先輩の言い訳4

「知識について考えてみよう」

 そう言うと、先輩は冷蔵庫に磁石で付けられていた小さなホワイトボードを手に取った。

 時刻は、もうすぐ17時。最近は、冬も近づいているので辺りはすっかり暗くなってきた。

 そろそろ家路につく時間でもあるので、先輩の講義を聴くよりも帰り支度をしたいのだが、まぁいいか。

「知識。辞書を引けばもう少し細かい定義があるのだろうが……、簡単に言うと、いろいろなことを知ること、だな」

 先輩は、ホワイトボードに何やら絵を書き出す。

 素早く書かれたのは、5円玉の絵だった。

「君。5円玉の真ん中にある穴に水を落とすとどうなるか知っているか?」

「いえ、知らないですね。ただ、水の膜が張るだけじゃないんですか?」

 先輩は、ニヤリと笑う。どうやら、先輩の敷いたレールに乗ってしまったようだ。

「膜が張るのは、正解だ。実は、その膜を通して物体を見ると、虫メガネのように物体が拡大して見えるのだ」

 思わず僕は、へぇーと感心してしまった。この研究室に配属されてから、いろいろと知識を得てきたが、まだまだ知らないことがあるものだ。

「さて、君はこうして新たな知識を得たわけだが……、この知識は5円玉を深く認識しないと得ることができない知識だっただろう」

 なんだか、話が哲学的になってきた。いや、哲学に詳しくないから、これが哲学的なのか判断できないけど。

「例えば、縄文時代に地球の全体像を知る人間はどれほどいたと思う? 我々現代人は、ニュースやネットで丸く海の多い姿を知っている。だが、太古の人類が、そんなことを認識できるはずもない。ロケットなんてなかったのだから、世界が平面だと思っていたのだ」

 世界が平面である。現代人からすれば、当然違うことが分かる。でも、それは、今から約500年前にとある探検家が、世界周航を達成したから初めて否定されたのかもしれない。

「世界平面説を否定できるのは、我々が地球が丸いということをさまざまな情報網から認識しているからだろう。もっと言えば、リンゴが赤いということも、リンゴという果物を認識していなければ、知識として得られないのだ。つまり――知識の大前提は、認識から始まるのだ」

 物事を認識できないと、知識は得られない。

 僕らは、研究室で日夜研究を重ねているが、他の研究室が何をしているのか詳しく知らない。研究室があることを認識しているが、その先の認識がないのだ。

 なるほど。物事を知るには、まず認識、か。

 先輩は、ホワイトボードを冷蔵庫に付け直すと、小さな胸を張って声を上げる。

「そう! 君のシュークリームだって、この冷蔵庫の中を認識できなければ、あるのかどうか分からないんじゃないか? 知識として本当に買ったのか、ということすら分から――」

「いや、先輩も僕がシュークリーム買ってたの認識してたでしょ。一緒にコンビニ行ったんですから。間違って食べた言い訳にしてはスケールがでかいんですよ、この話」

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