頬を伝うのが分かった。それはエデギアの意志ではない。


 ティナのものだった。


 喜びに似た感情がエデギアの中に流れ込んでくる。

 目の前の王がもし冷徹な男であれば、迷いは生じなかった。己の地位のため、王という権威のために娘を犠牲にする人の心を捨てた悪魔だったのなら、手元の石と鬼の角は容易に触れさせていた。しかし、目の前の王は人の心を失ってはいなかった。


 エデギアは自らの復讐の筋書きが大きく狂っていることに苛立った。これは、国を追われた王族の姫が、王を討ち滅ぼすための物語なのだ。それこそが、自らの成し得る最大の復讐劇に他ならない。


 その筋書きは三〇〇年前から始まった。

 長い年月をかけ、王家の一族の信用を得た。ティナは自らが鏡に踊らされた姫だとは知らない。エデギアは鏡の中に影として潜み、王族にあらゆる指示を与えた。衰退も繁栄も思いのままだった。しかし王家を滅ぼすことはしなかった。簡単に滅ぼそうなどとは思っていなかった。姫を孤独な立場に追いやったのもエデギアの仕業だった。その姫と行動を共にして、新しい国を作る手助けをしたのもエデギアの仕業だった。そしてこの日、この瞬間に、復讐を果たす筋書きさえもエデギアの仕業だった。自らの歩んだ人生を、ティナに背負わせ、最後にオーツ一族の血を、この鬼の角で根絶やしにする。それが魔女エデギアの最大の復讐だったのだ。だが意に反して、ティナは自らの人生を悔いてはいなかった。希望に満ち、母の真実を知った今でさえ、喜びの涙を流している。父の疑いが晴れたことを喜んでいるのだ。


 エデギアは唇を噛み締めた。ティナという自らの人形が、自らと違う意志で動き出していたことが気にくわなかった。

 なぜだ。憎しみをどこに隠した。ティナ。おまえと私で、なにが違うと言うのだ。

 エデギアの叫びに、ティナからの返答はない。


 目の前に王が立っていた。

 王の皺くちゃの両手が、自らの元へと優しく伸びる。角を持つエデギアの右手に、王の指先が触れ、エデギアは恐れおののいた。


「さわるな!」


 エデギアの影が足元から広がり、王の背中に回り込む。そして影は王の身体を容易くたやすく持ち上げた。


「オーツ王!」


 参謀の男が叫んだ。


「おまえは、人ではないのか。いや飲まれたか。この魔女め!」

「構わない」


 王が老体を呼び止める。

 続けてティナに向かって、優しい声で言った。


「すべては王である私の責任だ。おまえを生かし、おまえに不憫を強いたのは、私の私情だ。我が娘ティナよ。いや影の魔女よ。私の命と引き替えで構わない。この国の民を、救ってもらえないだろうか。その角は使ってはならない。憎しみは連鎖となって終わりがない。どこかで断ち切らねば、この大地からあらゆる種族が滅びてしまう。おまえの目にした悲しみも、救えなかった町の民も、小さな不幸も、私がすべての責任を負って、この死で償おう。おまえの憎しみがいつか潰える日を祈らせてくれ」


 エデギアの影が、宙に浮いている王の首を強く締め上げた。

 首の骨が折れ曲がり、王の首は捻じ切れて、どんという鈍い音と共に床に転がった。

 エデギアは頭から生ぬるい血を浴びて、次第に、怒りが静まっていく感覚を覚えた。


 残った者たちはみな部屋から出て行った。ただ一人、老いた参謀の男が王座に寄りかかり、こちらをおぞましそうに見ていた。


「お願いだ。命だけは助けてくれ」


 エデギアは王の身体を投げ捨てて、小さくつぶやいた。


「北東の地域に手を出すな。誓えるか」

「分かった。約束する。独立は認める。だからお願いだ。もう十分だろう」


 冷静さを取り戻したエデギアは、音もなく足元の影に沈んでゆく。影の底はあまりに深い闇で満たされていた。


「もし私たちに危害を加えたら、おまえもこうなる。忘れるな」


 それだけ言い残して、エデギアは影に消えた。

 あれだけ憎かった一族の王を殺しても、残ったのは苦い鉄の味だけだった。

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