第2話

祖母の部屋だったこの部屋は母の部屋でもあった。その部屋に、窓から入る暖かい陽射しにうとうととしている私が居る。

何度か入った事があるのに初めてこの部屋を明るいと感じた。晴れの日も雨の日もいつでも暗く感じていたのに、二人がいなくなって初めて明るく感じるなんて皮肉だった。


部屋の中の物は、祖母がいた時から何も変わっていない様に思う。母がこの部屋で過ごすようになる前に使っていた二階の部屋には何があったのか思い出せない。母はそれほど物に執着がなかった人だっただろうか。

強いて変わったというならば母が亡くなってから畳が新しくなったことだ。当然井草の香りが強く感じられたが新築のようで心地良い。襖や障子は定期的に変えていたのだろう、破れもシミもなく全体的に清潔な感じがする。


仏壇には母の写真が加わっている。

祖母と並ぶなんて思っても見なかったろうな。ふと、どんな気持ちか聞きたいと思ったけれど、答えは決まっているのにと苦笑いが出た。

次に並ぶのは誰だろうか。父ももうだいぶ年老いてきたけれどまだ元気だから長生きしそうだし、弟や私もまだまだ並ぶ気はないし。

そもそもこの仏壇はずっとここにあるのだろうか。この部屋は、この家は、このままなのだろうか。母がいなくなった今、そして弟が結婚したら同居すると言っていたから改築又は建て直しをするのだろうか。


暖かい陽はまだまだここに居続けるらしい。私は窓辺の畳に伸びる陽だまりに寝転がってみた。

障子を開けたので直接入る陽がとても眩しいと目を細める。この部屋は思った以上に居心地が良いのかもしれない。だから祖母も母も気に入っていたのかもしれないと感じた。

寝転がりながらぼんやりと部屋を眺めていて箪笥の鍵穴に目が止まった。鍵はまだかかっているのだろうか、中に何が入っているのだろうか。気になって身体を起こして立膝のままにじり寄り開けようと試みた。開かない、鍵がかかっている。鍵はどこにあるのだろう。他の引き出しを順に開けてみた。中の服をかき分け、奥の方まで手を入れて探してみたけれど見つからない。絶対にどこかにある筈だ。

今度は、文机の引き出しを開けてみたが、何も入っていない。次に床の間の壺の中を覗き込んで見た。壺の中は表面が白地なのとは真逆で真っ黒で見えづらかったが何も入ってはいなかった。

こうなればとことん探してみようと、押し入れを開けて布団や座布団を全て出してみた。空になった押し入れには何一残っていない。小さな物は、鍵はもちろんピン留めの一つも落ちていない。

布団や座布団も触って確認してみたけれど何も入っていない。どこか縫い閉じて隠してることもないようだ。

あと隠せられるとしたら長押(なげし)の裏の隙間くらいだが探すには何か登る台座がないと無理そうだ。と、考えていたところへ台所の方から弟の呼ぶ声がした。

「姉ちゃん、お茶が入ったよ!いただいた和菓子食べようよ!」

全くいつまでも子供なんだから。

「今行く!」

仕方ない、長押の探索はまたにすることにした。


弟はこの家にまだ住んでいる。もう直ぐ結婚する予定で、学生の頃から6年付き合っている彼女とようやく一緒になる決心がついたらしい。というか、仕事も慣れてきて収入も安定してきたからなのかもしれない。あんなに子供みたいに手がかかる弟と一緒になろうなんて奇特な彼女に御礼を言いたい気持ちだ。まあ、子供と思っているのは私が“姉”だからだろう。弟にしてみれば愛する彼女を守ろうと日々頑張っていることだろうから、たくましくなったのだろう。喜ばしいばかりだ。


弟は先に和菓子を広げていて、もう既に一個を頬張っていた。私は台所からお茶を運び、居間に座った所で弟に聞いてみた。

「優斗(ゆうと)、おばあちゃんの部屋最近入った?」

私も弟も、母が使うようになってからもずっとあの部屋は“おばあちゃんの部屋”と呼んでいた。

弟は、特に母から入るなとは言われていなかった筈なのに、私と一緒になって入らないようにしていたようだった。

「あるよ、なんで?」

もごもごしながら慌ててお茶を飲む。まだ熱かったようで目を丸くした。やっぱり子供だ。

「何か気になることってある?」

「気になること?う〜ん…」

直ぐには思い出せないようだった。それはそうだろう。鍵がかかっている引き出しの事を知らなければ、そして興味がなければ、鍵の在り方がどこかなんて気がつかないのかもしれない。


