第23話 『一般人は再度自覚する』

「――顔、大丈夫? まだ痛む?」

「……えっ? い、いや、なんともないって」


 瑠衣に顔を覗き込まれ、ようやく我に返って差し出された手を取ろうとして――。

 

 自分の手がわずかに震えていることに気がつく。

 

 こんなの瑠衣に見られたら、気にしてしまうかもしれない……っ。

 そう思い、必死に止めようとするも意識して抑えられるものでもなくて……。

 しかし、彼女は――特に気づいた素振りもなく、俺の手を取って軽々と引っ張り上げる。


「あ……ありがと」


 口に出したお礼すらぎこちないものだった。

 さすがに悟られてしまっただろうか?

 震えていたことにではなく――なぜ震えていたのか、その理由についてだ。

 そりゃバイブのように震えているのだから、恐怖心自体をごまかそうなんてできるはずもない。

 それに、そういった感情の機微に対して敏感であろうこの子のことだ。俺が強がりを言ったって絶対に見抜いてくる。

 問題は、今の震えが瑠衣に対して抱いた恐怖心だということに――気づいていないだろうか。


 ***


 購買部で揚げパンなどを買って、屋上につながる階段へと向かう。

 ひとつ下の階段に進入禁止の鎖が張られているのだが、そのせいでここは人目に付きづらい場所になっていた。

 当然、俺たちのような……その、なんだ、カッ……プルや、ぼっち飯など利用客はそれなりなのだが――。

 今、俺たちが向かっている別棟は職員室が近いせいか不人気なのである。


「――っておい」

「何だ真っ昼間からけしからん……不純異性交遊?」

「タバコ吹かしてるやつに言われたくないし、違うし」


 ヤンキーか和式便器でしか見たことのないようなしゃがみ込みで、ぷかぷかとタバコをくゆらせているのは俺のクラスの担任、鏡瞬かがみしゅん

 

 瑠衣をじろじろと視姦するヒゲオヤジから庇うようにして前に立ち、プラトニックでステディーな関係であることを強く主張する。


「……ん? 織史おりふみぃ、お前その怪我どうしたんだ?」

「え、あー、いや、これはバレーボールで顔面ブロックをかまして……」

「そうか……今日ウチのクラス、体育ないんだけどな」

「…………アンタ、意外と教師やってんすね」


 まさかこのぐうたらおじさんが時間割を把握しているとはつゆほども思わなかった。


「お前らの俺に対する評価、低すぎじゃね?」


 そこは否定しない。というか当然である。

 

「ま、このヤニ臭いところで良ければ、どうぞご自由に。邪魔者は退散しますんで――っとその前に朝香ぁ、放課後居残りな。無断欠席なんておじさんびっくり」

「……?」


 瑠衣さん……アンタ、俺といる間ずっと学校に連絡なしに休んでたんすか。

 しかし、当の本人は首を傾げて『許可がいるの?』とでも言いたげな目をしておられる。


「あー、彼氏さん説明よろしく。上から釘刺されてんのよ、マジで頼むわ」


 そう言って立ち上がり、比較的あっさりとこの場を明け渡す鏡に俺は肩透かしを食らったような気分になるが、このまま食い下がって昼休みを無駄にするわけにもいかない。

 立ち去る鏡の背中をじっと目で追い続けて視界から消えたことを確認した瑠衣が、


「あの男は知り合い?」


 階段に腰を下ろし、頬張っていた揚げパンの砂糖が変なところに入ってむせ返る。


「ぐふ……っげほ……じつに瑠衣らしいな。あれは俺たちのクラスの担任だよ。鏡瞬っていって、今年着任してきたばかりらしい」

「ふむ……」


 『ふむ』って言うヤツほんとにいるんだな――なんて感心しながら、パンを平らげる。

 俺は牛乳を一飲みしてから、モソモソと思案げな表情でサンドイッチを食べている瑠衣に向き直る。


「それより、さっきは悪かった。……どうにも止まんなくてさ、情けなかったよな」

「……なんのこと?」


 いつもと変わらない笑顔で聞き返される。

 俺は返答の代わりに、瑠衣の白い頬をひとつまみして、軽く引っ張った。

 彼女は心底びっくりしたようで、大きく目を見開くのを見て、俺は思わず吹き出して笑ってしまった。

 ひとしきり笑い終えてから、


「……俺が何に怖がってたか気づかない瑠衣じゃないだろ?」


 瑠衣が俯く。

 悲しいのか、悔しいのか。下唇を噛んでいるような……。

 それは俺だけに見せてくれている感情の起伏。

 少なくとも他の人に感情を悟られるような隙を見せる子じゃない。

 だから、俺はここでごまかすような、隠すようなことをしてはいけない。

 そう思い、あえて正直に告げることにした。


「――俺を助けてくれたときの瑠衣、正直めちゃくちゃビビったなあ……」


 パッと顔を上げて、何か言いたげな様子の瑠衣。

 しかし、彼女自身、何と言おうか分からないようで――とても複雑な表情をしていた。


「俺は勘違いしてたんだ。あの日、天井をぶち破って飛び出したことで瑠衣に近づけたような、そんな資格を得たような気がしたんだ。だけどな――」


 瑠衣の白い喉がコクリと鳴ったような気がした。

 俺の言葉の続きを、彼女は切れ長の瞳を目一杯開いて待っている。無口無表情で、どこを見ているのかも分からない瞳が、今はまっすぐ俺を捉えている。

 以前では考えられない表情をしていた。


「俺はやっぱりただの一般人だったよ。何かが変わったなんてことはなかったんだ。瑠衣みたいに覚悟が決まっているわけでもないし。まだまだ全然釣り合ってないんだなって、隣に立ってやれないんだなって……心底気付かされたよ」


 それを聞いた途端、瑠衣が目に見えて落胆していく。

 ピンと張り詰めた華奢きゃしゃな肩はストンと下がり、膝を寄せて、三角座りをするような形で身体を小さく丸めて、顔をうずめている。

 横顔すら、長い髪がカーテンのように覆っていて表情はまったく分からない。

 分からない……が、それでも今は――悲しんでいるんだろう、落ち込んでいるんだろうってことがはっきりと伝わってくる。

 

 俺は立ち上がり、瑠衣と向かい合うようにしてしゃがみ込む。

 手を伸ばして、瑠衣が顔を上げようとする前に――。


 ――両手で抱きしめた。


「……え」


 小さく声を上げる瑠衣。

 しかし、拒絶されることはなかったのでひとまず安心して、密着したまま彼女の耳元で囁く。


「まだ話は終わってないよ」

「……うん」

「すんごい素直じゃん」


 静かに笑い、耳元から離れて少し顔を上げる。

 瑠衣の額にくっついてしまいそうな距離で、彼女の綺麗な黒瞳を覗き込んで一息に言った。


「でも……俺は諦めないよ。お前が俺を分かってくれようとしてくれるように、俺もお前のことを理解できるように頑張る。瑠衣からすれば、どこまで行ってもそこらの一般人と変わんないかも知んないけどさ。――ってことで、これからもよろしくおねがいします的な? 感じなんだけど……面と向かっていうと、すげえ恥ずかしいな」


 数秒ほどの沈黙。

 俺の体温は冬の踊り場にあるまじき高まり具合で――。

 やがて瑠衣は、蕾が開花するように少しずつ表情をほころばせる。


「うん……っ、うんっ」


 いつの間にか、幼い少女のような表情で喜んでいて――。


 ――うわあ、俺の彼女かわいすぎるだろ、これ。






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