誰かのために

「もうやめようよ、お兄ちゃん」

 少女は、とある病室のベッドのそばで涙ながらに話す。

 ベッドには、20代前半の男性が横になっていた。

「仕事で夜遅く帰って来るお母さんの替わりに家事も全部やって。私の学費を稼ぐために自分が大学に進学するのも諦めて。……こうして、働き過ぎて過労で病院に運び込まれて。無理しないでね、っていつも言ってたよね?」

 少女は、目を赤くし下を向いてこぶしをにぎめている。

 頑張りすぎた兄への怒りもあるが。

 それ以上に、こんなことになるまで兄に重荷を背負わせていた少女自身が許せなかった。

 兄は、そんな少女をいつもと変わらない優しい顔で見つめていた。

「もう、十分だよ。全部お兄ちゃんが背負うことじゃないよ。私のため、って言うけどさ。それは本当にお兄ちゃんだけが頑張らなきゃならないことなの? もういい加減に自分のために生きてよ、お兄ちゃん!」

 少女は、想いを吐き出すと嗚咽おえつらす。

 兄は、泣きじゃくる妹の頭をでてあげた。

「……お兄ちゃん?」

「ありがとうな。でもな、俺はもう自分のために生きているんだよ」

 少女の目から流れる涙をぬぐい、兄は言う。

「お前のために大学に行かなかったのも、家事をやるのも。全部、俺がしたいと思ってやっていることなんだ。お前と母さんのふたりが、いつも笑顔でいること。それが俺の叶えたい夢なんだ。その夢を叶えるために頑張ったんだよ。だからさ、お前はいつも笑顔でいて、自分の夢を叶えてくれ。ちゃんと、俺は俺のために生きているんだよ」

 兄は、噓は言っていない。

 妹として傍にいた少女には分かる。それでも、少女は納得できなかった。このままだと、また兄は倒れるまで働くだろう。

 だから、少女も自分のために生きることにした。

「……これからは、私が家事全部やるから」

「何言ってるんだよ。お前は勉強とか遊んだりとか――」

「お兄ちゃんが元気でいてくれること。これが、私の夢の1つだよ。夢を叶えたいっていう、私のためを思ってのことだよ。否定はさせないよ、お兄ちゃん?」

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