そのまま、思い出せずに終わるのかと諦めかけた時に、

「そう言えば、母さんが亡くなった時にそばに本があった気がするんだけど、見当たらないんだよね」と、ちょうど良いぬるさになったであろう残りのお茶を一気に飲んでから言った。

本?!初耳だった。

亡くなる時に本を持っていたのだろうか、本の事は誰も言ってなかった。

「あの時はバタバタしてたから、後からあの本がどうなったかなんて、気にしてもいなかったけど。…そうだよ!確かに本があったんだよ!あの本どうなんだんだろう…もしかしたら汚れた所を掃除する時に誰かが処分したのかなぁ。…姉ちゃん何か気になることでもあったの?」

「ううん、何もないから聞いてみたのよ。」

「ふ〜ん…」

弟は、もう一個和菓子を口に入れ、そのまま暫くぼぉっとしていた。あの時の騒動を思い出しているのかもしれない。私はもう一杯お茶を注いであげた。


母は癌だった。それも末期だったらしい。そしてそのことを母は誰にも言わなかった。でも死因は病気ではなく自殺だったのだ。しかもあの和室で。

※自殺の方法・状態は、表示しないのでご了承ください。

だから畳を新しくするしかなかったのだ。

す病院に運ばれ、警察に調べられ、結果としては病気を苦に自殺を図ったことに落ち着いた。家族は納得したのだろうか、私は信じていない。きっと何か他に理由がある気がしてならないのだ。それが何かは今の私にはまだ分からない。


私が実家にいるうちにと、弟の彼女が遊びにきた。彼女のことを私は最初紗音(さお)さん呼んだが、“さん”よりも“ちゃん”の方が適しているように思い、直ぐに紗音ちゃんと言い変えた。本当に弟には勿体無いくらい可愛い人だ。彼女の家は新興住宅地にあり、建物は何もかもがコンパクトだけれど、綺麗な造りをしているらしい。古い家屋が珍しいらしく、仕切りに色々尋ねてくる。居間にある欄間も、“おばあちゃんの部屋”の仏壇や床の間も、そして鴨居や長押という言葉すら聞いた事がないとびっくりしていた。いつからか和室自体が無い家も多くなって来ているらしい。畳や障子、襖も珍しいのかもしれない。今の家々はどの部屋も明るく、昔の家とは大違いだ。私が今住んでる部屋は賃貸だけれどこの家より何倍も何十倍も明るいと思う。


今日は弟の彼女が夕食を一緒に食べる予定になっていたので、父がとても嬉しそうだ。私と違って明るくてよく話を聞いてくれる彼女がお気に入りなのだと思う。母がいた時は遠慮してたのだろうか、今日は父が本当によく喋る。

私も彼女に好感を持っている。出しゃばりすぎず、控えめになりすぎず、話題も私たちから滑らかに引き出してくれている。同居を考えているなら上手く行くのだろう。

食事を終えた後、父はお風呂に入りに行ったので、3人で居間に移動し珈琲を飲みながら他愛のない話で盛り上がっていた。

ふと、彼女が“おばあちゃんの部屋”について聞いてきた。

「奥の部屋へは、お母さんがいた時には入り口近くからチラッとしか見たことがなくて…、今度ちゃんと入ってみても良いかしら?」

純和室の8畳間、床の間や仏壇等に興味があり間近で見たいのだろう。私は笑いながら、

「見るなら明るい時が良いと思うよ、私なんて今日畳に寝っ転がって日向ぼっこしちゃったからね。今度遠慮なくやって見たら良いよ」

彼女は本当に嬉しそうに、

「ありがとうございます。今度来た時にやって見ますね。わぁ、楽しみ!」と子供みたいにはしゃいでいた。弟とおんなじだ、子供みたいで微笑ましい。二人が結婚なんて、可愛すぎるわ。


遅くなる前にと、弟は彼女を送ってくからと言って出て行った。きっと帰りは遅いか明日になるかもしれない。そして、父は玄関先で見送った後、もう寝ると言って早々に寝室へ入ってしまった。

私は二階の元の自分の部屋へ行った。うちの中で一番小さな部屋だけど、私には十分な広さだった。しんと静まり返った家の中で、まるでひとりぼっちのような感覚に陥っていた。この家は一つ一つの部屋が広い。それを当たり前に過ごしてきたが、一回家を出てしまうと、その広さが普通ではないことに気がつく。

父一人残るよりも弟たちが同居する方が良いのだろうな。その前に建て直す話も出るのかもしれない。彼女がこの家を気に入ったとしても、所詮は物珍しさからかもしれないし、古い家には必ず何処かしら傷んでいる箇所があるだろうし。

「結婚するのかぁ、先越されたなぁ」

私にも結婚予定の彼がいる。まだ家族には言っていない。



第3話へ続く

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