第2話 2週間前

「小田さん、顔色悪いですけど、大丈夫ですか?」


会社の同僚にそんな心配をかけてしまうくらいには、僕はどうやらやつれていたらしい。

そりゃそうだ。

エリカからはその後まだ、何の連絡も無いのだから。

僕は毎日、気を抜けば頭の中で繰り広げられる最悪な想像と必死に戦っていた。

おかげで、食欲も無く、夜もロクに眠れない有様。

・・・・そろそろ本格的に倒れてしまうかもしれない。

だけど。


「え?そうですか?いえ、全然何とも無いですよ」


なんて、要らぬ虚勢を張ってしまう。


会社の人は皆、僕とエリカが付き合っている事を知らない。

何しろ、エリカが僕に告白したのは、彼女の出社最終日の夜。

周りには、誰もいなかったし。

それに、エリカには口止めをされていたから。


「私と付き合っていることは、誰にも言っちゃダメですよ?言ったらきっと、小田さんみんなから嫉妬されちゃうから」


なんて。

冗談とも本気ともつかない口調で、魅力的なキラキラした瞳で僕を見つめながら。

決定的に片想いだと思い込んでいたエリカから告白をされた僕は、もちろんふたつ返事でOKし、この【誰にも言わない】約束にだって、簡単にOKしてしまった。


だから今。

ひとりで悶々と悩む羽目に陥っている。


明けない夜はない。


なんて言うけれど、本当だろうか?

今の所、僕の夜は一向に明ける気配が無い。


「・・・・ですけど、ご都合いかがですか?・・・・あのっ、小田さんっ?!」

「えっ?!あっ、はい・・・・申し訳無い、ちょっと考え事を・・・・失礼しました。もう一度お願いできますか?」

「小田さん、お疲れですか?」

「まぁ、仕事が溜まっているのでね」


プライベートでどれだけ悩みがあったって、仕事は仕事。

しっかりしなければ、と。

頭を切り替えようとするけれど、やはり完全に切り替える事なんてできやしない。


「次の企画の件でご相談させていただきたいので、本日14時から1時間ほどお時間をいただきたいのですが」

「分かりました。14時からですね。では資料を確認しておきます」

「よろしくお願いいたします」


もうじき、昼休み。

僕は予定表にミーティングの時間を入力して、早めのお昼を取りに外に出た。



***************


「ねぇ、エリカ」

「ん~?」


肩まである茶色がかったフワフワのクセ毛が、汗で白い首筋に張り付いている。

その髪をそっと指で掬い取ると、エリカはくすぐったそうに身を捩り、僕に抱き付いてきた。


エリカと付き合い始めてから3か月ほど経った頃だろうか。

週末デートの帰り、エリカは突然僕の家に行きたいと言い出し、来るなり泊まると言い出した。

僕だって、女性と付き合った事が無い訳ではない。

彼女の真意にはすぐ気付いたけれども。

いかんせん、相手は付き合うというだけでも夢のようだと思っていたエリカだ。

慎重、と言えば聞こえはいいが、実のところ臆病風に吹かれてなかなか手が出せずにいた僕に、エリカの方が痺れを切らしてしまったのだろう。

据え膳、食わぬはなんとやら。

ここまでお膳立てをさせてしまったからには、僕もいい加減腹を括らなければならぬと。

僕はその日初めて、エリカを抱いた。


ベッドの上での女性の扱いに自信がある訳では無かったが、エリカは驚くほどに乱れた姿を僕に見せてくれた。

よほど感度がいいのだろうか?

それとも。

体の相性が抜群にいいのだろうか?

兎にも角にも、そんな彼女の姿を目の当たりにした僕だって、冷静でいられる訳もなく。

僕らは何度も体を繋げた。

そして、いい加減お互いの体力が限界を迎えた時。

僕は、ずっと気になっていた事をエリカに尋ねたのだ。


「エリカはさ、僕のどこが気に入ったの?」


僕の勤める会社を退職後、すぐに転職先が見つかったエリカは、既に転職先の会社に勤めているという。

その会社には女性が少なくて少し寂しい、なんて言っていたっけ。

それはつまり、相対的に言えば男性が多い、ということでもあり。

ならば、エリカなら絶対に、男が放っておくはずがないだろう。

なんせ、僕の勤める会社に居た頃だって、そうだったのだから。


・・・・そう言えば、エリカはなぜ、僕なんかを好きになったのだろう?


僕がそう思うのは、無理もないことなのだ。

エリカに魅了され、儚くもその恋の花を散らした男は、数知れず。

本命とされていたエリートコースの営業社員ですら、驚いたことに撃沈したとのこと。

僕なんかは、せっかくのこの恋の花を散らしてしまうことが切なすぎて、ただ心の中で想うだけで満足しているほど、内向的だというのに。

超がつくほど真面目で、おまけにネガティブ思考で。

身長175cm 体重65kg。

ストレートの黒髪は、高校生の頃からの行きつけの床屋で、清潔感を損なわない長さに切りそろえている程度。

こんな、何の面白味もない、僕のいったいどこを?


「ふふっ」


小さく笑ったエリカの手が、僕の頬へと伸びる。

愛おしそうに僕の頬をそっと撫でると、エリカは言った。


「私、浮気しない一途な人が好きなの。最初からどんな時もずっと私だけを見ていてくれたのは、みっちゃんだけだった。だから」


うっとりとした顔で、ぷっくりとした艶やかな唇から紡がれるエリカの言葉が、僕の耳を擽る。


「それに私、みっちゃんの顔も好き。眼鏡外したこの目も、眉毛も、鼻も、唇も」


僕の唇に指を這わせながら、エリカはねだる様に赤い唇を小さく開く。

誘われるように僕は、その唇に口づける。


「声も、手も、指も、体も・・・・ココも」


僕の口から解放されたエリカの唇は、少し弾んだかすれ声で、言葉を紡ぎ続ける。

そしてその手を、僕の体の下の方へと、ゆっくりと滑らせていく。


「みっちゃん・・・・」


熱を帯びたエリカの声が、一度は冷めたはずの僕の中の熱を再び滾らせる。

僕は再び熱の赴くままに、エリカの上に覆い被さった。



***************


ピロロン。


スマホの着信音に、ハッと我に返る。

慌ててスマホ画面を見れば、全く必要のない商品の広告メッセージが表示されていた。

微かな希望を胸に、エリカへ送ったメッセージを確認してみるが。

やはり、【既読】はついていない。


「はぁ・・・・」


溜め息を吐いて見上げたそこには、どこまでも澄んだ青空が広がっていた。

恨みたくなるくらいに、見事なまでの、快晴。

僕の心は、こんなにもどしゃ振りだというのに。


(僕もう、このままじゃ持たないよ。頼むよ、エリカ・・・・)


お願いだから、声を聴かせてくれ。

それが無理でも、せめてメッセージだけでも、くれないか。

今すぐ会いたいとか。

声が聴きたいとか。

・・・・大好き、とか。

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