貴方だから

 物語が、文章が、文字が書けない。

 完全に私の小説家としての道は、途絶とだえた。

 最後に本を出したのは、何時いつだっただろうか。

 おそらく、他人が見ればあまり時間が経っていないかもしれない。でも、私にとっては、永遠とも思えるような、恐ろしいほど時間が経ったように思える。

 文字が書けなくなった理由も曖昧あいまいなものだった。

 ある日突然、キーボードに指を乗せても、ピクリとも動かなくなった。

 理由がハッキリしていれば、対応のしようがある。でも、私の場合、理由がわからないものだから、時間が解決するのを待つしかなかった。

 待てば待つほど、心が死んでいく。金も少なくなっていき、生活が苦しい。

 私は、いい。でも、妻と娘に申し訳なかった。

 私が沈まないように、笑顔でいてくれた。でも、それが苦しかった。無理をさせているようで。

 ……もう、良いだろう。十分すぎるほど、そばに居てくれた。

 だから。

「離婚しよう」

 ある日の夜。私は、妻に切り出した。

 妻もやっと言ってくれたと、思ってくれただろう。

 でも、そうではなかったことは、すぐに分かった。

「嫌です」

 驚くほどはっきりとした口調で言われた。

「……なんでだ? こんなに君を苦しめているのに」

「貴方は、私のことをまだ愛してくださっていますか?」

「ああ、勿論もちろんだ」

「では、離婚する理由がありません」

 真っ直ぐに妻は、私を見つめている。射貫いぬかれてしまいそうだ。

「だが、もう駄目なんだ。文字が書けない。これでは、君と娘を苦しめるだけになってしまう」

「私が、文字が書けない、という理由だけで、貴方を見捨てると思いますか?」

「え……?」

「私が貴方と結婚したのは、貴方が、貴方だからです。だから、文字が書けなくても、貴方が貴方でいてくれる限り、私は隣にいます」


 これが、私のスランプから脱したきっかけだった。

 今の私は、以前のように文字をつむぎ、物語を作っている。

 この先、またスランプになるかも、なんて怖さはない。

 私が、私でいる限り。私の隣には、最愛の人がいる。

 私も、その最愛の人がそのままでいてくれる限り、愛し続けることを誓う。

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